山釣りの世界TOP

 7月1日〜2日に新潟県村上市で開催された第11回ブナ林と狩人の会・マタギサミットin三面へ行ってきました。全国から117名の参加がありました。

 前日は、狩猟文化研究所・田口洋美先生のスライド講演「ロシア狩猟同行調査報告」と懇親会、翌日、田口先生の配慮で、和賀山塊のマタギ小屋の問題をトップにしてもらいました。
 
(右の写真は、全国のマタギを束ねる田口先生と全国の山釣りのリーダーである瀬畑翁の世紀のご対面である。マタギも山釣りも、山と滅びゆく文化を愛する気持ちは全く同じだ。)

 私は、理解を得るために「マタギ文化の継承、お助け小屋の保存を」というタイトルで全68ページにわたる資料を作成し、マタギサミットに臨んだ。

 前日、各県からマタギたちがゾクゾクと集まってきた。いろいろ議論をしたが、マタギ小屋の扱いについては、各県の対応がバラバラであることを痛感した。中には、国有林内のマタギ小屋は、ちゃんと許可をとり、地代を払うべきだとの原則論を唱える人もいた。

 私は考えた。これは、俺一人で理屈を並べ立ててもしょうがない。小屋を修復した瀬畑さん、仙北マタギを継承する戸掘さん、そして私の3名でマタギ小屋保存について理解を求める作戦に切り替えた。
 前日は、115名ほどの参加者がいたが、翌日は若干減って90名ほどだった。最初に私が司会進行をとり、トップバッターを瀬畑さんにお願いした。瀬畑さんは、和賀山塊のマタギ小屋に何度もお世話になってきたが、小屋の傷みがひどく、修復した経緯について説明をした。

 2番手に戸掘マタギが登場した。彼は今年の1月に亡くなった藤沢シカリの弟子である。藤沢シカリとの想い出を語り始めたら、何と彼は感極まって泣いていた。泣きながら藤沢シカリの形見でもある小屋の存続を訴えた。和賀山塊の厳しい山々を共に苦労し、共に小屋を建て、共に山に生きてきたマタギの人生は、全国のマタギたちに共感と小屋存続の連帯感を生み、最後は万来の拍手を浴びたのだ。

 私は膨大な資料をもとに、アレコレ理屈を並べ立てて説明するつもりだったが、私の出番は既になくなっていた。私が3番手であるが、この雰囲気を壊してはならない。私は「戸堀さんの話しを聞いて感激しました。懸命に頑張っている戸掘さんを救ってあげてください」というのがやっとだった。私も、戸堀マタギのおこぼれを頂戴して拍手をいただいた。本当に感謝の気持ちで一杯だった。

 やはり全国のマタギ仲間の心をとらえるには、理屈ではなく山で生きるマタギの心と愛が一番だということを痛感させられた。前日は、あれこれ原則論を唱えていたマタギたちも全て署名にサインをしてくれた。署名にも、ただ数合わせではなく、重みというものがある。この署名は全国のマタギたちの熱き想いが込められている。この想いを秋田森林管理署に届けたいと思う。
 またある参加者は、そんなに力にはなれないが、帰ってから30名ほどの署名を集めて送りますという人もいた。有難いことだ。

 この件について、田口先生が、似たような例はないか、会場に問いかけた。いずれも山形県から2つの例が報告された。その中で「熊小屋」「マタギ小屋」の名称では許可がとれないという。「山菜採り小屋」あるいは「避難小屋」として存続させていると言う。同じ存続でも、魂が抜けたような名前ではやりきれない。動物愛護家や自然保護団体に配慮してのことだろうが、「山に生きる」とは、そんな綺麗事で生きていけるはずがない。熊は殺生するが生きていくためだ。熊も人間も持続的に生きていくために、「山の神様に感謝する」知恵と信仰が生まれたのだ。小屋の存続だけでなく、マタギの心と文化を継承しなければ意味はないだろう。

 来年は21世紀、マタギの本家である秋田県阿仁町で開催することが決まった。マタギ仲間たちは、秋田を本家と呼ぶ。秋田のマタギ文化は全国の牙城であることを改めて感じた。
 今年奥三面ダムに沈む村を現地視察した。こんな山奥まで阿仁のマタギはやってきて、狩りの技術を伝授したという。米や野菜は、自給自足できない田畑しかないところだ。農と狩り、山の恵みを享受することなしには生きていけない村である。そんな村に狩りの技術を伝授した阿仁マタギは、やっぱりエライ!!。

2000年7月1日午後5時、マタギサミット開会。 あいさつは、三面猟友会長・伊藤覚さん。右に座っているのがマタギサミットを開催するために奔走している東京大学狩猟文化研究所の田口洋美先生。
右は、宮城の源水会に所属する村上一馬君(歴史民俗学専攻の大学院生)。憧れの瀬畑翁に会えて嬉しそうだった。右から二人目が私、その左が瀬畑さん。 I・MACのパソコンで熊のビデオ画像を披露するアウトバック社長・藤村正樹さん。かなり綺麗でスムーズな画像に驚いた。
最後はバンザイ三唱。音頭は、元三面集落の小池善茂さん。 二次会で意気投合する私と藤村さん。熊関連でネットで知り合い、今回初対面。彼のお蔭で、田口先生を紹介してもらい、マタギサミットにも参加できた。藤村さん、感謝!感謝!です。
和賀山塊のマタギ小屋の問題について、これまでの経緯を説明する瀬畑翁。 仙北マタギ継承人・堀内沢「お助け小屋」管理人である戸掘操さん。亡くなった藤沢シカリの想い出を涙ながらに語り、その思い入れの深さに改めて感激した。
全国のマタギ関係者の皆さん。マタギ小屋保存への署名ありがとうございました。来年は、第12回目となるが、マタギにとって12の数字はすこぶる縁起がいいらしい。12月12日は山神様の日である。21世紀の第12回マタギサミットは、マタギの本家である秋田県阿仁町で開催することが決まった。私も微力ながら応援したいと思う。 奥三面ダムに沈む村、かつての三面集落。1985(昭和60)年に集団移転、ダム完成に伴い2000年に湖底に沈む。この集落は、阿仁町のマタギ集落と同じで、平家落人伝説があるという。自ら「山人(ヤマド)と呼び、「山に生かされた」集落である。その生活習俗は、民俗学的に貴重で注目されている。
奥三面ダムに沈む村を現地視察。集落跡の説明は、小池善茂さん。彼に「山の恵みが豊かだったから、あんな山奥でも生活できたんでしょうね」と言うと、力強くうなずいたのが印象的だった。 ダムに沈む三面集落跡を背景に記念撮影。左から村上君、戸堀マタギ、瀬畑翁、私、岩魚釣りも好きな小山マタギ。山釣りとマタギの心を結集し、お助け小屋の保存を勝ち取りましょう。

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