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 2016年6月25日(土)~26日(日)、第27回「ブナ林と狩人の会:マタギサミットinさかえ」が長野県下水内郡栄村で開催された。マタギ関係者や研究者、一般参加者など約110名が参加。 テーマは「狩猟と駆除の過去と現在」・・・講演は「シカ・イノシシの捕獲技術」と「秋山郷と秋田マタギ」の二つ、夜は定番の交流会に続いて、二日目は「秋山郷と秋田マタギ」の深い関係を裏付ける秋山郷視察が行われた。

 今年は、全国的にクマの出没が相次ぎ、鹿角市十和田ではツキノワグマによる4人連続殺人事件があった直後の開催であった。しかし、クマやイノシシ、ニホンジカなどの野生動物の脅威や背景については、これまで何度も議論され、警鐘を鳴らしてきただけに、世間一般では最も関心が高いクマ問題については一切話題にされず、意外なほどクールであった。
「シカ・イノシシの捕獲技術」・・・(株)野生鳥獣対策連携センター 上田剛平
 秋田県のニホンジカは、明治~昭和初期に絶滅したが、ここ数年、目撃情報や死亡個体の発見が相次いでいる。さらに、昨年はイノシシの目撃が8頭にのぼり、昨年11月には県北で初めて上小阿仁村にも出没、国内最北の確認例となった。他県では、農林業の被害だけでなく、生態系の破壊が深刻化しているだけに興味深い講演であった。
イノシシの特徴
  • 生後1年半で妊娠・出産。
  • 毎年出産し、一回に平均4頭と多産。
  • 旺盛な成長量と繁殖力・・・条件が良ければどんどん増える。
  • 一旦慣れると大胆不敵になる。・・・クマも一旦人を恐れなくなると、大胆不敵になるように思う。
シカの特徴
  • 母子、母系集団で行動するため、出没すると被害が深刻→うまくやれば一網打尽にできる。
  • 常に慎重に行動し、危険を回避する能力が高い。
  • 見慣れた景色が変化することを嫌う。
  • 木の根や枝、石などの障害物を避けて歩く。
  • 音や光、匂いなどの刺激には慣れると効果なし。
  • 通い慣れた道を繰り返し利用する。→行動を予測して、ワナの設置場所を決めることができる。
  • 確実かつ安全な食べ物が得られる場所を学習し執着する。→継続して餌付けをすることでワナをエサ場と学習させることができる。
ハコワナによる捕獲
  • 設置場所の選定が最も重要。
  • 餌付けで誘因・・・警戒心を解くことがポイント。餌付けを毎日継続することで、ワナをエサ場と認識させることが大切。
  • 餌付いて来たら、ワナの外側にエサを置かず、徐々にワナの奥にエサを集め誘導する。ワナの奥まで安心して入るようになったら、扉の固定を解除し捕獲する。 
ククリワナによる捕獲
  • ねじりバネや押しバネで、対象動物の足など体の一部を拘束して捕獲。
  • シカ・イノシシに気付かれないように設置する技術が必要。
  • 対象動物が確実に足を置く場所の見極めが必要。
  • 設置区域の選定・・・けもの道が濃く、幅が細くなっている。傾斜が緩く、対象動物が逃げることができないような安全な根付けがとれる場所を選定する。
  • シカやイノシシは、石や木の根を避けて歩く→そこしか踏めない場所を選ぶ。
  • 獲物に見えないようにワナを設置・・・バネやワイヤーが見えないように隠し、環境を元通りに復元することが重要。
  • 捕獲開始のポイント・・・常に捕獲できる状態を保つことが重要。一日一回は見回りをすること。ワナやワイヤーが露出していたら速やかに埋め直す。誤作動したワナは放置しない。足跡を観察し、獲物の行動を知ることで、捕獲技術は向上する。
  • 捕獲後の保定作業・・・周囲の安全確認、しっかりと足にワイヤーがかかっているか、根付けが切れないか確認。2人以上で、動物が動ける範囲を計算して保定作業を行う。斜面の場合は、必ず上側から近づくこと。
銃猟の技術
  • 様々な射撃シーンを動画で解説・・・木々が密生した中を移動するシカを撃つのは難しく安全確保も難しい。想定した場所に近づくまで引き付けて撃つとはいうもの、シカの速さに驚かされる。遠距離で、かつ猛スピードで斜面を移動するシカを見事に射止めたシーンもあった。 
「 秋山郷と秋田マタギ」・・・田口洋美(狩猟文化研究所、東北芸工大東北文化研究センター)
秋山郷に秋田マタギが入ったのか?

文献からの検証1・・・北越雪譜(1837年江戸で発行)
  • 「そもそも、熊は猟師が山に入って捕まえたがる最高の獲物である。熊一頭で、大きさで差はあるが、皮と熊の胆で大体五両以上になるから、猟師の欲しがるのも当然である。」
  • 「その価値の高い熊を捕まえようと、春暖かくなって雪の降り止んだころ、出羽(秋田)あたりの猟師が五人か七人・・・彼らの狙いは、この土地の熊である。」
  • この記録から、熊一頭が5両にもなることから、秋田の猟師が旅マタギとしてきていたことが分かる。
文献からの検証2・・・「秋山記行」(1828年新暦10月16日からの記録)

 1828年、越後塩沢の文人・鈴木牧之(1770-1842)は、58歳の時、町内の桶屋と秘境・秋山郷を旅し、1831年「秋山記行」を書き上げる。この記行によると、鈴木牧之が現在の切明(湯本)で秋田マタギと出会い、草津温泉を市場に狩猟や山漁を行っていた様子が詳細に記されている。その際、彼を案内したのが湯本の湯守の主人・嶋田彦八・・・実は、彼も秋田マタギだった。嶋田は彦八を婿養子に迎え、湯本の湯治場の湯守として定着したという。
▲右が雑魚川、左が魚野川。二つの川が湯本(切明)で合流して中津川となる。  ▲秋田マタギと出会った湯本(切明)から中津川合流点下流を望む。
  • 「秋山記行」その1・・・夜になると、約束を違わず、狩人二人のうちの一人が訪ねてきた。年は三十ほどと見え、いかにも勇猛そう。背中には熊の皮を着、同じ毛皮で作った煙草入れ、鉄製の大煙管で煙を吹き出す様子は、あっぱれな狩人と見えた・・・「お国は羽州の秋田の辺りですか」と尋ねると、「城下から三里も離れた山里だ」と答えた。
▲大赤沢 ▲八幡宮(大赤沢)
  • 「秋山記行」その2・・・大赤沢を出て、わずか二軒だけの甘酒村でのこと。
  • 「雪に降りこめられたなら、さぞかしさびしいでしょう」と聞いてみた。女は答える。
    「雪の間は里の人は一人もやってきません。ただ秋田のマタギが時々やってくるだけでございます。」
「島田汎家文書」(1846年)
  • 藩主が好んで行った鷹狩りに用いる鷹を特別に保護する山を巣鷹山と呼んだ。その山を保護するために巣守と呼ばれる人たちが巣鷹山を管理し、人の出入りや木の伐採を禁じていた。藩政時代の秋山周辺には巣鷹山と呼ばれる山が何ヵ所もあった。
  • 小赤沢に近い巣鷹山は、大赤沢の対岸にある高倉山であった。1846年、その巣鷹山に秋山に移住した秋田の猟師が30~40年前から勝手に猟をしているので止めてほしいと巣守の総代が代官所に願い出ていたことが記されている。
秋田藩阿仁銅山掛山における御用焼木生産
  • 銅山の精錬には、大量の木炭が使われた。天保10年10月、請負人7人は、連名で焼木の請負値段引き上げを願い出た。従来の値段では、安くて妻子の養育が不可能。だから他国へマタギ商売に赴いたりする者が後を絶たない。その旅マタギに出る者は、特に打当村と中村の山子に多かった、と記されている。
伝承からの検証4 大赤沢・藤ノ木家系図
  • 初代忠太郎は、秋田県阿仁町打当から来たマタギで、同じく大赤沢の石沢家に婿入りした松之助の父親といわれる。没年、明治15年8月18日、92歳であった。妻は、石沢家本家の娘であった。1826年、当時17歳であった松之助が父親の忠太郎を訪ねて大赤沢の小屋を訪れた。妻は、そのような人は知らないと答えたという。
  • 長男長衛門は、甥や親せきの若い者と犬を連れ、富山県の立山、石川県白山方面にもカモシカ狩りの旅に出ていた。明治期に秋山郷を訪ねた文人長塚節が、この長衛門家を訪ねて話を聞き、その様子などを詩人の伊藤佐知夫の元へ葉書で書き送っている。 
▲秋山郷で最も大きい小赤沢集落
大赤沢・石沢家系図
  • 1809年生まれの松之助は、父の忠太郎を追って秋田から大赤沢を訪ねてきた。彼も石沢家の婿となった。子ども五人の男子は、皆猟師になった。石沢家を継いだ長松の三男文五郎は、小赤沢山田家の婿養子に。彼は「クマ獲り文五郎」と呼ばれ、猟のことなら神様のような人で、秋山郷の猟師組の土台を築いた人物であった。
▲秋山郷の猟師組の土台を築いた「クマ獲り文五郎」
  • 文五郎のエピソード・・・大正3年、小赤沢の鉄砲水で家も家財道具もみな流され無一文になった。新しく家を建てるため、70円もの借金をした。貸し手は「どうやって返すつもりだ」と聞くと「猟をやって返す」と啖呵を切った。その年の冬から春、毎日山に入って、一年もならないうちに百何十円も猟で稼ぎ、借金を返したという。
  • 村人たちは、この一件で猟がどれほど現金収入になるかを思い知らされた。以来、村人の何人かは文五郎の弟子となり、山猟と川漁を学び始めた。
狩猟技術からの検証5
  • クマ曳きは、クマの首と手足に細引きロープを結び、雪の上を曳くのだが、沢を越え、雪の消えかけた尾根を延々と曳く作業は大変な重労働。阿仁のクマ曳きを見て田口先生は、「僕は秋山郷のクマ曳きとまるで同じ姿を目の当たりにして、正直驚いた。秋山郷と阿仁は直線距離でも約500キロも離れているのだ。」 
▲越後千町歩地主・豪農「伊藤家」(北方文化博物館)

そんなに難儀してまでクマ曳きをやる理由は・・・

 熊の胆は高価なだけに昔から偽物が多く出回っていた。だから本物であることを示すために行われたと考えられる。江戸時代の後半になると、豪農、豪商と呼ばれた人たちは、クマを1頭丸ごと買ってくれるようになる。クマが獲れたら、買い手の自宅の庭先までクマを曳いていき、山神様に感謝するケボカイの儀式を済ませてから、本物の熊の胆を取り出した。今では買い手がなくなったけれど、自分たちの成果を村人に示す意味合いもあってクマ曳きという習俗が続けられているのであろう。
  • 山神様に感謝する儀式・・・阿仁打当のケボカイと小国五味沢のカワキセも、ほとんど同じ。
▲小国町長者原のオオモノビラ  ▲阿仁のヒラオトシ 
▲吊り天上式重力罠
  • 秋山記行には、秋田マタギのワナについて詳細に記されている。「獣は夏はワナを仕掛けて獲ります。このワナというのは、1mぐらいの高さに2本の木を立て、横木を結びます。2mぐらいのまっすぐな横木の下に渡して、何本も枝木の上へ並べ、木の端を下の横木にかき付けるには、フジツルなどを用います。また、ワナの上に大きな石を幾つも置き、草木を切って、石が見えないようにふたをします・・・漁小屋の近くに幾つも掛けて置きます。ワナの下の蹴網のツルに足が少しさわりますと、横木に仕掛けがありまして、一度に獣の上に落っこちて、押し殺します。」
  • クマがこの罠に入ると上から重い物が落ちて圧死させる構造だが、いずれもほとんど同じであることが分かった。写真のとおり仕掛けの前にクロスしている棒は「前仕掛け」とも呼ばれている。
  • 「秋山郷に秋田マタギが入ったのか?」に対する答えは・・・それを裏付ける文献の存在、過去帳等から復元した系図と伝承の年代の整合性、クマ曳き等の技術的類似性から見て、1800年代に秋田の旅マタギが秋山郷に定着し、明治から大正にかけて狩りの組織が形成されたというストーリーはほぼ確かなものと思われる。(田口先生は、現在もなお断定はしなかった) 
▲マタギサミット第二部 交流会
▲森川浩市栄村長歓迎のあいさつ
▲乾杯の音頭は、「クマ獲り文五郎」の子孫・福原和人議会議長
  • 交流会の楽しい一コマ・・・右端は、マタギの本家・北秋田市阿仁猟友会松橋光雄会長、左端はアメリカのアイオワ大学准教授スコット・シュネルさん。彼は人類学博士で、伝統的狩猟文化とマタギについて調査しているという。
 来年のマタギサミットは、山形県小国町で開催されることが決まった。次回開催地を代表してあいさつしたのは、山形県小国町猟友会の齋藤重美さん。 
▲今年、巣だったばかりの若スズメ。 ▲ホテルの庭にカケスが二羽遊びにきていた。
農村景観百選「結東(けっとう)の石垣田」

 岩だらけで耕作が難しかった秋山郷で、飢えから抜け出すため明治期に開墾が始まったという。傾斜の激しい法面を大小の岩を積み上げる難工事を経て生み出された美しい棚田。秋田では考えられないような土と岩に刻まれた歴史遺産は感動ものである。
全国名水百選「龍ヶ窪」

 ブナ林と水底の緑の苔が透き通るように見えるエメラルドグリーンの龍ヶ窪は素晴らしい。私たち人間も含めた生き物全てが水と緑に生かされている・・・その原点を思い出させてくれるパワースポット。沼の面積は約1.2ha、湧水量は毎分30トン、日量43,000トン。沼をとりまく広葉樹林の構成種は、高木ではブナ、ミズナラ、ホオノキ、サワグルミ、ハウチワカエデ、ヤマモミジ、トチノキ、ウワミズザクラ、クリなどで、秋田のブナ帯の森と似ていることが分かる。
秋山郷総合センターとねんぼ 電話025-767-2202

 秘境秋山郷の民俗文化を知るには必見の施設である。秋山マタギの狩猟文化、秋山記行、北越雪譜、焼畑農業、苗場山麓ジオパーク関係など。
▲秘境秋山郷の猿飛橋

鈴木牧之は秘境秋山郷を桃源郷のように評している

 秋山は全くの別世界・・・わずか29軒の草屋に、80歳以上の老人が今なお4人もいる。また最近、98歳で天寿を全うした者もいる・・・よくよく考えてみると、我々文明の中で暮らす里の者は、さまざまな悩みを心身にため、欲望をほしいままにし、鳥や魚の肉を食べ散らし、悩みや悲しみで心を迷わして、日々暮らしているのではないか。これでは・・・寿命を縮めるばかりである・・・

 ここ秋山の人こそ神のように長寿である。これは自然のままに生活し、トチの実やナラの実、アワやヒエなどを常食にしている。これは天から授かったこの土地の産物である。その生活ぶりも仙人のように、つつましく暮らして・・・全く鳥や動物と同じ、自然のままの暮らしだと言える・・・できることなら、この私も一度はこの秋山の猿飛橋の絶景に庵を作り、中津川の清流で命の洗濯をしたいものだと思うようになった次第である。 
参 考 文 献
「マタギを追う旅-ブナ林の狩りと生活」(田口洋美、慶友社)
「現代口語訳信濃読み物叢書8 秋山記行」(鈴木牧之、信州大学教育学部附属長野中学校編)
「北越雪譜」(鈴木牧之、諏訪邦夫訳)

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