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これまで経験したことのない大雨、水の確保、谷のご来光、ブナ虫、イワナ冷麦定食、植村直己・最後の世間話
 「これまで経験したことのないような大雨」・・・とは露知らず、8月9日夏の山釣りに向かった。降り続く雨は止むどころか強くなるばかり・・・濁流渦巻く沢には、近付くことすらできなかった。やむなく二又高台にビバーグ・・・イワナなし、地獄の一夜を過ごした。

(写真・・・8月10日朝、谷のご来光)
 二日目は、一転晴れ・・・水位が下がると笹濁りでイワナ釣りには絶好のコンディション。イワナ釣りの世界も、天国と地獄は紙一重・・・まさに「サルでも釣れるイワナ釣り」状態となった。
 天気予報は、前日朝まで三日間快晴の予報であった。ところが出発する前夜から雨の予報に変わった。2013年8月9日午前2時頃、雷鳴と同時に大雨の音で目が覚めた。朝5時、集合時間になると雨も小降りになった。目的の林道に入ると、また雨足が強くなってきた。

 小沢が横断する林道途中の路肩が崩壊、「通行止め」の看板があった。このまま大雨となれば林道は寸断され帰れなくなるだろう。無理をせず、その手前に車を止め着替える。着替えている途中、小沢から溢れた水が林道を走り始めた。恐らく山に大雨が降っているのであろう。

 この時点で選択は二つあった山釣りを取り止め家に引き返すという選択、もう一つは、計画を変更し、川に一度も入ることなく林道・杣道を歩き、最も安全な二又高台にビバーグするという選択である。今回は、後者の計画変更コースを選択することにした。
 雨は一向に止む気配はなく、次第に強くなっていった。横断する小沢や側溝から溢れた水、斜面から新たな滝となって落下した水が林道を川のように流れている。それらが集まり濁流と化した川の流れは、見ているだけで目が回るほど凄まじい。

 山釣り30年の歴史を振り返っても、「これまで経験したことのないような大雨」であった。そんなゲリラ豪雨の最中、ビバーグ地点の二又高台まで歩き続けた。
 雨対策として、ブルーシートを二つ張った。一つは、焚き火と宴会場、もう一つは濡れた衣服を吊るしたり、共同装備品などの物置き場として活用した。

体力の消耗を防ぐポイント(植村直己)

 「極地でも山でも、体を濡らさないことが体力の消耗を防ぐ大事なポイントです。山で濡れたら、おっくうがらずに、乾いたシャツに替えることです。これによって体力の消耗が大幅に違ってきます。だから、替えの下着はどうしてもザックの中に入れておくべきものですね。

 ・・・状況が厳しいときほど、この濡れているか濡れていないかが、大きくものをいってきます。・・・日本の山ですと・・・ちょっと高い山ならば夏でもセーターを持っていたほうがいいと思います・・・下着、セーター、雨具、この三つは必ず持つ習慣をつけるのがいいと思います。」
 今回は、上から大雨、内側から汗で全身がずぶ濡れ状態であった。谷では、大雨の中でも濡れた衣服を乾かす、焚き火を燃やすための対策は、生きるための基本中の基本である。

 沢での雨対策濡れによる体力消耗防止対策・・・ブルーシート、シートを張るメインロープ(ザイルでも可)・PPロープ、物干し用ロープ(ザイルでも可)、焚き火用にノコギリ・ナタ・着火剤・ライター・団扇、着替え用の下着・上着・ズボン・靴下・スリッパ一式、雨具、春と秋はセーター、防寒具、ホッカイロは必ず持つべきである。

 装備品が多過ぎるとの声も出そうだが・・・植村直己さんは、未知の恐れがあるからこそ「できるだけ安全を確保した上で、未知の中へ入っていかなくちゃならない」と語っている。

 最悪の事態を想定して準備をしておけば、少なくとも「不安」はなくなる。そこから「冷静な判断」、「過ちを最小限に食い止める」ことができる
ように思う。これは万が一クマとの遭遇に備えて、クマ撃退スプレーを腰に下げているのと同じである。
飲める水の確保

 濁流となった沢の水は使えない。ブルーシートに降った雨水を集めて鍋に貯めれば、あっという間に満杯となる(右の写真)。それを45リットルのビニール袋に入れて保管すれば、川まで行かなくても料理等何でもできる。さらに滴る雨水で汚れた食器まで洗えるから、考えようによっては雨もありがたい
 昼頃になると小降りになった。雨さえ止めば、水位は下がるはずである。しかし、いくら待っても水位が下がる気配はなかった。気になった副会長が携帯ラジオのスイッチを入れた。そのラジオから聞こえるニュースに仰天した。

 秋田県での記録的な大雨を受け、気象庁は9日午前8時24分、緊急の記者会見を開き、「これまでに経験したことのないような大雨」となっている所があると発表。能代山本地域と北秋鹿角地域では、土砂災害や河川の急な増水、はんらん、低い土地の浸水に最大級の警戒をするよう呼びかけている。

 午前11時までの1時間雨量は、鹿角市108.5mm、仙北市鎧畑88mmの記録的大雨を観測した。秋田県仙北市では午前11時35分頃、土石流が発生し、住宅など計8棟が巻き込まれた。女性1人が重体、2人が重軽傷を負ったほか、一家4人を含む2世帯計5人が行方不明になったという。
 気象庁の特別警報には「直ちに命を守る行動を」というコメントが付いていた。そういう異常事態をいち早くキャッチするには、携帯ラジオが唯一の情報源であることを改めて思い知らされた。二又高台は、最も安全な場所であり、山に避難している感覚で一夜を過ごした。

サバイバル技術は生きる基本を知ること(植村直己)

 「やっぱり、自然の中で原始的な生活を体験してみるのが、人間には必要なことだと思うんです。だから、人里離れたところに小屋を建てて、電気もガスも水道もない条件で、マッチとナイフ一本で生活してみる。ナイフ一本あればいろんなものを作り出せますし、あとは火をおこすぐらいで、サバイバル技術を習得する。

 自然の中に投げ出されると、どうすれば生き延びることができるか。その技術をほんとうに身につけるのは、ある意味では人間が生きていくことの一番の基本は何なのかを知ることになると思うんです。」
▲二日目の朝・・・対岸の石が見えるまで水位が下がり、笹濁りの状態になった。

8月9日降水量MEMO(午前0時〜午後3時)
鹿角293mm、田沢湖鎧畑246mm、桧木内195.5mm、大館130mm、阿仁比立内67mm

田沢湖鎧畑観測所の記録
5時〜6時2.5mm、6時〜7時4.5mm、7時〜8時43mm、9時〜10時84.5mm
11時13分には総雨量が200mmを超えた。
▲8月10日朝、地獄から天国へ・・・谷のご来光

 イワナなしの地獄の一夜を明かすと・・・狭い谷間に光が射し込んできた。まるで聖なる森と水のご来光を拝むような神々しい光景であった。これが地獄から天国へのシグナル・・・「サルでも釣れるイワナ釣り」の前兆であった。
 水量が下がったとはいえ、手前の枝沢は、本流より水量が多く渡渉ができそうになかった。水位が下がるまで待つしかない。真夏の快晴ともなれば気温がみるみる上昇・・・藪の中に入るとムッとする暑さだが、沢に入ると細胞が活性化するのが分かるほど清々しい。その温度差で霧が発生し、森と水の美はクライマックスに達した。
 午前10時頃、水位が下がったのを見計らい対岸めがけて渡渉開始。水位は腰上まであったが、4人のスクラム渡渉は強力・・・難なく対岸に達することができた。しばらく左岸沿いにある杣道を歩き、沢が穏やかな河原から階段状のゴーロに変わる地点から竿を出す。
 水位が下がったとはいえ、今まで見たこともないほど凄まじい水量である。私はテンカラでやってみたが、流れが速くイワナは毛バリに食い付けない。そんな状態ではアタリが分からず、イワナの腹にガラ掛けで釣れる始末・・・チョウチン毛バリで釣る方法もあるが、こんな時はエサ釣りに勝るものはない。
 これだけ水量が多ければ、瀬は×。流れが緩く、水位がある程度深い所がポイント。オモリは3B以上を使い、底石を探るようにブドウ虫を流す。すると、ほとんどのポイントで良型イワナが竿を絞った。
大雨の後、イワナは何を食べていたのだろうか

  右の写真は、イワナの口から飛び出したブナ虫・・・イワナたちは、ブナ虫を口からあふれ出るほど飽食していた。ブナの葉を食べていたブナ虫(蛾の幼虫)は、今回の大雨で大量に叩き落され、雨水とともに流されたに違いない。それをイワナたちは狂ったように捕食していた。

 そもそもブナ虫とブドウ虫は似ている。だから、ブドウ虫をエサにして釣れば、イワナはブナ虫と勘違いするらしく、胃袋まで針を飲まれるケースが続出した。「サルでも釣れるイワナ釣り」とは、こんな異常気象でも発生することが分かる。
▲針を胃袋まで飲まれ、血だらけになったイワナ

 エサ釣りの最大の欠点は、合わせのタイミングが遅くなると、針を胃袋まで飲まれてしまうこと。針外しを使っても、イワナに対するダメージが大きくほぼ100%死んでしまう。特に夏は、イワナの鮮度を保つために生かしておくことが絶対条件だが、胃袋まで飲まれるとイワナ寿司や刺身には使えない。

 だから、エサ釣りで注意を要するのは、針を飲み込まれないような合わせのタイミングである。外れてもいいからできるだけ早合わせを心掛け、上あごに針を掛けるのが肝要である。しかし、ブナ虫に狂わされたイワナを上あごに掛けるのは至難の業である。
▲ベストの合わせで、針をイワナの上あごに掛ける。
▲階段状のゴーロ帯でも稀に深瀬がある。その深瀬で泣き尺のヤマメが釣れた。
▲泣き尺のヤマメ

 ブドウ虫を胃袋近くまで飲み込み、グイグイ竿を絞り込んだ泣き尺のヤマメ。このヤマメも、ブナの森から大量に流れ下るブナ虫に狂わされていたのであろう。
▲聖なる飛瀑がブナの木漏れ日を浴び、神々しいご来光のように輝く
▲早合わせを心掛け、次第に針を飲み込まれない成果が出始める。
▲エゾアジサイ ▲ジャコウソウ
▲口元から腹部、尾ビレにかけて鮮やかな柿色に染まった赤腹イワナ 
▲サルでも釣れるイワナ釣り・・・良型イワナの入れ食いが続く
▲煮えたぎる滝壺でヒットした泣き尺のイワナ

 顔が黒くサビついているので、深い滝壺の底に潜むイワナであろう。
真夏のイワナ鮮度保持法

 釣りが終わったら、生きているイワナの頭を石で叩き野ジメにする。腹を裂き、内臓と背中の血合いをきれいに洗い流す。一匹、一匹、新聞紙にくるみザックに背負う。こうすれば、暑い夏でも、生で食べられるような鮮度を保つことができる。イワナの鮮度を保つには、濡れた新聞紙で包むのが一番である。 
 谷は涼しいが、藪と化した杣道は、ただ立っているだけで汗が出るほど蒸し暑い。そんな中、イワナを背中に背負ってテン場まで1時間半ほど歩く。通常なら鮮度が落ちて刺身には使えないが、新聞紙に包むとご覧のとおり。三枚におろしてイワナ寿司用のネタをつくる。 
▲天然ワサビの根をする ▲シャリに天然ワサビを乗せたイワナ寿司

現地での食べ物(植村直己)

 「日本での日常の食べ物を基準にして考えるだけではダメ・・・現地へ行けば、その現地の食料、現地の人たちが食べているっていうのが、その土地に一番適していると思うんです。

 ・・・エスキモーの人たちと一緒に生活してみますと、日本食なんかを食べていたら、寒くって耐えられなくなる。そうすると自然に肉が食べられるようになるし、また食べなくちゃいけなくなるんです。」 
山や極地に向かうトレーニング(植村直己)

 「トレーニングというのは、走ったり歩いたりして肉体的に鍛えることじゃないように思うんです。一日でも長く現地にいることじゃないかと思うんです。

 ・・・エベレストの場合なんかだと、タンボチェあたりに長くいれば、シェルパ族に溶け込んでいって、それにつれて体も感じ方もヒマラヤ向きになっていく。グリーンランドならば、自分がどれぐらいエスキモーの人たちに近づけるかということでしょう。」
▲三日目の朝は、清流で冷麦をつくる

 清流から離れた高台は、大雨が降るとビバーグ地として最適だが、晴れると、暑すぎて食欲が湧かない。河原の大きな岩をテーブルに清流イワナ冷麦定食をつくる。
▲冷麦を清流で煮る  ▲茹で上がった冷麦を清流で洗う
▲絶品!「清流イワナ冷麦定食」

 清流のマイナスイオンをたっぷり浴びて、清流イワナ冷麦定食をいただく。くそ暑い夏ほど、清流イワナ定食の美味しさがクライマックスに達する。美味い、美味い・・・言うことなし。
 
▲イワナのエサA エゾゼミ
▲イワナのエサ@ 羽のないバッタ ▲イワナのエサB クモ
▲ヒヨドリバナ ▲クサギの花
▲ヌスビトハギ ▲ウバユリ
未知への恐れと冒険(植村直己)

 「やっぱり未知の中にこそ、おもしろみとやりがいがありますね。人のつけたトレースの跡をなぞるのではなく、全然トレースのない世界に足を踏み入れるのでは、感じるものが全く違います。・・・恐れはありますよ。だからできるだけ安全を確保した上で、未知の中へ入っていかなくちゃならない。・・・不安というのはやっぱりあっちゃいけないんですよ。しかし恐れというのは、常に必要だと思うんです。

 ・・・一日二キロしか進めないような乱氷地帯だったり、シロクマの襲撃であったり、一日一日の体験は、やっぱり未知の中にあるものだと思うんです。それを恐れながら、しかし簡単には尻尾を巻かないで、進んでいく。その中に、凄い充実感があると僕は思うんです。」
 「これまで経験したことのないような大雨」を恐れながら、「しかし簡単に尻尾を巻かないで、進んだ結果、凄い充実感を味わった」ことだけは確かである。やはり、偉大な冒険家の言葉は、共鳴するものが多々あるものだと改めて思う。

参考文献「植村直己と山で一泊 登山靴を脱いだ冒険家、最後の世間話」(ビーパル編集部編、BE-PAL2013年8月号別冊付録)

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