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第29回マタギサミットIN羽黒

 2018年6月23日(土)~24日(日)、「第29回ブナ林と狩人の会-マタギサミットin羽黒」が山形県鶴岡市羽黒町・いでは文化記念館を会場に開催された。その前日、湯殿山神社、スタジオセディック庄内オープンセット、月山八合目から弥陀ヶ原周辺などを散策。マタギサミットでは、講演「シカ・イノシシのわな・銃による効率的な捕獲技術」に続き、今回は若者の参加者が一番多いということで「移住者がマタギを継ぐとき!」をテーマにパネルディスカッションが行われた。夜は定番の交流会に続いて、二日目は随神門からスギの巨木が両サイドに並ぶ1.5キロの参道を歩き三神合祭殿を参拝。(写真:月山八合目・御田原神社から信仰の山・月山方向を望む)
  • 山立と山伏・・・一般には、山に伏して修行をする修験者を「山伏」と呼んだのに対して、狩人のことを「山立」と呼んでいる。奥羽の山間部では、山立は狩人を意味する言葉。仙台藩の役職「山立」というのは、山村の山林監視者を兼ねた猟師を職とした人々のこと。盛岡藩では、鉄砲の所持を許された猟師を「山立」と呼んだ。巻物「山立根本之巻」「山立由来之事」もこれによっている。
  • マタギの語源についても、ヤマダチ(山立)→マタジ→マタギと変音したとする説が有力である。
  • 京都で山立と言えば、山賊の意味で、山中に居を構え、追いはぎ、強盗を働く者のことである。マタギの巻物は、山立を山賊と蔑むような京都周辺で製作されたものでないことは確かだ。むしろマタギ文化の凄さは、北の狩猟文化に対する偏見をことごとく覆すような巻物を創作した点にある。
  • 江戸時代、仏教は生き物を殺生してはならない。神道では肉を食べるとケガレるといって避けていた。山立根本之巻(日光派)には、狩人の祖・「盤司盤三郎」は、弓矢の名人で、日光の神を助けたお礼として鳥獣の殺生を許されるというストーリーが記されている。さらに、全国どこでも狩りをしてよろしい。獣肉を食べてもケガレないという許しを得たと書かれている。この巻物は、千葉徳爾氏「狩猟伝承」によると「偽作」らしいが、それでも中央の偏見に逆らってマタギの生業を正当化した点を高く評価したい。
  • 修験道とは(「仏教民俗学」山折哲雄)・・・一口にいって古くからの山岳信仰が陰陽道や密教や神道と結びつき、その影響下に形成された日本独自の山の宗教である・・・縄文時代以来の伝統をもつ山岳信仰が神道や仏教による刺激を受け、奈良時代の役小角の活動を酵母にして、修験道という新しい山の宗教を生み出したといってよいであろう。こうして平安時代末期になって、いわば修験道の最盛期が訪れることになったのである。
  • 庄内オープンセット「漁村」から月山を望む
  • 「日本百名山」(深田久弥)の「月山」の冒頭・・・雲の峰いくつ崩れて月の山 芭蕉
     鶴岡の駅でおりた時、ほんとうに月山の上に雲の峰が立っていた。八月の半ば過ぎ、山は濃い群青で、牛の背のようにゆったりと伸びていた。どんな山でも頂上のあたりはいくらか鋭く立っているものだが、月山にはそれがない。撫でたような穏やかな線であった。 
  • 「月山の名の起りは、半輪の月の形からではなく、その山を仰ぐ平野の人々が彼らの最も尊崇している農業の神、月読尊(つきよみのみこと)を祀ったからである。しかし、その心の底には、やはり月のように優しい山という感じがあったに相違ない」( 「日本百名山」深田久弥)
  • 弥陀ヶ原の池塘群・・・月山八合目の弥陀ヶ原(みだがはら)に広がる高層湿原は、豊富な雪解け水を集めて満水状態になった神の田(池塘)が無数に連なっている。思わず、今年の稲作の豊凶を占いたくなる光景が広がっている。田代岳山頂の池塘群と同じく、山の神がつくった田んぼのように見えることから、「農業の神」として崇められたのも素直に頷ける。
  • 弥陀ヶ原から庄内平野を望む・・・弥陀ヶ原の地名は、月山権現の本地仏が阿弥陀如来であることに由来する。神仏分離令が出る前は、小屋の前に阿弥陀如来の銅像が安置されていたという。神仏混淆の時代は、月読尊の神様と阿弥陀如来の仏様が祀られ、月山権現として崇められていたという。
  • 弥陀ヶ原から鳥海山を望む・・・「日本百名山」(深田久弥)には、「昔から日本の名山は大てい信仰に関係があるが、鳥海もその山頂に大物忌神(おおものいみのかみ)が祀ってある・・・昔は多くの白衣の行者で賑わった山である・・・鳥海山が山麓の住民に尊崇されているのには・・・有名な米の産地である庄内平野も秋田平野も、この山から流れ出る水でうるおっている。今でも庄内と秋田の水争いで山の領分の奪い合いがあるという」
  • 御田原(みたはら)神社・・・山の神様が御田植えをされた池塘が無数に広がっているから、御田原神社と呼ぶのであろう。稲穂に似たホンモンジスゲが生育する池塘群は、まるで山上の美しき棚田のように見える。
  • 貧しい時代の農村「おしん」・・・庄内オープンセット「農村」には、平均視聴率52.6%と驚異的な最高記録をもつNHK連続テレビ小説「おしん」の生家が移築されている。物語は明治40年の春、山形の貧しい農村で生きる「おしん」の少女時代から始まる。恐らく、当時の農村の人たちは、五穀豊穣を祈って出羽三山に毎年参拝していたことだろう。
  • 「おしん」の名前の由来は、「信じる、信念、心、辛抱、芯、新、真」などの「しん」とされており、「日本人は豊かになったが、それと引き換えに様々な『しん』を忘れてしまったのではないかと思って名付けた」と原作者・橋田壽賀子は述べている。狩猟の世界も、豊かさと引き換えに「しん」を失い、野生動物の怖さをすっかり忘れ、気付いた時には、その圧力についていけなくなっているようにも見える。
  • 八合目から月山を望む
  • 「奥の細道」(松尾芭蕉)・・・「1689年6月8日、月山に登る。木綿しめを体に引っかけ、宝冠に頭をつつみ、強力という者に導かれて、雲や霧がたちこめる山気の中に氷や雪を踏みながら八里の道のりを登っていく。太陽や月の軌道の途中にある、とてつもなく高い位置にある雲の関に入っていくのではないかという思いだった。
     息は絶え、体は凍えて、ようやく頂上にたどり着くと、太陽が沈んで月があらわれる。笹や篠の上に寝転んで、横たわって夜が明けるのを待った」 
  • 八合目から朝日連峰を望む・・・磐梯朝日国立公園は、出羽三山、朝日連峰、飯豊連峰、吾妻連峰、磐梯山、猪苗代湖までの広範囲に及び、陸域では我が国の二番目に大きな国立公園。
弥陀ヶ原周辺の高山植物
▲ハクサンチドリ ▲イワイチョウ  ▲ショウジョウバカマ 
▲イワカガミ  ▲マイヅルソウ  ▲ミヤマキンバイ 
▲チングルマ ▲ツマトリソウ
▲ゴゼンタチバナ ▲ミヤマトウキ(薬草)
▲アカモノ ▲ナナカマド
▲ミネカエデ ▲ワタスゲ
▲ミネザクラ ▲ミズバショウ
▲ヒナザクラ ▲コバイケイソウ
▲モウセンゴケ ▲ウラジロヨウラク
  • 山伏はぜいたく(「山の宗教」五来重)・・・「修験道の山伏は非常にぜいたくでして、みな日本一の景色の所へ自分の本拠をつくります。国立公園や国定公園になっている所で、修験遺跡のない所はまずないといっていい。心を澄ます、ということで、山や川や湖の因縁のある所に本拠をつくるということもあります。俗に「煙霞(えんか)の癖(へき)」といいますが、のちになると山水の庭園を造る、庭園の好きな人を「煙霞(えんか)の癖(へき)」ということになりますが、本来はそういう山水の美しい景色の中に、自分の身を置いて心を澄ますことです。これが山伏の「禅定」というものです」
  • 禅定(国指定名勝玉川寺庭園)・・・
    心を静めて一つの対象に集中する宗教的瞑想のこと。
    自然の山から流れ落ちる滝を配し、大きな池を中心とした池泉廻遊式蓬莱庭園。美しい山だけでなく、こうした美しい山水を模した庭園に身をおいて瞑想すれば、心を澄ます行になることは素人でも何となく分かる。
  • 芭蕉は1689年6月9日、月山から湯殿山に向けて山を下る。
     「いったいに、この山中で起こった細かいことは修行する者の掟として口外することを禁じられている。だからこれ以上は書かない。
    語られぬ湯殿にぬらす袂かな」 
  • 湯殿山神社・・・今でも撮影禁止、土足厳禁。芭蕉の句のとおり、ここのご神体は語ってはならないことになっている。何とも不思議な岩山から湯がコンコンと湧き出している。ご神体は、女性が出産する姿を象徴しているといわれる。マタギなど山を生業とする人たちが信仰する山の神は、1年に12人の子どもを産む女神「十二様」とも呼ばれている。どちらも生殖能力の強い女性という共通点がある。
  • 湯殿山のミイラ「即身仏」(「仏教民俗学」山折哲雄)・・・即身仏とは、身分の低い修行僧が宗教的な誓願を立てて、自ら穀断ちをし、やがて断食行に入って最後は土中に身を埋めてミイラになったものをいう。その即身仏が出羽三山の山麓地帯に点々と祀られている。そのミイラ信仰のメッカが湯殿山なのである。身分の低い行者は、正規の出家僧や修行僧とは区別され差別された。その身分の低い階層の出身者でも、即身仏になる行者は一世行人といわれた。だから、即身仏のほとんどは身分の低い行者であった。彼らは、山中で激しい修行を積み、最後は土に穴を掘り、そこに入って五穀を断ち死を迎えたのである。東北の修験道が生み出した、あるいは出羽三山の風土性がもたらした特異な宗教民俗の一面なのである。
  • 湯殿山神社から沢伝いの登山道を登り、月山を目指そうとしたが、急斜面の雪渓に阻まれ断念せざるを得なかった。予想以上に雪が多く、アイゼンとピッケルがないと滑落の危険があるので注意。 
湯殿山神社周辺の植物
▲ツルアジサイ ▲タムシバ
▲タニウツギ ▲リュウキンカ、ミズバショウ
▲ミヤマアオダモ ▲サシドリの若芽
▲オオカメノキ ▲クロモジ
▲ミヤマカラマツ ▲ミズキ
▲シロバナニガナ ▲ハナニガナ
▲テツカエデ ▲ツタウルシ
▲ミネカエデ ▲ブナ スダヤクシュ
  • ブナの実豊作?・・・今年は、秋田でもブナの実がたくさんついているが、山形でもブナの実が豊作であるかのようにたくさんついていた。今年もクマのベビーラッシュがあるのだろうか。
マタギサミットIN羽黒
  • 羽黒山伏とマタギの共通点は、「山是神」という点であろう。さらに、マタギの精神的支柱になっていた巻物、日光派の「山立根本之巻」は天台宗、高野派の「山立由来之事」は真言宗を代表し、山伏修験道との深い関係を物語っている。
  • 昔からマタギと関係が深い羽黒山伏二人が、会場の両サイドからほら貝を吹き鳴らしながら歩き、檀上に上がって「清め」を行ってからマタギサミットがスタート。羽黒らしい「おもてなし」に感謝、感激。
  • 司会進行・・・東北芸術工科大学田口洋美教授
  • 歓迎のあいさつ・・・皆川治鶴岡市長 
講演「シカ・イノシシのわな・銃による効率的な捕獲技術」(上田剛平、株・野生鳥獣対策連携センター)
  • ニホンジカとイノシシは、北へ北へと北上している。秋田でも、いないはずのニホンジカが世界自然遺産・白神山地周辺でも目撃件数が年々増えている。イノシシの農作物被害も確認され、北は大館市まで北上している。 少子高齢化のスピードが日本一の秋田県では、クマ問題が深刻な社会問題になっているが、その陰でニホンジカ、イノシシがジワジワと北上、白神のニホンザルも大館市方面へと生息域を拡大、外来種のハクビシンも空き家に棲みつき大暴れしている。田口先生の言う「平成のシシ荒れ」が現実になっている恐ろしさを感じる。
  • わな設置候補地で試しに餌付けをしてみる。
  • エサが完食された場所に、わなを設置。3日連続で完食するようになってからねわなを設置すると効果絶大。
  • 子どもは警戒心がないが、成獣は警戒心が強い。まずは箱わなの周りにエサをまく。
  • 完食した場所にエサを追加しない。エサに執着させて、警戒心を解く。
  • 最後は、わなの奥たけにエサをまき、取り逃がしのないよう捕獲する。 
  • 箱わなによる捕獲・・・成獣の警戒心の強さがよく分かる動画
  • くくりわなにかかる瞬間の動画・・・事故は捕獲された後に起こりやすい。
  • しっかりと鳥獣が拘束されているか、確認する。
  • 止めさしのために近づく時に細心の注意を払う。足やワイヤーがちぎれることもあるので注意。
  • 銃による捕獲 
パネルディスカッション「移住者がマタギを継ぐとき!
  • コーディネイト・・・田口洋美、高橋満彦、小松武志
  • パネラー・・・鵜野れいな、田口比呂貴、蛯原一平、伊吾田順平
  • 学校で教えることは、何も生きる力にならない。山に放り投げられたら、何もできない。
  • クマの臭いが分かるようになってきた。先輩の技術を盗みながらやっている。若い狩猟者が増えているが、ブームで終わらせたくない。しかし、自分たちの世代でリードできるか不安。
  • 役に立っていないのに、獲物は平等にいただいている。狩猟もチームワーク、村もチームワーク。周りから一人づついなくなっていくので、将来は不安。
  • マタギは、クマを捕るだけでなく山のエキスパート。猟友会の平均年齢が63歳。けれども若い狩猟者が増える、単なるハンターが増えればいいというものではない。マタギ文化の継承が大事。
  • ジビエブーム、漫画などで狩猟者に対する関心が高い。しかし、受け皿がないと×。
  • マタギサミットがスタートした29年前は、保護の時代。それに反抗する意味もあってマタギサミットをはじめた。今は、どんどんやれ、と追い風。世の中の安易さを感じる。
  • 狩猟は、チームをリードするのに20~30年かかる。吊り橋や小屋の補修にしても、そのやり方を先輩から聞くしかない。マタギを引退したら、全て関りを断つのではなく、後世に伝えるための役割をお願いしたい。
  • わな捕獲には、マニュアルや仕様書がある。野生動物を駆除するために、単なる作業に終わる危険性がある。マタギの精神文化を継承するためには、ベテランの狩猟者の力、使命が欠かせない。
  • これから若い人たちが直面する問題は、「駆除」の現場が多くなること。駆除ではなく、狩猟本来の楽しさ、面白さを知ってほしい。しかし、狩猟は、ちょっとしたことでも事故につながる。知恵と勇気と体力がいることを覚悟すべきである。 
  • メインの交流会(休暇村 羽黒1Fレストラン) ・・・鶴岡市猟友会会長あいさつ
  • 幹事あいさつ、乾杯 
  • 代表者会議・・・来年の開催地を決める。 
  • 第30回の記念すべき開催地は・・・秋田県北秋田市で開催されることが正式に決まった。右上の写真は、開催地を代表してあいさつする北秋田市阿仁猟友会会長鈴木英雄さん。 
  • 二次会の風景・・・酩酊してほとんど記憶なし。 
  • 二日目・・・羽黒山出羽三山神社参拝。 
  • 神が宿る「爺杉」(国指定天然記念物)・・・幹回り8.2m、樹高30m、樹齢千年。巨樹に神が宿る風景とは、こんな風景を言うのであろう。何度見上げても生きるパワーをもらえるような巨樹である。その右手奥に立つのが国宝五重塔。
  • 国宝「五重塔」・・・東北地方では最古の塔。高さ29m、「こけらぶきしらきづくり」で現在の塔は、約600年前に再建されたもの。明治の悪令「神仏分離令」があったにもかかわらず、よく残ったものだと思う。それだけ、地域の人たちの信仰の篤さを感じる。
  • 羽黒山参道とスギ並木・・・参道の延長は1.5km、石段は2446段、標高差は約300m、その両脇に樹齢300~600年の老杉が586本立ち並ぶ。一の坂、二の坂、三の坂と上るにつれて巨樹の幹は太くなる。その圧倒的な存在感、上るたびに神に近付いていくように感じる。
  • スギの巨樹はいつ頃植栽したのか?・・・三の坂付近の老樹は、室町~安土桃山時代に植林したらしいが、現在の巨樹の多くは、羽黒山五十世別当となった天宥(てんゆう)の事業による。彼は、真言から天台に改め、三山の統一を目指して、1648年、杉の植林と参道に切石を敷く整備に着手した。しかし、三山統一はかなわなかったが、その杉苗は、現在、仏や神の化身のような巨木となって聳えたっている。見事、というほかない。
  • 日本最大の萱葺き建物「羽黒山三神合祭殿」・・・羽黒山(414m)の山頂には、出羽三山(月山、羽黒山、湯殿山)の神を祀る豪壮な萱葺き神社がある。月山と湯殿山は、冬の参拝が不可能なため、ここに合祭されているという。月山は万の恵みをもたらす山の神、湯殿山は人智を超えた不思議な造形・湯の神、羽黒山は歴史・文化的な景観・巨樹の神といった三者三様の強烈なイメージが印象に残る。
  • 山の神は醜い・・・羽黒修験の開祖と言われる蜂子皇子は、実在の人物ではないが、その肖像画を見れば、まるで「狼」のような恐ろしい形相をしている。口が横に大きく裂けている。目は飛び出したように大きく、ハチの目のようであったから、蜂子(はちこ)と言われたのだという。それが山の神の化身として崇拝の対象になっている。 マタギが信仰する山の神も、醜い女の神様で、大のやきもちやきとされている。
  • 紀州の「山神絵詞」の絵には、山の神は狼で、その向かいにオコゼ姫が描かれている。紀州では、山の神はオオカミの姿で醜いゆえに,醜いオコゼを妻に迎えるという伝承があるという。もともと羽黒修験は、熊野修験の影響を強く受けていたと言われている。その聖地がある紀州の伝承に倣って、羽黒修験の開祖を狼のような醜い形相にしたのであろうか。
  疑問 山の神はなぜオコゼを好むのか?
  • いざなぎ流神道祭文には、山の神様を喜ばせるストーリーがある。昔、山の神が守る山からシイの実が流れて海に入る。それを竜宮の乙姫が召し上がって、もっとほしいと家来のオコゼにとりにやらせる。オコゼは山の神が昼寝をしているスキに木の実を盗ろうとするが、山の神に捕らえられてしまう。許してもらう代わりに乙姫様を海岸につれてさしあげると約束をする。竜宮に帰ったオコゼは、乙姫様にすすめて舟遊びに海岸に出かけると、山の神は山鳥に姿を変えて乙姫の船に飛び乗り、契りを結ぶというストーリーである。
  • 千葉徳爾「狩猟伝承」によれば、「いざなぎ流神道祭文」を引用し、山の神がオコゼの仲介で、竜宮の姫と契ったというストーリーから、山の神はオコゼを見たがるという伝承に転訛し、出猟に際してオコゼを持参する風習が全国へ広がったと推測している。昔から山と海はつながっているという認識があった。オコゼは、その山の神と海の神をつなぐキーワードになっている。いずれにしても、マタギの伝承と同じく、山の神を喜ばせるためにオコゼを持参するという意味に変わりはない。(オコゼの写真:山形県小国町マタギの郷交流館)

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