山釣り紀行TOP


岩魚釣りのことわざ1〜4、ダブルヒットの岩魚、極上刺身、蛇岩魚、マイタケ発生温度、横井庄一のサバイバル極意書
例年なら「岩魚釣り」から「マイタケ採り」に切り替える時期だが・・・
こうも雨が少なく、記録的な残暑が続くと、マイタケの発生はかなり遅くなるだろう
とにもかくにも、清流が恋しくなった・・・ならば、今年最後の岩魚釣りへ

清冽な飛沫でしっとり濡れた岩には、びっしりと緑の苔が生え、清冽な淵尻から岩魚が走る
この美しい天然の苔庭も「岩魚が湧く谷」に変貌しつつあった
岩魚釣りのことわざその1・・・「岩魚が湧く」とは、どういう意味だろうか
「釣りと魚のことわざ辞典」(二階堂清風、東京堂出版)によれば、

 岩魚は幾ら釣ってもいなくなることはない
 岩魚は虱(しらみ)と同じで一度たかると、どこからでも湧いて来る

 流れの中で餌場の一等地は、一番大きなボス岩魚が占めている。そのボスが釣られると、二番手のボスがそこに入り込む。だから、釣れるポイントは何時も決まっている。それが、あたかも湧くように釣れるという表現になったと記されていた。
 ブナ帯の岩魚谷であれば、年々釣り人が減少している谷は、岩魚が確実に増える。そして釣り人が稀な谷ともなれば、「岩魚が湧く」夢の釣り場に変貌する。そうした谷を発見することが、岩魚釣りの大きな楽しみでもある。
真夏日が続く2012年9月中旬・・・
久しぶりに、暗いゴルジュと滝が連続する谷を遡行した
テン場適地まで高巻きは4回、うち1回は残地ザイルに補助ザイルを足して突破した

年々訪れる人も稀らしく、踏み跡も藪に埋もれて不鮮明になっていた
それだけに、遡行の難度も増していることを実感させられた
しかし、遡行の難度が高ければ高いほど、岩魚の期待は大きく、それを突破した時の満足度は高い
4回の高巻きを終え、やっと谷が穏やかになった所で竿を出す
期待したとおり、第一投目で良型岩魚が竿を絞った
右の写真はブナハリタケだが、暑さのせいか半分腐りかけていた
▲清冽なゴーロ滝

岩魚釣りの快感は、岩魚を釣るだけではない
30℃を超す真夏日、35℃を超す猛暑日ともなれば、こういう清冽な滝が恋しくなる

滝に近付き、マイナスイオンと滝の飛沫を全身に浴びると・・・
噴き出す汗がスーッと引いていく快感を味わうことができる
真夏日にもかかわらず、良型岩魚は入れ食いで釣れてきた
「これだば、釣りの腕、関係にゃな」
「んだな、岩魚釣りは、腕でなく足で釣るんだから」

ちなみに「釣りと魚のことわざ辞典」には・・・
「岩魚は足で釣れ」「岩魚釣りは距離を釣れ」という格言も掲載されていた
岩魚釣りのことわざその2・・・「岩魚釣りに名人なし」(「釣りと魚のことわざ辞典」より)

 氷河期の後退期にボヤボヤしていて川に置き去りを食らった岩魚は、その名残で川の最上流域に棲んでいる。水量は少なく水は冷たいから、主食の水生昆虫が満足に育たず、岩魚は常に飢えとの闘い。そこで餌を見つけると執拗に追い回し、食い損ねて釣り落とされ少々痛い目に遭っても、また直ぐ針に掛かり「馬鹿な魚よ」と陰口を叩かれる

 渓流マンの間で取り沙汰されるような難しい釣技は一切不要「ヤマベ釣りに行ってイワナを釣るのは素人」とまでいう。北海道では、里川でヤマメに混じって釣れるし、外道扱い。その気になれば、それこそ「湧く」ように釣れる。

 岩魚釣りに対して、この極めて低い評価は、渓流魚の宝庫・北海道の釣り人たちの評価である。言わば外道扱い的な評価とも言えよう。ちなみに、北東北のブナ帯では「主食の水生昆虫が満足に育たず」という表現は×。むしろ渓畦林の豊かな谷は、水生昆虫の宝庫である。

 北東北でも、人跡稀な源流ともなれば、それこそ「湧く」ように釣れることも確かである。まして、雨後の笹濁りともなれば、「馬鹿な魚よ」と疑いたくなるほど釣れる。そんな場合は、逆に「釣欲」を失うこともある。

 しかし、釣り人の激戦区ともなればどうか。スレた岩魚たちは、あの手この手で攻めてもなかなか釣れない。これほど警戒心の強い魚も稀であろう。例えば、釣り堀では、ニジマスは「馬鹿な魚よ」と言いたくなるほど釣れるが、岩魚はなかなか釣れない。
岩魚釣りのことわざその3・・・「岩魚の朝寝坊」(「釣りと魚のことわざ辞典」より)

 上流に棲む岩魚の環境は冷たいので、陽が高く昇って渓が明るくなり水がぬるみかけてからがいい。朝駆けを狙うのは愚の骨頂という意味。
 果たしてこのことわざは、正しいのだろうか。魚釣りは、一般的に朝夕まずめと言われる。岩魚も同様の傾向がある。特に毛バリ釣りでは、朝夕まずめ、曇りの日は一日中釣れる。だから「朝駆けを狙うのは愚の骨頂」とは断定できない。

 だからといって、「日中はエサを追わない」などということもない。過酷な源流に生息する岩魚は、エサを食い損ねると、「死」に直結する世界だ。そのことを考えると、時間帯はさほど気にする必要はない。特に魚影が濃く、場荒れしていない沢ならば、時間帯は全く気にする必要はない。
岩魚釣りのことわざその4・・・「岩魚は山を釣る」(「釣りと魚のことわざ辞典」より)

 本州の岩魚は渓流釣りの域を越えて「山釣り」になる。獣道を辿り、藪をこぎ野宿も覚悟。釣り+沢登り+登山+ロッククライミング+ビバーグの知識と技術がなければ思うように釣れないので、山が釣れるようになったら岩魚も釣れる。
 水の源は山である。その源流域に生息する岩魚を釣るとなれば、野営覚悟で挑むほかない。そんな源流の世界は、釣りの技術だけでなく、沢登りの技術、野営の技術、山菜・きのこ採りの技術がなければならない。だから、渓流釣り、あるいは源流釣りでもしっくりこない。「岩魚は山を釣る」というイメージで、「山釣り」と称している。
 仲間二人が釣り上げた岩魚の写真を見ればお分かりのとおり、8寸〜尺クラスの岩魚が入れ食いで釣れた。釣りキチ小玉氏は、釣る度に「岩魚も馬鹿だな」を連発したほど、岩魚の活性度は高かった。
 過去の天気を調べると、8月は記録的な少雨と真夏日が続いた。9月に入ってからも、8日まで30℃を越す真夏日が続き、超渇水状態が続いた。その後、一転、二日間ほど雨が降った。その恵みの雨と沢の増水、減水による水位変動で久々に大量のエサが流れたのであろう。

 故に、岩魚の活性度は極めて高かった。さらに、釣り人の歩いた痕跡がほとんどないのもラッキーであった。
▲猛毒トリカブトの花 ▲気温が高く、焚き火は暑すぎた

トリカブトの花は咲いていたものの、「高温少雨」で葉は枯れ元気がない
沢沿いのダイモンジソウの白花もまばらで、全体的に元気がない
森の恵み「キノコ」に至っては、ほとんど見当たらない

元気が良いのは、岩魚のみといった感じであった
それでも焚き火を囲み、岩魚のフルコースを肴に源流酒場は盛り上がった
山にくれば、いつもより早く寝て、夜明けと同時に起きる・・・これは山での鉄則だ
下界では、いくら真夏日が続こうと、岩魚谷では朝晩冷え込むだろうと予想していた
そのための着替えも準備していたが・・・
実際は夜になってもなかなか気温が下がらず、シュラフがいらないほどだった

まるで8月の山釣りと何ら変わらない感じであった
違うのは、アブが姿を消していたことぐらいか
だから、谷を流れる清冽な水が一際恋しく、美しく見えた
二日目も快晴で30℃を遥かに上回る真夏日・・・
できるだけ沢通しに歩き、マイナスイオンと冷たい飛沫を浴びて上流をめざす
天然クーラーの谷は、暑いほど清涼感に溢れ、天国を歩いているような快感に浸る
二つの滝を安全に高巻くには、ピンソールが必携だ
渓流足袋にピンソールを装着し、急斜面の泥壁を攀じ登る
人の歩いた痕跡は、ほとんどなく、かつてのルートは消えていた

崖の手前の木に向かって、微かな踏み跡らしきものを辿ると、明瞭な踏み跡に辿り着いた
眼下に滝の音を聞きながら、所々崩れた踏み跡を慎重に辿る
中間部まで来ると、また踏み跡が藪と化していた

二つ目の滝の左岸を巻く急斜面の踏み跡は、下部が滑り落ちてなくなっていた
微かな記憶を頼りに上ると、木の根道に達し、ほどなく滝上に降り立つ
滝上は、人跡稀なゴルジュと滝が連続する険谷だけに期待は膨らむばかりであった
S字状に曲がりくねったゴルジュに懸る滝壺・・・その淵尻に毛バリを落とす
尺クラスの岩魚が毛バリをくわえて反転・・・道糸に付けていた目印が上流に走った
岩魚を引き寄せる途中、別の岩魚が目印に向かって追掛けてきた

この滝壺には、かなりの岩魚が潜んでいるようであった
今度は滝の落下点近くに振り込み、8寸クラスの岩魚を釣った
釣り人の空白地帯は、実に忙しい
竿を出したと思えば、すぐに滝とゴルジュが現れる
その度に竿を畳んでは、巻きを強いられた

最大の難所は、岩が滑り台のようになった狭いゴルジュ
水量が多いと、簡単には突破できない
滑り台の真上の細木に捨て縄が残っていた

そこに10mのザイルを結んで突破する
今回は、水量が少なかったので意外に簡単に通ることができた
数回の巻きを終えると、やっと穏やかとなる
今日は、30℃を超える真夏日連続三日目・・・
沢を歩いていても汗が滴り落ちるほど蒸し暑かった

さすがに岩魚も、昨日の食いとは違って、大物ほど反応が鈍かった
毛バリには、良型岩魚が反応するが、小玉氏のエサには何故か一年生サイズがやたら釣れた
ダブルでヒットした岩魚

真夏日が続く谷の岩魚は、水面を飛び交う羽虫を狙っていた
岩魚は、水中を流れるエサではなく、水面を流れる目印に食い付く場合が少なくなかった
そこで相棒は、緑の目印に毛バリを付けて釣り始めた

すると、まず水中を流れるエサに岩魚が掛かった
ほどなく、水面で動き回る目印に付けた毛バリにも岩魚が掛かった
何と岩魚がダブルでヒットしたのだ・・・こんな珍事は初めて、心底驚かされた
午前11時過ぎ、上二又に達する
余りの暑さに、全員がバテバテ・・・昼には早いが昼食とする
メインの料理は、釣りたての岩魚の刺身・・・
▲岩魚2尾の極上刺身

釣りたての刺身は、赤味を帯びた旬の色艶、コリコリとした食感が抜群
こうした天然岩魚の極上刺身を味わえるのは、釣り人の特権である
冷飯にお茶漬けと熱湯を注ぎ、昨晩焚き火で燻した塩焼き岩魚と刺身で腹を満たす

山の恵み・岩魚に感謝、感謝!
昼食後は、岩魚の毛バリ釣りを楽しんだ
岩魚の反応は、エサよりもすこぶる良かった
しかし、悪いことに強い陽射しが真正面から射し込み、毛バリや目印が良く見えなかった

合わせのタイミングは、岩魚のアタリが手にコツコツと伝わってきてから合わせても遅い
岩魚は毛バリに違和感を感じ吐き出してしまうからだ・・・それで何度空振りしたことか

毛バリを自在に動かし誘いを掛ける場合は、岩魚が出たらラインを送り込む動作が必須だ
そして一呼吸おいて合わせる
しかし、毛バリが見えないようでは、この操作はできない
ラインを緩めて、自然に流す場合はどうか
私の場合は目が悪く、よく毛バリを見失うので、ラインに二つの目印を付けている
その目印の動きで合わせている

しかし、強い陽射しが正面から射し込めば、その目印さえ見えなくなる
そういう最悪のパターンであった
しかし、いくら空振りしても、毛バリに盛んに反応するのは分かるので楽しい
激痩せの蛇岩魚

上の岩魚のサイズは尺クラスだが、頭だけが大きく、極端に痩せていた
水中をクネクネしながら泳ぐ姿は、まるで蛇のように見えた
釣り上げた岩魚の1割程度は痩せた岩魚であった・・・いつもより異様に多い

これは、魚影が濃い割に、「高温少雨」により流れるエサが少なかったためであろう
激痩せ岩魚は、食材として不適・・・写真を撮って、すぐさまリリース
▲竹濱毛バリを丸呑みした岩魚
▲ヒラタケ

帰りは、マイタケの気配を探るべく、杣道ルートを辿った
真夏日が続く「高温少雨」・・・当然のことながらマイタケの気配はゼロ
収穫は、倒木にわずかに生えたヒラタケのみ

歩く人が稀な杣道は藪と化し、暑苦しさは200%・・・
滴る汗が眼に入り、汗を拭いたタオルは絞れば落ちるほどだった
1時間半ほどかけて、沢に下りた瞬間、全員バテバテ・・・沢に座り込んだまま、声すら出なかった

 マイタケが発生する温度、今年は豊作か?

マイタケの原木栽培では、発生温度が16℃〜22℃、発生時の湿度は90%以上
一般に、秋、気温が20℃を切る頃から発生が始まると言われる
まだ最低気温が20℃を上回る日々が続いているので、発生が大幅に遅れているのであろう

ちなみに暑い夏は豊作とも言われる
マイタケの研究によれば、菌糸は24℃〜32℃が最も活発に増殖するという
しかし、35℃以上の猛暑になれば菌は死滅するのだろうか

実験では、40℃以上と10℃以下では活動を停止するが、死滅することはないようだ
今年の大きな問題は、雨が極端に少なく、残暑が極めて長かった点だ
これが吉と出るか凶と出るか・・・それはマイタケ菌だけが知っている

参考までに「日照りの年はトンビマイタケが豊作」と言われるが、格言通り「豊作」になった
「復刻版 横井庄一のサバイバル極意書」(BE−PAL2012年10月号付録)

 東日本大震災以来、生きる力、知恵が見直されている。そんな中、故・横井庄一さんの究極のサバイバル生活が注目されているという。 彼は、日本の敗戦を知らず、グアム島で28年間逃亡生活をしていた。昭和47年1月24日夕方、川にウナギとエビ用のウケを仕掛けにいく時に、現地の人に発見され日本へ帰ってきた。

 その時の第一声が・・・「恥ずかしながら帰って参りました」は、今でも私の耳が記憶している。彼が残した「サバイバル極意書」には、現代人がとうの昔に失った野生の感覚生きていく上で大切なものは何か、知恵と工夫で生き抜いた極意が記されている。(平成9年、82歳で死去)

 私たちが、山釣りに惹かれるのは、横井庄一さんのような野生の遺伝子が騒ぐからだろうか。

 火は宝物

 (竹をこすり合わせて)初めて火がおきた時は、うれしくなって、まるで道端で100万円拾ったような気持になったよ。火は宝物だった。体を温めてくれるし、モノを食べやすくしてくれた。そして、いつも心をなごませてくれた。火はありがたかった。
 サバイバルは食べ物が一番

 食料に困るというのは、これは一番つらいことだ。・・・あの島では、金やダイヤモンドをいくら持っていてもクズ同然で、まったく価値がなかった。戦闘の激しかったころはともかく、逃げ惑う生活になってからは、銃や弾薬はさほど貴重なものではなく、それよりもヤシやパンの実の方が価値があったよ。・・・

 ウナギやエビや豚も食べたが、一番のタンパク源は、野ネズミと毒ガマガエルだった。・・・捕まえたカエルは、川の水の中で、クビを切って血を流し切る。血に毒があるから、こうして血抜きをすれば食べられるんだ。少しでも血の気が残っていると、ひどく苦い味がした・・・

 毒草の見分け方

 よく山菜採りにいって、間違って毒草を食べて死ぬ人がいるが、あたしの場合は、いま思えば異常なほどの用心深さで生きていたわけで、なんとなくカンで毒草はわかった。それでも失敗する危険性があるので、あたしは必ず虫や鹿が食べるのを見て、毒がないのを確かめて食べた・・・

 どんな野草でも煮出してアクをとって食べた。うまくなんかないよ。栄養として食べるだけで、食べ物を美味いとかまずいとかで食べるようなことはあまりなかった。しょうがないよ。そうしなければ生きていけなかったんだから。
▲岩魚の蒲焼

 塩は全くなし

 塩はまるでなかった。初めの頃は不安だったよ。塩を摂らなければ生きていけないと思っていたから。しかし、どうやっても、あのジャングルの中では塩は手に入らなかった。海に行けばというが、それは危険過ぎた。だから、塩はあきらめちゃったんだよ。

 それで何かを食べるたびに「動物は塩なんかかけて食ってはいない」このことを頭の中で繰り返すのが習慣みたいになってしまった。天然モノの中に、少しでも塩分があるに違いない。そう信じることにしていた・・・塩をことさら食べない野生の動物と同じような生活に近付いていった。
 水は貴重

 人間が生きていくのに一番なくてはならないのは、空気と食料と水だろう。その中でも水は貴重だ。食料を失った時など、いつもあたしの支えになったのは「水さえ飲んでいれば、10日は生きられる」だった。・・・木の実や魚が捕れなくて食料に困った時だって、水と空気だけはたっぷりあった。・・・水にはいつも助けられてきたよ・・・

 グアム島ってところは、水は豊富だった。川はあるし、地下を1mも掘ると水が出た。・・・竹ヤブの下は、水が豊富にあった。最後に落ち着いた穴倉は、この竹ヤブの中に掘った。その穴倉のそばには、小川も流れていたし、好きな時に水を汲んでこられた。そんな時は、周囲に生えている竹で作った水筒を使った。
 グアム島の水は、生水が×で必ず煮沸して飲んでいたという。これに対して、岩魚が遊ぶ山間の渓流水は、生水をゴクリと飲める。さらに渓流の所々に湧水があって、それをコップに汲んで飲めば最高に美味い。山釣りの世界の素晴らしさは、冷たく美味い天然水が無尽蔵に流れている点にある。
 川に生かされたサバイバル

 川というのも、あたしを生かしてくれた・・・穴倉の中にじっとしているのは、たまらなく暑い。湿気はあるし、3日も火をたかないでいると、そこら中にまっ白いカビがはえてくるほどだった。夜は蒸し暑かった。だから、3度も4度も水浴びに行った・・・毎日の水浴のおかげで、あたしは皮膚病にならずにすんだ。あの皮膚病というのは、つらいんだよ。消耗するんだ・・・

 川はあたしの健康にとって、なくてはならないものだった・・・そばに川が流れているというだけで、何か心が休まるようなところがある・・・川はいいもんだよ。水が手に入るし、また、川は足跡を消してくれる。解体した動物の血を流してくれるし、毒ガマの毒も流してくれた。そしてジャングルとともに、食料を与えてくれた。川からエビやウナギが捕れたんだ・・・

 あの島では、水にいつも助けられた。水は、使いたい時にはいつもふんだんに使うことができた。あたしの苦しみや、つらさもみんな、あのタロフォフォ川の水だけが知っている
 現代人は困り方が足りない

 この頃の人は、困り方が足りないんだと思う。だから、くだらないことで甘えるんだよ。子どもだってそうだ。学校で暴れる子供なんていうのは、小さい時から甘やかされて、ちょっと困るとワーッと騒ぐんだ。子供なんて最初はムクなもんで、生まれた時から暴れてやろうなんて思ってない。要するに親とか、世の中が甘やかすからなんだね。本当に困り方が足りないんだと思うよ。

 困り果てた時、神や仏が助けてくれる

 心底困り果てた時は、決まって神や仏が助けてくれるものだと思う。本当に困らないと助けてくれない。あたしの場合は、何度も、もうダメだと思うような時があったが、その度に、不思議に神や仏が助けてくれた。ひらめくっていうか、どうしたらいいのかを教えてくれるんだよ。自分の力だけじゃない。本当に困り果てた人間には、神や仏が知恵を浮かばせてくれるんだと思うよ。
▲最終日はフェーン現象で最高気温36℃、9月の最高記録を更新した

 身近な敵・・・B29みてぇな蚊
 
 一番身近で小さな敵といえば、虫だ。蚊とかダニとかゴキブリといった、害虫ってヤツだよ・・・穴倉に来る蚊は、主にジャングルにいる蚊でこいつが手強いんだ。B29みてぇなヤツなんだよ。煙でいぶしたぐらいじゃ逃げていかねぇんだ・・・夜になって、気温が下がるとやってくるんだよ。B29が。

 穴倉の中じゃまっ裸で寝るもんだから、蚊にとっちゃ、こんなに刺しやすいヤツはないわけね。もう寝られたもんじゃない。真っ暗な穴倉の中で、ジッと息を殺して、蚊のブォーンていう音を追掛けて、体のどこかに止まるのを待つんだ。そうやって一匹ずつつぶすしかない・・・あんまり刺されたで、蚊の免疫ができちゃったよ。

 身体は進化する?

 あたしは、よく手が大きいって言われる。耳も大きいって言われるんだよ。初めからそんなに大きかったわけじゃないんだ。手も耳も大きくなっちゃったんだよ。目だって、年になって、眼鏡なしで新聞が読める。それもこれも、ああいう生活を長く続けたで、自然にそういうふうになったんだと思うよ。
 いいことは、いつまでも続かない

 あたしは帰ってきて、スーパーなんかの食料品の山などを見るようになって、まあホッとする気持ちも当然あったが、それよりも、こんなことがいつまでも続くはずはないという気持ちの方が強かった。

 ・・・あたしは、「いいことはいつまでも長続きはしない」ということを身に沁みて体験させられたせいか、帰ってきて・・・おぼれてはイカンという本能的な警戒心が働いたんだ。だから、心して質素に暮らそうと思った。・・・いつまでもいいことは続かないよ。本当だよ。
 おかしくなった日本人

 あたしが帰ってきた翌年の昭和48年に石油ショックというのがあった。・・・あたしの家の近所のおばさん連中が、洗剤やらトイレットペーパーを買い込んだりした。どうしてそんなにあわててスーパーに駈け込んで、ちり紙を買い占めたりするのか理解できなかったよ。はっきりいえば、アホじゃないかと思った。ちり紙なんか、なくなったらなくなったでいいじゃないか。

 昔なんか新聞紙でふいていた。だからあたしは、近所のおばさんにいったんだ。古い浴衣の切れっぱしでちり紙代わりにして、それを洗って使えば1年ぐらいは使えるってね。しばらく見ないうちにずいぶんおかしな日本人になっちゃったと、その時は思ったよ。

山釣り紀行TOP

inserted by FC2 system