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 昭和62年6月27〜28日、粕毛川支流一ノ又沢・事前調査・・・写真は岩倉沢が合流する二股地点。ブナ林、清冽な流れ、景観、イワナ・・・粕毛川の中でもテン場としては一級品だった(残念ながら、現在入山禁止区域)。この年から、全員縦長のアタックザックに統一。
 昭和62年7月17日〜19日、5名のパーティで粕毛川支流一ノ又沢へ。事前調査は快晴、5名そろえば、またまた大雨・・・。一日目は、雨の中、4時間もかけて焚き火を起こす。イワナ不在の一夜に。翌日は、粕毛川を渡渉できず、本流を釣り上る。だが、入れ食いで釣れてくるのは丸々と太ったウグイばかり。三日目、やっと減水し始めた急流を泳いで渡り、一ノ又沢へ。
 決死の覚悟で渡渉したかいあって、35センチのイワナをゲット。それでも、最高のテン場・岩倉沢出合いまで達することはできなかった。反省点は、粕毛川中流部の中州にテンバったが、そこはマムシの巣だった。その周りを裸足のサンダル履きで歩いていた。晴れたら、マムシがゾロゾロ・・・。もう一つは、雨対策としてまだまだ不十分・・・ブルーシートの登場が望まれる。
 昭和62年9月11〜15日、太平山系旭日又沢源流。写真は、樽沢に架かる吊り橋を渡る。現在は、この懐かしの吊り橋がすっかり姿を消し、ここまで林道が延びてしまった。時の流れの早さを感じる幻の一枚。
 まだブルーシートを張る術がない。さらにテントは、確か7千円の激安テント。重さこそ3キロ程度と軽いが、ご覧のとおり、青のフライシートは超ミニスカート。雨風に極めて弱かったが、捨てるのもモッタナイ・・・と、しばらく我慢して使い続ける。
 沢旅のクライマックス・源流酒場。リリースの哲学が浸透しつつあったが、写真を見る限り、まだまだ修行が足りない。真ん中の私が手にしている茶色のボトルは、通称゛バクダン゛と称する酒。酒をできるだけ軽くしたい・・・これは誰しも考えること。当初は粉末酒なるものを買い求めようとしたが、不味くて売れなかったらしく、既に製造中止になっていた。

 ならば、自作すればいい。中村会長は、密かにエチルアルコールを手に入れ、ウィスキーと半々に割ったアルコール度数70度の゛バクダン゛を密造。おまけに丁寧な密造酒マニュアルまで作成してしまった。確かに軽く、酔えるのだが・・・。次第に何しに源流まで来ているんだ。山を歩くことと、酒を楽しく飲むことじゃないか。ただ酔えばいいってもんじゃない・・・本物の酒が飲みたい、との声が大きくなった。アイデアは最高なのだが、あえなく紙パック酒にその座を奪われる。
 昭和63年6月2〜5日、真瀬川から追良瀬川源流へ。渓流足袋からスパイク付き地下足袋に履き替え、沢から沢へ・・・バリエーションルートを歩く幕開けとなった源流行。左から私と中村会長は、スパイク付き地下足袋、長谷川副会長と金光氏は、トレッキングシューズ。やがて、ほとんどがスパイク付き地下足袋あるいは簡易アイゼンへと足ごしらえが変わった。
 左は、県境稜線の笹薮で採取した極上のタケノコ。薮こぎは誰しもつらいが、こんな恵みを手にすれば、辛さも吹っ飛ぶ。ただ歩くだけでなく、食える獲物はないか・・・常に山菜・キノコセンサーが作動するようになる。ある者は、新緑に輝く景観、可憐な山野草、清冽な飛瀑にカメラを向ける。楽しみは無限に広がった。
 追良瀬川旧マス止めの滝・・・群れるイワナをしばし鑑賞。かつてサクラマスが群れをなして泳ぐ姿を想像しながら眺めると、また一味も二味も違う。バリエーションルートを辿るようになると、地名や滝の名前、沢名、ブナに刻まれたナタ目、狩り小屋、マタギ道、マス道・・・その消えつつある痕跡を追い求めたい衝動に駆られ始める。
 サルがイワナを食べる・・・昭和63年当時、粕毛川源流で妙な事件が続発していた。同年5月下旬、友人N氏一行4人が粕毛川源流二股にキャンプしていた。どうしたことか一晩中、サルの奇声が聞こえたという。まさかサルがイワナを食べるとは思わず、前日釣ったイワナを焚き火の周りに刺したまま釣りに出掛けた。(写真は粕毛川源流魚止めの滝)

 釣りから帰ると、串焼きイワナ30本が跡形もなくなっていた。さらにゴミ袋も破られ、ソーセージなどを食い荒らされていたという。その痕跡を見ると、昨夜奇声を発していたサルの仕業だった。焼きイワナと人間の食料の美味しさに味をしめたサルは、この二股に居着いてしまったらしい。食料の不始末は、野生動物を狂わすので注意。
 カラスに食い荒らされた残骸・・・まさか自分たちは大丈夫と油断していた。担いできた食料を種類ごとにゴミ袋に入れたまでは良かったが、テントの中に隠すのを忘れてしまった。帰って見ると、上の写真のとおり・・・三日分の食料が無残にもズタズタに引き裂かれ、食い荒らされているではないか。皆呆然と立ち尽くしてしまった。
 やむなく、三日間、炭水化物を食べず、毎日現地採取したイワナと山菜を食べて過ごす。これも悪くはない・・・と思ったが、最後の帰りに炭水化物不足が一挙に出た。重い荷を背負い、標高差200m余りの直登・・・あと落差50m付近まで来ると、完全なガス欠状態、足が前に出なくなった。今日は調子が悪いのか・・・と横を見やれば、5人全員が同じ症状を呈していた。

 笑うに笑えない不思議な苦しさ。食料を食い荒らされると最悪、ましてクマに人間の味を覚えられたら、それどころではない。野生の世界に足を踏み入れていることを決して忘れてはならない手痛い教訓だった。だが、頭で分かっていても、手痛い目に遭わないとなかなか実行できないのは人間の性か。
 昭和63年7月20〜22日、八幡平・葛根田川源流行。白神だけでなく、次第に未知の源流を旅する魅力にとりつかれ始める。赤茶けたナメとザラザラした岩盤、左手から15mほどのナメ滝が合流する美しい景観。刻々と変化する自然の造形美を鑑賞しながら、のんびり歩く沢遊びの楽しさ・・・言うことなし。
 昭和63年8月3〜7日、八幡平・玉川源流大深沢をゆく。ルートは、後生掛温泉-ブナ林の杣道-五十曲ルートの杣道-発電所管理小屋-大深沢-伝左衛門沢-本流遡行-関東沢出合-ナイアガラの滝-三又-仮戸沢-八幡平登山道-諸桧岳-モッコ岳-藤七温泉。最も深い谷底まで一気に下り、深く長い沢を渡渉、最後は源流の小沢を詰め上がり、山の頂に達する快感、充実感・・・やっと「山釣り」と呼べるようなスタイルに達した記念すべき山旅でもあった。当時、私の年齢はまだまだ若い36歳だった。
 パーティは、会の中でも過激な中村会長、長谷川副会長、そして私の3名。後生掛温泉から転がるように杣道を下り、大深沢発電所取水堰堤上流の左岸河原をC1とする。夕食の準備をしていると、古木にカラスが止まっていた。河原には、腹を裂いたイワナ6匹を水にさらしていた。どうも気になる。フキの葉でも被せようかと思った瞬間、見事にイワナを盗まれてしまった。古木に戻り、足でイワナを押さえ、美味そうに食べている。それを唖然として見ているだけ・・・悔し〜い!
 左・・・第一ゴルジュ帯を際どくヘツルように巻く。ゴルジュの淵には、数十匹のイワナが群れていた。右・・・ソヤノ沢からヤセノ沢間には、3箇所のゴルジュ帯がある。3箇所ともゴルジュを越えると、左岸に柱状節理が発達した長大スラブ壁がある。
 大深沢名物「ダルマ岩」・・・今にも転がり落ちてくるような不安定な岩だが、地震でもピクリともしない不思議な安定感を保っている。これも自然の妙の一つ。関東沢出合いをC2とする。
 ナイアガラの滝左の滝壺を釣る。釣っても釣っても底なし沼のようにイワナが竿を絞った。何となく不気味な印象を持った。後日、右岸の岩が崩落し、かつての不気味な天然釣堀は、岩に埋まってしまった。上の写真:伝説のイワナの滝壺は、今や幻の一枚。
 大深沢最大の滝・ナイアガラの滝・・・幅が広く、長大な白い瀑布はお見事。県内の源流に懸かる滝の中では、強烈な個性を放つナンバーワンの滝だと思う。特に雨が降り、水量が増加、さらに雷でも轟こうものなら魔力を秘めた滝に変貌する。この滝に向かって何百回、カメラのシャッターを切ったか・・・記憶にないほどだ。
 最も深い谷底から、道なき沢を登り山の頂に立つ。この感激は、釣りや登山だけでは味わえない格別なもの。釣り、沢登り、登山・・・その醍醐味を全て味わう贅沢な沢旅・山旅・・・となれば、もはや「渓流釣り」、「源流釣り」という言葉はしっくりこない。「山釣り」・・・これが最も妥当な言葉のように思う。

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