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残雪と新緑、雪代、尺イワナ、シドケ、極太ワサビ、ワラビ、ブナ帯の若葉、多様な草花、山の幸
 杣道を歩き、森を見上げれば、まばゆいばかりの新緑、谷に降りると、雪解け水で溢れかえる流れはマイナスイオがピークに達していた。その新緑とマイナスイオンを全身に浴びながらイワナを追えば、年を忘れて元気になる。釣り上げたイワナを岸辺に寄せると、その傍らに咲く可憐な山野草の群れに眼を奪われる。

 よく見るとその花の群れに混じって茎の太いシドケが・・・対岸には白い花を咲かせたヤマワサビの群れ、ミズナラの倒木には春シイタケが・・・何とも忙しく、イワナは10匹ほど釣り上げた所で納竿。山菜採りと新緑、草花の撮影を存分に楽しむ。けれども気温はグングン上昇・・・25度を超える真夏日、噴き出す汗に群がる虫の多さにはまいった。年を忘れて動き回った結果、体力を使い果たしてバテバテになってしまった。
▲旬のシドケ

 朝4時、夜明けと同時に家を出て、車止めには5時頃着。平日で朝が早いので、誰もいなかった。のんびり着替えて崩壊した林道を歩く。目的の沢の入口で渓流足袋にピンソールを装着して、アップダウンの激しい杣道に入る。左足の付け根部分に痛みを感じるのでゆっくり歩いていると・・・後ろから駆け足で歩いてきた地元の人に声を掛けられた。

 「釣りだがぁ」と聞くので、「んだ」と答えた。
 「それだば良がった。おらぁ、山菜採りで、ちょっと上の右の沢さ入るがら。」
 道を譲って「何を採るすか」と聞くと、「シドケだぁ」と言う・・・シドケは旬のようである。

 いつもの巨木の所で荷を下ろし、仕掛けを作っていると、目の前に旬のシドケがあちこちに生えていた。急きょシドケを摘む。
▲雪代で溢れかえるゴーロ滝

 5月下旬というのに谷のあちこちに残雪が目立ち、雪代で階段状のゴーロ滝はいずれも沸騰していて釣りにならない。けれども新緑と残雪の美、雪代水の飛沫を浴びながら遡行するのは、すこぶる楽しい。
 新緑にムラサキヤシオツツジの淡い紅色が映える小滝・・・その真下はイワナの絶好のポイントである。まずは淵尻を探ったが音沙汰なし。次いで奥の底石を探る。ほどなく、エサを見つけたイワナが食い付く。「ツンツン」というアタリが竿を握る手に伝わってきた。竿を上下に煽りながら挑発すると、底石の穴に向かって走った。合わせると意外に重い。
 滝壺から引き釣り上げると、全身真っ黒に錆びついたジャスト30cmの尺イワナであった。第一投目で尺イワナとは・・・実にラッキーなスタートであった。この真っ黒なイワナは何を物語るのか・・・
 今年は谷の雪解けが意外に遅く、今だに雪代が続いている。だから真っ黒な魚体は、越冬から引き続き、暗い穴に隠れていた証である。イワナたちが瀬に出るようになると、この黒いサビもとれるのだが、まだまだ先のようである。
▲タチカメバソウ(立亀葉草)
 渓流沿いの湿った所に群生する。白色の小さな花と、その中心に黄色い点が清楚で美しい。
▲ホンナ(食) ▲コゴミ(食) ▲ヤマワサビ(食)
▲ショウジョウバカマ ▲エゾエンゴサク ▲濃紫色のキクザキイチゲ
 イワナを釣りながら、釣り上げたイワナを撮る。小物はリリース、キープしたイワナは野ジメにしてクーラー製のビグに入れる。念のため、残雪もビグの中に入れる。こうすれば、家に帰ってからもイワナの刺身が食べられるほどの旬を維持できる。
 ゴーロの階段を上っては、新緑と雪代の谷を撮る。草花たちが撮れ、とせがむので、これまた飽きもせず同じような草花に向かってシャッターを切る。山菜を見つけては撮り、ザックの前にぶら下げた買い物袋に入れる・・・実に忙しい。

 気温が高くなると、汗ばんだ顔を中心に虫たちが大量にまとわりつきはじめた。新緑の季節は、防虫対策なしに、谷歩きは不可能である。防虫ネットを頭からかぶったとしても、耳の辺りは刺されるからたまらない。

 ましてや喉が渇いて水を飲もうと防虫ネットをとれば、虫たちが群がり、コップの中まで入ってくる勢いである。ポケットから防虫スプレーを取り出し、顔面に万遍なくふりかけるしかない。人間に害を及ぼす虫だって、花々が咲き誇る新緑が大好きだから共存するしかない。
▲煮えたぎる滝壺の岩陰からヒットしたイワナは、一様に真っ黒にサビついている
▲ミズナラの倒木に生えた春シイタケ

 天然の場合も原木栽培同様、シイタケは春によく生える。しかし、沢沿いを歩くイワナ釣りでは、なかなか出会えない。なぜなら、シイタケが生えるミズナラの倒木は、谷の左右枝沢沿いの尾根筋に多いからだ。今回は、滅多に出会えない沢筋で見つけたのはラッキーであった。

 傘は開いて旬を逸しているが、つけ焼きやバター炒め、肉野菜炒めの具にすれば最高である。しかも天然シイタケは、薬効が凄い。ミズナラの倒木の樹皮に注目・・・倒木に生えるきのこ全てに言えることだが、この樹皮が剥がれてなくなれば、キノコは生えなくなるサインである。
▲オオバキスミレ ▲オオタチツボスミレ
▲顔が黒くサビついたニッコウイワナ

 エサが残り少ないのに、後半、刺身サイズを立て続けに引き抜く途中で落としてしまった。ちょうど10匹キープしたところで持参したエサがなくなった。竹濱毛バリも持参していたが、こんな雪代では効果が薄いだろう。ここで納竿・・・山菜採りと新緑の谷の撮影に専念する。
 ちょうど谷を塞ぐ雪渓があったので、釣り上げたイワナを雪渓に穴を掘ってデポする。陽当たりの良い斜面のヤマワサビは、葉も茎も大きく伸びて旬を逸していた。上流部の撮影と、旬のヤマワサビを求めてゴーロの階段を上った。
▲ブナの新緑  
▲エンレイソウ ▲エゾニュウ(食) ▲ダイモンジソウの若葉(食)
▲ミヤマカタバミ ▲サシドリの若芽(食) ▲白のキクザキイチゲ
▲萌え出たばかりのイチゲ ▲マムシグサの若芽 ▲ネコノメソウ
▲ワサビの白花・・・白色で小型の十字状花を密に開く
▲イワナの刺身用に欠かせない天然の薬味「ヤマワサビ」

 足首の捻挫で、このワサビ沢に来るのがいつもより一週間ほど遅くなった。故に、いつもより雪解けが遅い源流部で採取してみた。すると、偶然、渓流の傍らからコンコンと湧き出す場所を見つけた。そこに生えていたワサビの根の太さにビックリ・・・刺身の薬味用にいつもより多い10本ほど採取した。もちろん、醤油漬け用に根を残して茎葉をナイフで刈り取り採取した。
 帰路、小沢沿いに目を転ずると、茎の太いシドケが群生していた。今度は、シドケ採りに夢中になる。思えば、女房は独特の苦味があるシドケが嫌いだから一人で食べるしかない。とても一度や二度では、食べきれないから長期保存を考えた。濡れ新聞に包んでも、生のままだと一週間程度しか保存できない。湯がいて冷水にさらし、食べやすい長さに切って冷凍保存する。こうすれば1ヶ月程度は美味しく食べられる。

 残雪を入れたイワナビグ、ヤマワサビ・コゴミ・ホンナ・シドケの山菜がしこたま重い。しかも、真夏日のような暑さが容赦なく降り注ぎ、体中から汗が噴き出す。汗をかく度に体力を消耗、歩く足がふらつき、危うく古傷の右足を捻挫しそうになった。この年になっても欲を捨てることができない性を恨むしかなかった。
▲ムラサキヤシオツツジ ▲キバナイカリソウ
▲ブナの若葉 ▲ミズナラの若葉
▲クロモジの花 ▲スミレサイシン
▲残雪と萌え出たばかりのパッケ ▲キジムシロ

 車止めに着いたのは、午後2時。まずまずの時間であったが、体力的にはほぼ限界に近い状態であった。ところが、林道を走っていると、伐採跡地があるたびに車が停まっていた。ワラビ採りの車に違いない。気になって長靴に履き替え、伐採跡地の草原に出ると・・・
 あちこちにワラビが顔を出していた。急きょワラビ採り開始。しかし、ワラビが生えている伐採跡地は、太陽の光を遮るものがないから、炎天下にさらされながら採るしかない。ほどなく、着替えたばかりの衣服が濡れるほど再び汗をかきはじめた。このまま採り続ければ脱水症状に陥りかねない。一袋採ったところで止めにする。
 余りに汗をかき、疲れ果てたので温泉に向かうと、里山には早くも朱赤色が鮮やかなヤマツツジが咲いていた。イワナを追い掛けていると、早春の風景が続く源流部と、早くも初夏を告げる里山の風景、この異なる季節の風景を一日で鑑賞できるから楽しい。

 風呂で汗を流し、家に向かう。山の恵みは、山の神様からの授かり物だから決して粗末にしてはならない。だから、どんなに疲れていても、決して女房に任せたりはしない。なぜなら有難さが分からない人に任せると、必ず粗末に扱うからである。
 ワサビの根と茎葉を水洗いする。採り過ぎたシドケは濡れ新聞に包む。ワラビの先端のホダをとり、大鍋に入れ重曹をふりかけ熱湯を注いでアクを抜く。今晩食べるシドケとコゴミを湯がいて冷水にさらす。イワナの腹を割き、塩焼き3匹、2匹を刺身にする。その他5匹は、塩漬けにして燻製用に冷蔵庫にストックする。

 ワサビの根は、ひげ根を取り除き、包丁の刃先で皮を削り取り、目が細かい陶器のおろし器ですりおろす。長期保存用の根は、すりおろせる状態まで下処理した後、一本一本ラップに包み、冷凍保存する。使う時は、凍ったまますりおろして使う。
▲釣りの一日を飾る山の幸

 イワナの刺身は、尺イワナと9寸イワナ2尾をさばく。ヤマワサビを敷き、イワナの刺身を活造り風に盛り付ける。飾りに山で拾ったサクラの花とワサビの花、極太のワサビの根が2本、すりおろしたワサビを添える。山の野菜は、シドケのおひたしとコゴミのマヨネーズ和え。そしてイワナの塩焼きも。

 やはり苦労した分だけ、極楽気分の度合いも深い。
 思えば・・・かつては、マタギに向かって「動物殺し」と罵声を浴びせた動物愛護団体のように、釣った魚を殺して食べる釣り人を自然破壊者のごとく批判する欧米流・キャッチ&リリース派の釣り人や自然保護論者も多かった。

 しかし、山の怖さと山の恵みのありがたさ・・・その両方の体験がなければ、自然に対して「畏敬と感謝の念」も決して生まれない。かくして「自然と人間と文化を考える」看板を掲げて20年ほどになる。当初は、歯がゆい思いを何度も味わったが、やっと日本独自の森の文化・共生の文化を評価する人が増えてきたのは嬉しく思う。

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