細い半枯れのミズナラ、サカリの舞茸、旬のマスタケ、大当たり、ナラタケ、天日干し、感激、生き方の研究 |
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舞茸採り4回目でやっと舞い踊る「舞茸群」に当たった 森に咲く舞茸たちが一斉に両手を挙げて舞い踊り始めた・・・その光景は圧巻である 苦労を厭わず追い掛けていると、必ずや狂喜乱舞するような夢の感動を手にできる 昨年は、閉塞性動脈硬化症でろくに歩けず、舞茸採りはほとんどできなかった 一転、今年は舞茸の出が極端に遅く、苦戦続きだった それだけに、4年前、マグレで当たった巨大舞茸に匹敵する感動、感激を味わうことができた |
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▲サカリの舞茸、右奥にも株が見える このまま楽な尾根歩きをしているようでは、恐らくゼロに終わるだろう 作戦を切り替える・・・踏み跡の少ない難所の脇尾根を探し当て下ってみる ない、ない、ない・・・ここでふと思い出す 舞茸激戦区では、意外に見過ごされやすい細いミズナラが大穴だという 切れ落ちるような東側斜面に、踏み跡が全くない細い半枯れのミズナラがあった 急斜面の柴をつかみながら下る ミズナラの右の根元に舞茸の株が飛び込んできた 「おおっ、あったどぉ〜」 まさに苦労が感激に変わる瞬間である 上に1株、下側を覗くと・・・ある、ある、3株、小株も少々 やっと、やっと当たった・・・心の中でまずはガッツポーズ これまで苦戦続きだっだけに嬉しさがこみあげてきた こんな時こそ一眼レフデジカメの出番なのだが・・・ 残念ながら雨の予報だったので、サブのコンパクトデジカメしか持参していなかった なぜか万全の態勢で臨むと、不思議なほど当らない でも、ハードな舞茸採りでは一眼レフデジカメは重くかさばりすぎる フットワークを優先すれば、やはり高性能のコンパクトデジカメがベストだと思う |
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傘が開き、縁の白線が細くなったサカリの株である ここまで成長したということは、誰にも発見されずにいたことは確かであろう 周囲を丹念に観察しても、踏み跡は皆無であった 黄色の風呂敷の上に採取した株を集める それを眺めながら、持参したジュースで喉を潤す これより下は崖で下れない 一旦上り返して、次の脇尾根にトラバースしてから下る 相変わらず馬の背のような細尾根だが、かすかに舞茸道がついていた |
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▲ミズナラの巨木に生えた若いマスタケ このマスタケは、ちょうど耳たぶのように柔らかい旬のマスタケであった 採るか、採るまいか悩んだが、このキノコは重過ぎる 今日の本命はあくまで舞茸ではないかと、自分に言い聞かせるようにして撮るだけにとどめる |
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▲猛毒ツキヨタケも旬 | ▲花崗岩を抱くキノコ木 | |||||||
日当たりが良くない西側斜面を眺めると、ミズナラの巨木が連なっていた その巨木群を渡り歩くように舞茸道がついていた そのうち一本の木は、誰かが大量に採取したと思われるキノコ木があった よく観察すると、残していったマメとサワリがあった 先ほどサカリを数株採取すると、こういう小さな株には食指がのびない 当然のことながらパス・・・ それにしても、この周辺はベテランの舞茸採りが頻繁に歩いているようだ 諦めかけて下る 崖の横を下ると、谷側に向かってキノコ木らしき巨木が数本連なっていた それらを丁寧に廻るも、気配なし 斜面を観察すれば、対岸から急斜面を際どくトラバースしてきた舞茸道があった その斜面で唯一足跡のないミズナラが一本だけあった これまた意外に細い半枯れのミズナラであった |
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幹の左下を見ると・・・「おっおっ、あるではないか」 右に回り込むと・・・「おっ、2株か」 そして上を見上げて思わず絶叫しそうになった |
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夢にまで見た舞茸の株が群れをなして生えているではないか 金で買えない感激、感動とは、まさにこんな瞬間を言うのである けれども、この感動を記録する肝心かなめのサブカメラでは、レンズが暗く、遠近感に乏しい ならばフットワークを生かして360度回りながら撮影するほかない 天然舞茸の生え方は、同じものが一つもないほど千差万別である 中でも今回は、実に絵になる生え方だと思う 無駄な空間がほとんどなく、上側に集中して生えている点が素晴らしい |
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「舞茸」とは、本当に良く名付けたと思う 幾つもに分岐した仲間が、天に向かって両手を一杯に広げ、一斉に舞い踊っているように見える それが数株も連なって生えていると、賑やかな「森の祭り」のようにも見える 幸い、ミズナラの上側は、傾斜が緩く比較的安定していた 嬉しさを隠しきれず、還暦の舞茸ダンスを踊ってしまった |
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急斜面の一段下に比較的平らな場所があった そこに大風呂敷を広げた 採った舞茸は、25リットルのビニール袋5つに入れて大風呂敷まで運んだ 二年ぶりの大当たり・・・実に壮観な眺めだった 甘い大福餅をほおばり、ジュースで渇いた胃袋に流し込む 幸せの絶頂に浸っていると・・・対岸から熊鈴の音が聞こえてきた |
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こんな時、舞茸プロならどうするか 競争相手にキノコ木が見つからないように、素早く撤収するという それに習い、厚手の風呂敷にきっちり包み、大きい順番に65リットルのザックに押し込む もちろんザックは満杯 日頃、膝痛に悩まされ、何度も注射をうたねばならない通院患者の身には、 少々ツライ重さだったが、これも感激の重さと思えば足取りも軽くなる 「病は気から」とは、本当なんだとつくづく思う それでも感激の舞茸を背負い急斜面から転げ落ちないよう、慎重に下る |
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昨晩の大雨と本日の小雨で、いよいよナラタケの幼菌も顔を出し始めた ただし、草むらの湿っぽい倒木に限られているようだ そんな場所を好むナラタケモドキは、大爆発しそうな勢いであった もちろん、そんな雑キノコに手を出す余裕は全くなかった 崩壊林道近くに来ると、左岸の斜面からヘルメットを被ったマイタケマンが足早に下りてきた 「皆、採られた後でさっぱりだぁ・・・」 私のザックを見るなり、「うぁ〜、すげえなぁ、ザックが満杯じゃないか」 「奥で採ったんだが・・・その舞茸は売るんだが・・・どうやって保存するんだ・・・」 と、矢継ぎ早の質問攻めにあってしまった |
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昨日の大当たりで、今年の舞茸採りは終了しても良かったのだが・・・ 翌日の10月13日(土)には、K相棒と舞茸採りに行く約束をしていた 悲鳴を挙げつつある膝を抱え、かつ雨が降り続く悪天候の中、舞茸山に向かった やっぱ、馬鹿につける薬はない |
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恐らく、手前は前日にほとんど採り尽くされたに違いない 今日は、足で採る舞茸に徹しないと空振りに終わりそうな予感がした そこで最も奥地に位置する舞茸場に向かった 車止めに着くと、早朝の大雨は止んだようだ しかし、杣道を歩いている途中で大粒の雨が降り出した 余りにも暑苦しく、途中の小沢で長袖シャツ一枚に新調したばかりのゴアテックス雨具を着た 本日の舞茸場に着いたのは、車止めから真っすぐ歩いて2時間弱・・・ 藪と化した斜面を少し上ると、右手の斜面際にミズナラの巨木が見えた 雨に濡れた草むらに一株の舞茸を発見、すぐ上にも一株生えていた |
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根の下側を覗くと3株生えていた それにしても幸先の良いスタートであった 急斜面を観察すると、沢からこのキノコ木に向かって一直線の舞茸道がついていた 恐らく一週間前に訪れた時は、マメで残した獲物に違いない 悪いが獲物は早い者勝ち・・・ありがたく頂戴させていただく 以降、幸先の良いスタートは、単なるマグレに過ぎなかったことを思い知らされる 急峻な脇尾根を上りながら探すも・・・ない、ない 降り続く雨は一向に止まず、濡れた藪また藪に位置や方向が分からなくなった |
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見たこともない崖や密藪が突然現れ、ホトホトまいった ヨレヨレになりながら、いつもの歩きやすい脇尾根に辿り着く ブナの根元に座り、ガス欠になった胃袋を満たす このまま下れば、最初の一発で終わる所だった すぐ上に巨大なキノコ木が仁王立ちしていたので、上ることにした すると、ラッキーなことに舞茸に当たった |
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巨木の割には株数が少なく、4株しか生えていなかった それでも傘が開いたサカリの株で満足、満足 結局、脇尾根で舞茸が生えていたのは、それぞれ1本だけ 新たなマメもほとんど確認できなかった これで今年の舞茸採りは終わりになりそうだ |
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昨日、処理しきれなかった舞茸の株を調理用サイズに処理する 根元に張り付いた枯葉や泥を小刀で削り落とし、調理用サイズに縦に裂く その際、どうしても洗わなければならない物と、無洗で保存できる物とに分ける 採るのはいいが、やはり後処理は大変 これが結構手間のかかる作業だ 保存処理まで含めると、延べ丸一日は掛かった 洗った舞茸を冷凍保存するには、水を切るだけでなく、できるだけ乾かす必要がある 新聞紙に重ならないように広げ、扇風機で強制風乾させる 今後、試してみたいのは「野菜乾燥機」・・・これで舞茸も乾燥処理できるのではないか |
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▲舞茸の天日干し 天気が良かったので、三段の網に並べて舞茸の天日干しを行ってみた 干し舞茸を作るには、二日ほど要するという 今回は時間がなく半日で終了したが、かなりスリムに乾燥できた これは、贈答用に良さそうだったので、全て贈答用に配った |
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ブナ・ミズナラ林のキノコ採りの中では、やはり舞茸採りの感激が桁違いに大きい その感激は、山釣りの本命である大岩魚釣りを遥かに凌駕している 感激は、十人十色だが、私にとっての感激は、舞茸採りに勝るものはないことに気付き始めた 舞茸の過去データによると、豊作は三年に一回程度のようだ 2010年が豊作だったので、順調にいけば来年は豊作の年・・・来年に期待したい 「生き方の研究」(森本哲郎、新潮選書) 多くの人々は多忙な毎日を送りつつ、五十歳になったら悠々自適の生活に入ろう、六十歳になったならば、いっさいの仕事をやめて静かな思索の日々を過ごそう、などと思っている。 だが、セネカは問う。君はその年まで生きられるという保証はあるのか。人生はそう計画通りに運ぶと思っているのか。だいたい、自分の魂のために人生の残り物をあてようなどと考えることは、まことに恥ずかしい限りではないか・・・ 人生は短いのではない、とセネカは書いている。「われわれが短くしているのだ」と・・・ 貴重な人生をついうかうかと過ごし、あるいはひたすら利欲にかられ、快楽に溺れて空費している・・・人々は、まるで「永久に生きられるかのように生きている」 |