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クニマス・世紀の発見記念特別展&講演、クニマス標本、国鱒図、生態、絶滅と発見のドラマ・・・
▲クニマス標本オス・・・全長25.3cm、採集年月日・大正14年4月1日(仙北市田沢湖資料館) ▲クニマス標本オス・・・全長26.8cm、採集年月日・昭和5年9月12日(仙北市田沢湖資料館)

 70年前に絶滅したはずのクニマスが、山梨県の西湖で発見された。
 これは、まるで「夢のような物語」ではないか・・・

 もともと魚好きの私は、杉山秀樹さんがまとめた「クニマス百科」や漫画家・矢口高雄さんの「地底湖のキノシリマス」、作家・塩野米松さんの「ふたつの川」などを読み漁っていた。しかし、それは過去の記録や漫画、小説の世界でしか垣間見ることのできない幻の魚でしかなかった。

 昨年の暮れ、俄かには信じがたい「クニマス発見」のニュースが飛び込んできた。
 以来、クニマスの情報に飢えはじめた。

 2011年2月12日、仙北市田沢湖「ハートハーブ」で開催された「クニマス・世紀の発見記念特別展」と杉山さんの「クニマスとはどのような魚か」と題する講演を拝聴した。魚好きの秋田人の目線で、とりあえず現段階の情報を整理してみた。
▲冬の田沢湖
田沢湖は水深423.4mで日本一、世界でも17番目に深い湖である
面積は25.8km2、周囲20kmと比較的小さいが、貯水量は日本で4番目に多い。
かつては、水深100m程度で、水温が4〜5度と周年安定、溶存酸素量も低層まで充分あった

また、水位変動もほとんどなく、湖畔林も豊かで安定した物理環境であったという
田沢湖は、潟尻川→桧木内川→玉川→雄物川→海へとつながっている
それは田沢湖に生息していたクニマスやイワナ、アユ、ヌマガレイなどの標本からも明らかである

イワナは、氷河期以来、川の最上流部に陸封された淡水魚の筆頭であるが、
クニマスもまた、日本一深い湖に陸封されたマス類の仲間という点で極めて興味深い魚である
▲会場となった仙北市田沢湖「ハートハーブ」 ▲大盛況の講演会

 最大の目的は、会場に展示されている田沢湖郷土資料館及び西湖で捕獲されたクニマスの標本を撮影することだった。特別記念展は、予想以上に素晴らしいものだった。「失われた命 クニマス」「クニマス標本」「絶滅への道(年表)」「クニマス探しキャンペーンポスター」「クニマスとは」「国鱒図と添え書き解説」「クニマス写真」「ホリ地図(漁場)」「昔の風景」、中坊教授の「クニマス速報展示にあたって/クニマスとはどんな魚か/生存確認の経緯」「さかなクンのイラスト」など。

 失礼ながら、杉山さんの講演を聞くまでもなく、渇望していた情報を全て入手でき大満足だった。講演会が近付くと、用意していた長椅子は満杯、立見がでるほどの盛況だった。カウントしていた係員が「参加者は150人」という声が聞こえた。「世紀の発見」「奇跡の魚」に対する関心の高さは、やはり凄い!。
▲小場恒吉氏が描いた彩色画「木尻鱒図」
絵には、キノシリマスの背後に薪の燃えさしが描かれている
「木尻鱒(キノシリマス)」とは、薪の燃えさしのように黒いマス・・・つまりクニマスのことである
従って展示では「国鱒図」となっていた

添え書きには「・・・明治31年(1898)田沢湖に遊び 木尻鱒を写せる旧図を得る。
今湖水枯れ遊魚甚だ稀なるを聞く・・・」と書かれている

辰子伝説では、蛇体となった辰子を見た母親が口惜しさに、薪の燃えさしを湖に投げた
すると、「木尻鱒」になって泳ぎ去ったという
▲右図「ホリ地図」
漁師ごとに漁場が決められていたことを示す地図
小説「」ふたつの川」(塩野米松、無明舎出版)には、次のように記されている

「クニマスの刺網を張ることができる家は昔から決まっていた。
湖畔に住む47軒だけがクニマス漁の株を持ち、それぞれの家が張れる刺網の枚数も、
張ってもいい場所も決まっていた。・・・

網目の大きさを目合いと言うが、二寸六分(約7.8cm)厳守であった。
この編み目をくぐり抜ける小さな魚は獲らないということである。」

▽佐竹北家日記の記録
 国鱒(クニマス)の名が「佐竹北家日記」(1674〜1894年)に初めて登場したのは、1715年10月15日、「御宿市郎右衛門という者が国鱒3匹とクリを届けた」と記されている。文化年間には、日に数千尾もとれたことが記録に残っている。文化二年には、角館佐竹家から秋田の藩公と江戸にクニマスの塩引きが送られた。

 1800年代半ばになると、藩主へ干したクニマス30匹を献上。その2日後、クニマスの干物、粕漬け60匹が献上品や土産として使われた。塩引き、干物、粕漬けといった加工品を献上品や土産物として利用されていた記録は、昔から貴重な魚であったことが伺える。
▽クニマスの生態(展示解説より)
 1925(大正14)年、アメリカのカーネギー博物館紀要でクニマスが新種の魚として発表される。クニマスはサケ科サケ属の魚で、学名をオンコリンカス・カワムラエという。ベニザケの陸封型であるヒメマスの近縁種が、日本一深い田沢湖で独自の進化をとげたものと考えられている。

全長・・・30cm程度、最大は40cm程度。イワナよりやや小さい印象を受ける。
体色・・・背中側は全体的にほぼ黒か黒青色で、体側はわずかに弱い。体とヒレに暗色や黒色の斑点はない。全てのヒレが薄黒い。5cm程度の稚魚は、体側にふぞろいな9個程度のパーマークを持つ。

 小さい時にはパーマークがあり、成魚になると消える点は、イワナに似ている。体色が黒と言っても、生きている魚を手にとって見ないことには、イメージがなかなか湧かない。杉山さんは、「墨色」と表現していた。木尻鱒の名の由来となった「薪の燃えさし色」に近いのだろうか。

生活史・・・クニマスを特徴づける生態に、周年産卵という記録が多数あるが定かでない。しかし、産卵の中心となったのは1月〜3月と考えられる。主に水深100m前後の深い所に生息、中には300mもの深い所に生息、産卵は、水深40〜50mの所で行われていたとされる。

 地元の古老によると、盛夏の産卵を土用掘り、秋の産卵を木の葉掘り、冬季の産卵を寒掘りと呼んだ。つまり、周年産卵という奇妙な生態を指摘している。クニマス発見に貢献した京都大中坊教授は、「水深40〜50mという深い湖底で産卵しており、水深100mより深いところにも生息していたという記述は驚きであった。サケ属の他の種から考えて、異常ともいえる生態である。こんな魚がいたのか。・・・」と、「クニマス百科」を読んで衝撃を受けた感想を述べている。

食性・・・透明度の高い貧栄養湖で、ミジンコを中心とした動物プランクトンを主食としていた。また、杉山さんは、湖畔林から落下する昆虫類も食べていたと指摘していた。

その他の特徴・・・皮膚が厚く粘液が多い。肉はほぼ白色で脂肪が少ない。
 昭和に入ってから、クニマスの燻製を作る講習会が開かれたが、クニマスの皮が堅く、肉が深魚のためか柔らか過ぎて大量に作るまでには至らなかったとの記録もある。また、近縁種・ヒメマスの肉は赤身だが、白身というのも際立つ特徴の一つ。 
 
▽絶滅の経緯
 玉川温泉には、大小さまざまな湧出口があり、中でも「大噴」と呼ばれる湧出口からは、98度の温泉が毎分8、400リットルも噴出、一ヶ所からの湧出量は日本一を誇る。その下流は、幅3mの湯の川となって玉川に注いでいる。この温泉は、PH1.2ほどと日本一の強酸性水で、昔から「玉川毒水」と呼ばれ、魚も棲めない「沈黙の川」であった。

 昭和15年1月、電源開発と玉川疎水国営開墾事業により、田沢湖に玉川の強酸性水が導入された。その結果、湖の水質は大きく変わり、水位変動も大きくなり、それまで安定していた環境は失われた。クニマスのほか田沢湖の魚類全てが死滅してしまった。
▽クニマス絶滅年表
1830〜1843年 玉川の水質改善の試みが行われる
1922年秋 京都大川村多実二教授が、米国の魚類学者ジョルダン博士にクニマスの標本3個体を寄贈
1925(大正14)年 アメリカのカーネギー博物館紀要でクニマスが新種の魚として発表、川村教授にちなんでカワムラエという種小名を与える

1931(昭和6)年 満州事変勃発、戦争の時代に突入
1934(昭和9)年 東北地方大凶作
1936(昭和11)年 東北振興電力会社設立

1937(昭和12)年 生保内発電所建設工事及び田沢疏水国営開墾事業着手
1938(昭和13)年 神代発電所建設工事着手
1939(昭和14)年 玉川河川統水計画樹立、田沢湖をダムとして利用することを決定
1840(昭和15)年 田沢湖に玉川の水を導水、クニマスほか田沢湖の魚全てが絶滅
▲「クニマス探しキャンペーン」のポスター ▲山梨県西湖で捕獲されたクニマスの標本

▽クニマス発見への道(年表)
1930(昭和5)年 65万粒を他県に分譲
1931(昭和6)年 60万粒を長野、山梨、富山に分譲
1935(昭和10)年 山梨県西湖に10万粒、本栖湖にも運ばれる

1989(平成元)年 玉川温泉の隣接地に酸性水中和処理施設が完成
1991(平成3)年 環境省、クニマスを絶滅種に指定
1995(平成7)〜 田沢湖町観光協会「クニマス探しキャンペーン」開始。懸賞金は100万円。

1997(平成9)年 懸賞金を500万円に引き上げ話題を呼ぶ
1998(平成10)年 田沢湖の水質はPH5.6まで改善。確定的な情報がなく、キャンペーンにピリオドをうつ。
2000(平成12)年 杉山秀樹氏「クニマス百科」刊行

以下は、中坊徹次教授の「生存確認の経緯」より要約

2003(平成15)年秋 杉山秀樹氏が京都大中坊教授に「クニマス百科」を献本。その生態に衝撃を受け、クニマスをCGで復元し遊泳させるプランを抱く。
2010(平成22)年2月 クニマスの体色復元を企画。さかなクンにヒメマスを入手して絵を書くよう指示

同年3月初旬 西湖漁協(三浦保明組合長)がさかなクン宛てに送った中に4個体の「黒いヒメマス」があった。
同年3月18日 さかなクン、中坊教授に「黒いヒメマス」2個体を持参。2個体とも放精後のオス。網を入れた深さを確認すると30〜40mと深い。こんな深い所でヒメマスは産卵しない。不思議に思い、再捕獲を三浦組合長に依頼。

同年3月20日 「黒いヒメマス」4個体届く。
同年4月2〜4日 三浦組合長から、黒いヒメマスは2月頃に多く網にかかり、産卵後の個体は水面に浮いている、という話を聞く。「3月に産卵」「深い湖底で産卵」「浮き魚」の現象は、田沢湖のクニマスと一致していた。

同年4月初旬 黒いヒメマス9個体のサイハ(エラの櫛状のところ)とユウモンスイ(消化器官の一部)の計数開始
同年4月下旬 全ての個体がクニマスのものと一致。黒いヒメマスはクニマスであることを確信。
同年6月〜7月 クニマスとヒメマスの遺伝的な違いを確認

同年10月20日 クニマス論文をイクチオロジカル・リサーチに投稿。同年12月10日、掲載受理。
同年12月14日・15日 報道で発表
▲朝日新聞「おしえてさかなクン」2010年3月13日掲載(展示品を撮影)
 掲載された日付から推察すると、同年2月、中坊教授が、「クニマスとヒメマスは似ているので、クニマスの体色復元をするのなら、ヒメマスも入手して比較のために絵を描いてみなさい、と指示をした」頃に書かれたものであろう。

 最後にさかなクンは、次のように記している。
 「標本のお魚は色が白くなっていて絵にも色がつけられません。さかなクンの夢はこの絵に色をつけること。え?もう生きて泳ぐ姿が見られないクニマスの色をどうやってつけるの?」
疑問・・・田沢湖の水深は423.4mに比べ、山梨県の西湖は73.2mと浅い。
 なのになぜ西湖に生きていたのか。

クニマスは、摂氏4度前後を遊泳するとされる
昭和3年4月と8月、田沢湖の深さごとの水温調査結果によると、
4月は、水深ゼロから100m以深で、水温は5度から4度前後とほぼ一定

8月は、水面温度が25度程度と高いが、水深50m以深になると4度前後で一定になっている
つまり、水深50m以上ある西湖なら、クニマスの適水温が存在する
しかも、低層まで溶存酸素量が充分ならば生息できる・・・これには、なるほどと納得!
▲展示されていた東京海洋大学客員准教授さかなクンのイラスト
「クニマスとはどんな魚か」(中坊徹次教授)の解説より抜粋

 2月を中心とする時期に水深40〜50m、9月を中心とする時期に水深105〜225mの湖底に産卵。春から夏には水深150m、冬に向けて水深225〜270mの湖底に生息。

 サケ属にはサケ、カラフトマス、ベニザケ(ヒメマス)、ギンザケ、マスノスケ、サクラマス(ヤマメ)、サツキマス(アマゴ)、ビワマス、タイワンマス、ニジマス、カットスロートトラウト、ギラトラウトがいるが、これらは水深2m以浅の湖岸でうむものがいる。

 クニマスの産卵場所はサケ属のなかで特異な特徴をもっている。
 クニマス発見の経緯を時系列的に並べてみると、単なる偶然ではないことが分かる。
 クニマスの移植〜絶滅と世紀の発見に至るまで、80年余りもの熱きドラマがあった・・・

 クニマスの孵化技術の向上と度重なる発眼卵の移植、
 クニマス探しに生涯を捧げたクニマス漁師・三浦久兵衛さん(2006年 84歳で死去)ら元漁師たち、
 クニマス復活を願う地元の熱意(クニマスに生かされた暮らしと文化の力)、

 絶滅種・クニマスの魅力にとりつかれた秋田県立大客員教授・杉山秀樹さん、
 クニマスが人知れず生きている夢を見た秋田県出身の漫画家・矢口高雄さん、
 秋田県角館町出身の作家・塩野米松さん、

 「カワムラエ」という種小名を与えられた故川村教授の生まれ変わりのような京都大・中坊徹次教授、
 さかなクンの類稀なる感性、
 そして「黒いヒメマス」の捕獲と特異な生態を語った西湖漁協三浦保明組合長・・・

 これらが時空を超えて、見えない糸でつながり、世紀の大発見につながったように思う。

 クニマスの絶滅と発見のドラマは、学べば学ぶほど「自然と人間と文化を考える」・・・その答えを発見したような戦慄を覚える・・・だから、山釣りバカの私にとっては、まさに「夢のような物語」の最高峰に位置づけたいと思う。

参考文献
「クニマス・世紀の発見記念特別展」(秋田県仙北市)
「田沢湖 まぼろしの魚 クニマス百科」(杉山秀樹、秋田魁新報社)
秋田さきがけ新聞・クニマス関連記事
小説「」ふたつの川」(塩野米松、無明舎出版)         

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