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第28回ブナの林と狩人の会-マタギサミットinおぐに

 2017年6月24日(土)~25日(日)、「第28回ブナ林と狩人の会-マタギサミットinおぐに」が山形県西置賜郡小国町で開催された。マタギ関係者や研究者、一般参加者など約150名が参加。 テーマは「シカ・イノシシの先端的狩猟及び駆除技術」・・・講演は「シカ・イノシシの銃・わなによる効率的な捕獲技術」と「シャープシューティングとは何か」の二つ、夜は定番の交流会に続いて、二日目は昭和9年に撮影された記録映画「雪稜に熊を追って」の上映や五味沢地区の猟場視察などが行われた。(小国町小玉川地区の熊供養碑から飯豊連峰を望む)
 小国町には、伝統的なマタギ集落が3つある。飯豊連峰の麓にある小玉川(長者原)地区、朝日連峰の麓にある五味沢地区、金目地区である。今回、初めて三つの地区全てを訪問。まず最初に訪れたのは、マタギの郷交流館がある町の南端・小玉川地区である。
 小国町南端の小玉川地区に向かうと、飯豊連峰が霞の奥に一際高くそびえ立っていた。白い雪をまとった2000m級の山々が屏風のように立ちはだかる山並みを見上げると、山全体が「山の神」の権現のように見えた。昔、秋田マタギが、こんなに遠く険しい山々までやってきて、狩猟と山漁を展開していたことを想像すると、驚きを禁じ得ない。
▲二階展示室
▲マタギの文化に関する資料展示は、館の二階にある。

  「小国マタギ 共生の民俗知」(佐藤宏之、農文協)によれば・・・
  • 羽越国境地帯の狩猟者を総称して羽越マタギと呼んでいる。
  • 羽越一帯では、マタギはあくまで秋田からやってくる旅猟師を指して用いられ、自らはマタギとはいわずヤマド、ヤマビト、ヤマンドなどと称していた。
  • 巻き狩り・・・尾根はクマが頻繁に利用している獣道に当たる。クマは通常、人に追われると斜面を移動して最終的には尾根にとりつき、尾根に沿って逃れようとする。その習性を利用した猟法が、春の巻き狩りである。展示の説明文によれば、クマを発見すると、それぞれが定められた位置に散って行き、マキグラが形成される。ムカダテ(向立)の指揮で、狩りが開始され、下の方からセコ(勢子)がクマを追い上げる。それを一鉄砲、二鉄砲、三鉄砲が待ち受ける。
  • クマに対する儀礼・・・地域的に異同が見られるが、山の神様へクマを捕獲した報告を行い、捕獲されたクマの魂を送る儀礼を行うことに変わりはない。
  • 狩猟の世界では、猟場に入ると俗世間で用いられている言葉は使用してはならないとの山の法があり、マタギだけに通用する「マタギ言葉」を使うことや、獲物は参加者全員に平等に分配するマタギ勘定、熊まつりの時には、祭壇にオコゼを供えるなど、秋田マタギとの共通点が極めて多い。
  • マタギは、なぜ意味不明なマタギ言葉を使ったのか・・・千葉徳爾「狩猟伝承」によれば、
    1. ネズミにも狩場の名をいったら獣に教えられることを恐れてのこと。
    2. 山中で野生鳥獣の名を呼べば、彼らに警戒されるのを恐れ、里での動物名は禁ずべき言葉に含まれる。つまり、獣に悟られることを嫌ったと考えられる。
    3. 山中で炊事をし、宿泊していることが精霊に知られると祟りを受けると考えているから、忌み言葉としてマタギ言葉を使ったと推測している。
 秋田マタギとの関係
  • 秋田出身の旅マタギが、売薬行商の名目で昭和30年代まで当該山岳地域に出稼ぎに来ていたことは確かである。
  • 飯豊連峰南麓の福島県の弥平四郎、熱塩温泉、北麓の小国町長者原などには、明治半ばから昭和40年代まで頻繁に秋田マタギの来訪があったとの伝承がある。
  • 飯豊連峰大又沢上流部の右岸には、秋田小屋場という地名がある。その地名は、秋田マタギが狩猟小屋を建て利用していた場所にちなんで付けられた。
  • およそ200年余り前、北小国の金目などでは、秋田マタギと伝えられる狩猟者との交流が100年ほど続いた。南小国では、40年余り前まで、秋田マタギ、あるいはその系譜にある狩猟者たちとの交流があった。
  • 小国地域には、秋田マタギ伝来のカモシカやクマを捕獲するための大型獣用罠の製作及び設置技術、集団の巻き狩り、冬眠中のツキノワグマを捕獲する穴見猟の技術などを現在まで伝承している。
▲秋田県阿仁のヒラオトシ  ▲小国町小玉川地区「ヒラ」の模型 
  • 小国を含む羽越地域に伝承されている「ヒラ」と呼ぶ罠の技術は、秋田マタギから教わったという伝承がある。
  • 秋田マタギの来訪があったとの伝承がある羽越地域や岩手県雫石町、沢内村、宮城県七ケ宿町などに、秋田と類似した重力式罠が存在する。若干の地域的な異同が見られるのは、伝承技術に、地域に適応するような一工夫が見られると、解釈することができる。
  • 小玉川熊まつり・・・昔は熊猟が終わると、仕留めた熊の供養と猟が無事に終わったことに感謝を捧げるため、マタギたちが加持祈祷を執り行う山伏(法印)に依頼して神事を催してきた。現在の熊まつりは、30年ほど前からは町おこしのイベントとして5月4日に開催日を固定して実施している。古式豊かな神事や、マタギが実演する「熊狩り模擬実演」、熊を追う「勢子」に扮して声の大きさを競う「勢子大会」などが行われるほか、名物「熊汁」も販売される。
  • 1Fで録画ビデオ「ダイドードリンコスペシャル 我ら山の神に生かされし民なり 〜小国・小玉川 熊まつり〜」を拝見した。マタギたちの勝鬨(かちどき)「コイズミワー」と言う言葉は独特だが、阿仁マタギがクマを仕留めた時、「ショウブ、ショウブ」という言葉に似た印象を受ける。
  • 模擬熊狩り・・・クライマックスは、勢子たちに追い立てられた熊が山の斜面を駆け上がり、待ち構えていた一鉄砲によって倒されるところ。熊狩りの模様は、全体の指揮者「向立(むかだて)の役」が解説する。苦労して四つん這いになって歩いている熊役に、「おい、熊、立って歩いたらどうだ」などと声を掛けたりしながらユーモアたっぷりに解説する。
  • 山の神を祀る小玉川の鎮守「十二山神神社」・・・神社前のスギの巨木(推定樹齢400年)を見れば、その古さが分かる。 小玉川地区の熊まつりは、300年余りの伝統があると言われているが、ルーツはもっと古いのではないか。
  • 飯豊山荘前にある山の神・・・三つ又のミズナラの根元に、「山の神」と刻まれた石碑が建立されている。マタギの間では、主幹が途中から二つに分かれて三つ又になっている木には神が宿るとされ、むやみに伐採してはならないとされている。小玉川のマタギたちは、この神木の前で、豊猟と安全を祈ってから狩りに出かけるという。 
  • 金目(かなめ)地区・・・ブナの原生林が残る金目川最奥の集落。 
  • 「狩猟の民俗」(佐久間惇一)によれば、「金目、斎藤伝蔵家狩猟文書」には「天保8年正月 秋田根子村 栄助より」という記載がある。「三面村山崎五法事」などの記載自体に「金目の唱えは、伊豆守唱導のものを主としており、それに秋田根子系も入っていた」と秋田マタギが関与していたことが記されている。
  • 大島正隆は、金目のヤマサキ斉藤孫右衛門氏からの聞き取りとして、以前は頻繁に阿仁マタギの来訪があった。彼らは、6、7人連れで山越えにやってくると記している。
  • 五味沢地区については、猟場視察の項で記す。
  • 廃村の寂しさ・・・五味沢に向かう途中、山を越えると小国マタギの習俗と似ている新潟県三面方面の案内標識が目に止まった。その三面林道に入る手前の集落を撮影したのが上の写真。聞くところによると、5年前に廃村になったという。右の家の前には、「幼児とび出し」の小さな黄色い看板が、さらに寂しさを誘う。
  • 車を止めて廃村を歩いていたら、「旅する巨人」と呼ばれた民俗学者・宮本常一さんのメッセージを想い出した。「自然は寂しい」「/しかし/人の手が加わると暖かくなる/その暖かなものを求めて/歩いてみよう」。
  • 自然愛好家にしてみれば、「自然は寂しい」という言葉は理解できないであろう。しかしながら、かつてこの村に子どもたちの元気な声が響いていた頃を想像すると、村が開拓時代とは逆に、自然に呑み込まれる現実に向かい合うと・・・「自然は寂しい」という言葉が心の中までグサリと突き刺さるような言葉の重みにハッとさせられた。
第28回ブナの林と狩人の会-マタギサミットinおぐに
▲小国町 仁科洋一町長、歓迎のあいさつ・・・「人を恐れない新世代のクマが増えている」との指摘があった。 ▲「ブナ林と狩人の会」主宰幹事(発起人)の田口洋美先生あいさつ
  • 「現在、野生動物たちは大繁殖期を迎えている。これから5年間が勝負。絶対に負けられない勝負だ。山形県でもイノシシ、シカが増えている。今日の講演は、先端的な狩猟のテクニカルな部分に絞って解説していただく」 
「シカ・イノシシのわな・銃による効率的な捕獲技術」・・・(株)野生鳥獣対策連携センター 上田剛平
  • シカ・イノシシの基本的な生態から、箱わな、くくりわなによる捕獲、銃による待ち伏せ猟、探索・追跡猟、巻き狩り猟について、実際に撮影された動画を多く使って分かりやすく解説。
「シカの捕獲技術をめぐって:シャープシューティングとは何か」・・・酪農学園大学准教授 伊吾田宏正
  • 「シャープシューティング」とは・・・シカの個体数を抑制する個体数調整の一環としてアメリカで考案された手法で、群れの全滅等を目的とした特別に訓練された射手による高度な狙撃体系のこと。 
  • 捕獲の問題点・・・シカは、胸部の急所に被弾しても、即死せずに数十メートル逃走する。その際、群れの残りの個体は、それにつられて逃走してしまうことが多い。その生き残り個体は、危険を学習してしまうので、それ以降の捕獲が困難になる。
  • 脳を正確に狙撃すれば、即倒する。さらに精密かつ迅速な連射で、群れを全滅させるには、相当な技術が必要である。そのためにカラー(専門的捕獲技術者)を養成する必要がある。
  • 趣味のハンター、専門的捕獲技術者のカラー、マネージャーの役割分担と役割に応じた人材育成が必要である。 
  • クマの爪・・・42歳の時に茨城の会社を辞め、五味沢マタギになった関英俊さんの作
  • 「クマ問題を考える」(田口洋美著、ヤマケイ新書)・・・クマ問題は、秋田で最も注目度が高いテーマ。だから私は、発売と同時に購入し、完読している。狩猟者の確保に関して、印象に残った一文を下記に記す。
  • 「現在、東北地方にはマタギと呼ばれる近世以来の歴史と伝統を有する猟師たちは3千人程度存在すると見込んでいるが、この中で経験に裏打ちされた高度な現場判断ができる猟師は500人程度に減少しているだろう・・・現在、猟友会を支えている熟練した猟師たちは、ほとんど1940年代から1950年代前半に生まれた人たちである。・・・伝統的な技術や地域の山々に関する知識を継承できたぎりぎりの世代である。
  • この人たちが元気な内に、若い新人ハンターが付いて学んでいけば10年ぐらいの経験で相当の知識と技術をものにすることも可能であろう。しかし、現場を差配し安全を保ちつつ大型野生動物と向き合うにはさらに10年という歳月がかかる。この時間の短縮は難しい。バイパスはないのである」
メインの交流会
▲小国町猟友会、遠藤春雄会長あいさつ  ▲乾杯の音頭・・・元マタギの郷交流館館長、伊藤良一さん(森林セラピーアテンダントミーティング会長)
  • マタギの本家「秋田県阿仁猟友会」から4人が参加・・・秋田のクマ問題は、昨年、鹿角市で4人が連続して死亡し、今年の春も1名が死亡している。さらに、小泉潟公園や横手公園、国際教養大学周辺など、人が集まるような場所にもクマが頻繁に出没している。マタギサミットは、2年後、第30回と言う大きな節目を迎える。田口先生によると、その開催地は、クマ問題で揺れる秋田県北秋田市で大々的に行い、猟師たちを激励したいとのことであった。大変嬉しく思う。
▲秋田県阿仁猟友会、松橋光雄会長  ▲阿仁猟友会、マタギ学校講師・鈴木英雄さん(右) 
▲阿仁猟友会、「くまくま園」園長・小松武志さん ▲阿仁猟友会、木村謙一さん(左)
 
  • 交流会で印象に残った人は、小玉川地区の藤田栄一さん。マタギ文化を後世に継承するために、自ら写真を撮り、文章も書くマタギがいることに驚かされた。これは極めて珍しいというよりも、聞いたことがない。名刺には、「マタギ歴50年・・・自然界のバランスが崩れ、増えすぎた熊・猿・カモシカに 人里が脅かされている。マタギ集落の衰退が続く今、誰が何をすべきか・・・」と書かれていた。写文集「マタギの行方」をぜひ拝見したいのだが、在庫がなく絶版とのこと、残念!
記録映画「雪稜に熊を追って」
  • 日本有数の豪雪地帯・山形県小国町長者原(小玉川地区)の熊狩りに同行した撮影隊一行は、雪深い飯豊連峰へと分け入っていく。昭和初期、カメラでも珍しい時代に記録されたマタギ集落の無声動画は極めて貴重だ。
  • 昭和初期、鉄砲は貴重なものであったらしく、ほとんどのマタギは鉄砲ではなく、槍を持っていた。田口先生によると、この地域に村田銃の威力を伝えたのは、秋田の旅マタギであったという。
  • 平成29年度秋の特別展「熊と狼-人と獣の交渉誌-」・・・東北歴史博物館の村上一馬さんから、共に人に危害を加える熊と狼の特別展を開催する旨のPRがあった。開催期間は、9月16日~11月19日。関連企画として、10月15日(日)、「旅マタギを検証する」(講師:田口洋美)と題した記念講演も行われる。入場無料。 
  • 2018年6月23~24日、第29回の開催地は、山岳修験の霊場として信仰を集める出羽三山の表玄関に当たる山形県鶴岡市羽黒町に決定。マタギ文化に大きな影響を与えたものは、山岳修験、里山伏だけに魅力的な開催地である。
  • 山の神を祀る五味沢の鎮守「十二山神神社」・・・集落には、背後の山から5つの沢が流れていることから、5つの味がする沢と言う意味で「五味沢」になったという。
  • 釣りバカに人気の荒川・・・五味沢沿いの荒川を走り、車止めになっている地点が朝日連峰登山口であった。その手前にテントを張っている人もいたが、恐らく釣り人たちであろう。登山口上流に、荒川に架かる吊り橋がある。何度か山釣りの雑誌で見たことのある吊り橋であった。何と、私が写真を撮っている最中に、二人の釣り人が吊り橋を渡って上流へ向かった。さすが、昔から釣りバカたちに人気の名渓である。
  • イワナとマタギ・・・イワナ釣り師の活動エリアとマタギの活動エリアは、どこでもほぼ重なっている点がオモシロイ。ブナ林帯は、昔から野生鳥獣とイワナの宝庫であった。だから秋田の旅マタギは、狩猟と山漁の両方をやっていた。さらに言えば、魚止めの滝上にイワナを移植放流した者は、ほとんどがイワナ好きなマタギたちである。そんな歴史的経緯を考えると、イワナ釣り師とマタギのフィールドがほぼ重なっているという事実は、ごく当たり前のことなのだが・・・それを知る人は少ない。
  • 五味沢の民宿・・・私は五味沢の民宿「住の栄屋」に分散して宿泊した。民宿の中には、荒川で釣り上げた50cmオーバーの大イワナが飾られていた。「山菜料理と釣りの宿」となっているとおり、イワナ釣り師たちに人気の宿らしい。
  • 同じ部屋に泊まったのは、何と東京から来た高校一年生・・・坊主頭の高校一年生にしては、余りにもマニアックな「マタギ」に興味があるという。ただ興味があるだけでなく、今年の春に、わざわざ秋田県阿仁町を訪問、マタギ学校講師の鈴木英雄さんや「くまくま園」園長・小松武志さんなどから、直々に指導を受けたという。その際、毎年開催している「マタギサミット」に、一般の人でも参加できることを知り、今回参加したとのこと。
  • それにしても、その行動力、マタギのことに関してもやたら詳しく、質問する内容も鋭い。今、世間を騒がせている中学生棋士・藤井四段のマタギバージョン登場か、と思わせるほどの驚きと嬉しい出会いであった。将来は、林業に従事しながらマタギ修行をしたいとのことであった。ぜひその夢に向かって頑張ってほしい、とエールを送りたい。
五味沢地区猟場視察
  • 出猟前は、必ず「山の神」に祈願・・・猟場に向かう際は、必ず山の神に猟の安全と豊猟を祈願する。その山の神(巨岩)は、石滝川沿いの林道を走る途中の左手に鎮座している。その巨岩には、「山神」と、薄い赤色で刻まれていた。
  • 石滝川源流から金目川源流に向かう尾根越えトンネルを抜けると、風景は一変する。モクモクとうねるようなブナの原生林が目の前一面に広がっていた。
  • 五味沢、金目地区の猟場(おぐに白い郷土の森)・・・朝日山麓の金目川源流部、小枕山東南山麓の通称「在所平」と、金目川左岸の旧「塩の道」沿いの通称「ヨモギ平」周辺一帯(標高約400~800m)の区域は、見事なブナの原生林に覆われている。そのほぼ全域が135年生以上の天然林で、このうちブナが9割を占めている。
  • この森に占めるブナ林の密度の高さは、白神山地と良く似ている。それほど広大なブナの森を俯瞰していると、ブナは「雪の申し子」と言われるとおり、日本海側の豪雪地帯に適応した樹木であることに納得せざるを得ない。
  • 五味沢マタギの齋藤重美さんの解説によると、正面の山が五味沢地区の猟場、その下流が金目地区の猟場だという。春、ブナが芽吹く前は、平らな「塩の道」ルートがはっきり分かるらしい。春グマ猟は、4月10日から5月の連休までの約1か月間である。
  • 遠藤春雄会長・・・今は、クマとの距離が300m、あるいは500mほど離れていても射止めることができる。だから巻き狩りが衰退しつつあるが、巻き狩りは、クマに対して人間の怖さを教える効果があるので、この伝統的な巻き狩りは絶やさず継承してほしいと、語った。
  • 五味沢マタギ、クマ送り儀礼・・・カワダチが終わると、剥いだ皮をもち、北側の山中に向かって毛皮をかざし、「センマイ、ニセンマイ、オドショウ」と、山の神に唱え詞を捧げ、クマのむき身に毛皮の裾を三回触れさせ、再び毛皮をクマの上にかける。この儀礼を「カワキセ(皮着せ)」という。(写真:「2003年マタギサミットinおぐに」より)
  • カワキセが終わると、数人でクマの皮を裂き、ホナ(心臓)をアカフク(肺)と一緒に取り出し、唱え詞を唱えながら、ホナにキリハで十字の切れ目を深く入れる。これをホナワリと呼び、クマの命を授かった、クマを仕留めたという意味があるという。 このホナワリの儀礼は、昭和初期に撮影された映像と全く同じであった。ちなみに、このホナワリは、小国にしか見られない独特のものだという。 
参 考 文 献
「小国マタギ 共生の民俗知」(佐藤宏之、田口洋美ほか共著、農文協)
「クマ問題を考える」(田口洋美著、ヤマケイ新書)

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