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自然と人間と文化を考える 山釣りの世界TOP

 平成元年7月13〜16日、和賀山塊・堀内沢。マンダノ沢に入ると、ほどなく次第にゴーロは急となる。ふと上を見上げると、天井から大連瀑帯が、数条の帯となって落下・・・「何だこれは」・・・初めて見るマンダノ沢のスケールのでかさに驚かされた一枚。

 ゴーロ連瀑帯でのエピソード・・・角館町の川釣り師Sさんが、仙北マタギの助けを借りて、山越えルートを辿り、マタギ小屋までやってきた。余りの苦しさに、小屋の前にへたり込み「後二度と来ない」と宣言した。翌朝、すっかり元気になったSさんは「釣りならマタギに負けんぞ」と勇んで出掛けた。ところが、マンダノ沢のゴーロ連瀑帯を見るなり、「これは川ではない。滝だ」と叫び、またまたへたり込んでしまった。
 仙北マタギが放流したイワナの子孫(八龍沢)・・・イワナが到底上れない落差20mほどの滝をいくつも越えた。こんな険しい谷にイワナはいるのだろうか。半信半疑で滝を高巻いた。やっと穏やかになった豆蒔沢合流点上流で、イワナが走る影を見た時は、心底驚いた。一体誰が放流したのだろうか。
 そして、オイの沢の穏やかなブナ林にひっそり佇むお助け小屋を見つけ、なるほどと思った。滝また滝の上に生息するイワナは、この小屋をベースに放流したに違いない・・・後日、お助け小屋管理人の戸堀マタギから移植放流の話を聞いた。放流したのは、イワナ釣りが好きだった故秩父孫一マタギ(白岩)。彼は、熊猟の合間に小屋に置いてあった釣り道具と一斗缶を背負い、魚止めに向かった。「今日は○番目の滝まで放流してきた」と、イワナの放流を得意げに語っていたという。
 平成元年9月1〜3日、虎毛沢。ゼンマイ道を辿り、虎毛沢源流へ。途中に滝らしい滝はなく、放流されたヤマメが源流部まで生息していた。赤湯又沢が奥右手から合流するゴルジュ帯は、増水時に危険な場所だが、平成3年春、大学生が溺死する事故が発生している。くれぐれも油断は禁物。
 平成2年8月2〜5日、和賀山塊・和賀川。この山釣りで特筆すべきは、同じテン場に泊った釣り人のイワナ料理。イワナの刺身をとった残りの頭と骨を焚き火で燻製にしていたのだ。これは素晴らしいアイデア・・・以降、我々の定番料理の一つになった。
 愛犬を連れた地元の単独釣り師(和賀川大ワシクラ沢合流点)・・・実に賢い犬だった。決して主人より先に歩かず、後ろから静かについて歩く。イワナ釣りのなんたるかを知っているような愛犬を連れ、のんびり流れに糸を垂れる。実に優雅な釣りもあるもんだと思った。これを見て、我が家の愛犬を釣れてイワナ釣りへ・・・と真顔で思った。ところが、いかんせんシツケが悪く、常に主人より先行し、イワナを追い散らすだけだった。
 平成3年4月27〜29日、太平山系萩形沢。超ミニスカートの激安テントに別れを告げ、軽量・コンパクトなテントを新調。値段が高かったが、風雨に強く、耐久性も抜群、現在も使い続けている。だが、上の写真は大失敗の事例。整地するのが面倒で、平らな雪の上に張ってしまった。夜、雪の冷気が背中から忍び寄り、寒くて眠られない夜を過ごすはめとなった。雪の上には、絶対テントを張るべからず。
 平成3年5月31〜2日、乳頭山安栖沢。安栖沢の深い谷底から千沼ケ原に躍り出て、残雪と高山植物が咲き乱れる稜線を縦走、乳頭山から平家落人部落のような黒湯に至る13キロの山旅。沢登り、新緑、山の幸、花、登山、タケノコ、秘湯・・・北東北の山は、ほとんど標高が1000m前後。登山としては二流だが、山釣りスタイルなら一流だということを改めて感じた。それだけに会の歴史に残る山釣りの一つ。
 平成3年7月20〜22日、和賀山塊生保内川。大雨、激流の中の渡渉の苦しさ・・・失われた自然への畏怖を呼び覚ますに十分の沢旅だった。こんな場面でもカメラを首に下げ撮影、いつ水没しても不思議はなかったほど。水没は免れたものの、岩壁に何度もぶつけ、カメラはボロボロ。激流を渡渉する場合、杖で支える、あるいは仲間と組むスクラム渡渉の威力を実感。
 平成3年8月23〜25日、胆沢川支流小出川。沢の名前の由来が、歩いて初めて分かった。写真は、小出川の出口に向かっているところだが、出口が極端に狭く、両岸絶壁のゴルジュになっている。つまり出口が小さいことから名付けられた。後年、この川の核心部に千年の古道・仙北道があったとは・・・。
 平成3年9月27〜29日、白神山地大又沢。秋田・青森を襲った史上最大の台風19号、その最中に、我々は山中の谷にテンバっていた。出発する前日、白神を直撃する予報が出ていた。しかし、これまで熱帯低気圧になるのが常だった。まさか・・・直撃するとは。ラッキーだったのは、テントを張った場所が、風の方向に対して直角に位置する谷だったこと。もし谷を吹き抜ける風の方向と同じ場所に張っていたら、ひとたまりもなかっただろう。

 森を直撃した風の轟音、バリバリとブナの大木が倒れる音、谷に降り注ぐおびただしいほどの落ち葉。落差20mほどの滝の帯が左右に大きく揺れる摩訶不思議な光景。大木に寄れば、縦にひび割れギジギシと軋む。風の恐ろしさをまざまざと見せつけられた。台風直撃の予報が出たら、山には絶対入るべからず。・・・こうして過去を冷静に振り返ると、かなりヤバイ場面に何度も遭遇していることに我ながら驚く。
 平成4年5月29日〜31日、マタギの渓・真角沢。左から三人目が、今は亡き釣りの師匠・庄司氏。会として、師匠に感謝する釣行を行った最後の一枚。思えば、庄司氏と出会って完璧な釣りバカに、そして中村会長と出会って山釣りバカに・・・人との出会いが人生を変える・・・これって本当の話だ。
 平成4年7月10〜12日、北ノ俣沢。唐松沢2段8m滝を釣る。この滝上を探ったが、残念ながらイワナは不在だった。その代わり、ヤマドリの親子が沢でのんびり遊んでいた。不意の訪問者に驚き、四方八方に逃げた。うち一匹の雛が逃げ遅れた。それを手にとると、グッタリ。てっきり死んだと思い、藪に置いた途端、元気に藪の中に消えた。「熊に出会ったら死んだふり」という諺は、ヤマドリのこうした行為を真似たのだろうか。ちなみに、熊に死んだふりは通用しないので注意。

 沢名は、その名のとおり脇尾根に唐松が多く林立していた。また、もう一本の桑木沢には、桑の木が沢沿いに自生していた。地元の人は、よく自然の特徴をとらえて沢の名前をつけるものだと感心。
 平成4年8月21〜23日、粒様沢。釣友A氏が、粒様沢源流で43cm、41cmの大イワナを二本もゲットしたとのニュースが飛び込んできた。忘れかけていた大イワナへの夢がだんだん頭をもたげはじめた。
 そのわずか一ヶ月後(平成4年9月25〜27日、朝日連峰湯井俣川)、夢のような物語が現実のものとなった。そのドラマは、誰もが釣れないと思った場所・・・テン場からわずか数十m、前日はピクリとも反応しなかったさもないポイント。だが、降り続く雨と茶色に濁った増水が状況を変えた。ヒットした大イワナを砂地に引きずり込み、腰に下げていたカラビナを口に掛けた。計測すると47cm・・・「これは嘘じゃねぇ、夢じゃねぇぞ!!」
 全体が茶色っぽい魚体で、測線より下の斑点は鮮やかな橙色をしたニッコウイワナの大物。下唇は大きく曲がり、オスらしい精悍な面構え。尾ビレは、野生を象徴するように大きくたくましい。惚れ惚れするような魚体に全員が酔いしれた。今なら記念撮影をしてリリースするのだが、皮を剥いで全員の胃袋の中へ。結果は、年齢を重ねた老体だけに、決して美味いとは言い難い。食べるなら尺前後が最も美味い。やはり、大イワナは、リリースが正解だと思う。
 平成5年、和賀山塊袖川沢。この沢も仙北マタギの狩り場。特に天然秋田スギの巨木と山菜、山野草はお見事。カモシカのルートにテン場を張ってしまったらしく、宴会途中にカモシカが出現。いるはずのない人間に驚き、猛スピードで斜面を駆けていった。邪魔してスミマセンでした。そういえば、日高のソエマツ沢でもエゾシカの道にテントを張ってしまい、迷惑を掛けたことがあった。
 平成5年6月、和賀山塊シトナイ沢。スノーブリッジが連なる源流の崖に、珍しい純白のシラネアオイを見つけた。写真を撮ろうと、崖をよじ登りやっと撮影に成功。背後には、紫色した普通のシラネアオイも写っている。しかし、この興奮でSBに置いた竿を忘れてしまった。翌日、テン場から一人で竿を取りにいくはめに。雪煙が舞うSBで今度は、無念そうに横たわるカモシカの死骸を発見。何だか、俺も撮れ・・・と言われているようで、何枚も撮影してしまった。
 平成5年9月23〜26日、白神山地大又沢からウズラ石沢へ。大又沢源流を遡行中、走るイワナにたまらず竿を出す。これが間違いの元だった。釣りに夢中になる余り、ウズラ石沢に向かう小沢を間違えてしまった。分水嶺を越えれば何とかなるだろうと笹海を突き進む。峰を越え、意外に穏やかな小沢を下る。緩い傾斜が続くということは、いきなり大きな滝が出現する前触れ・・・嫌な予感が的中してしまった。何と最後の最後に、断崖絶壁が行く手を遮った。ここで下降に数時間もロス、暗くなる寸前にやっとウズラ石沢に降り立つ。
 平成5年12月、白神山地が世界自然遺産に登録。と同時に、秋田県側は禁漁、入山禁止を決定。青森県側は、平成9年、27の指定ルートに限って入山の許可制を導入。さらに平成10年7月、赤石川など5河川を禁漁に。会発足の原点・白神山地を巡る激変は、20周年を迎えた現在でも最大のニュース。
 平成6年5月下旬、白神山地カネヤマ沢からツツミ沢へ。雨の中、雪煙が舞うカネヤマ沢源流を詰め上がり、分水尾根を越えた。それからまもなく、雨はバケツをひっくり返したような大雨に・・・大雨だけでも恐ろしいが、何と雪解けまで加わった。小沢の細い流れは、あっという間に濁流渦巻く流れに激変した。残雪が残る季節は、新緑が最も美しいが、一旦雨が降れば恐ろしいことになるので注意。
 悪いことばかりではない。翌朝、願ってもない快晴。ブナの新緑は、これ以上ない輝きを放った。ブナ谷は、新緑の季節に勝るものなし。残雪と新緑の美だけでなく、生き物の多様性を最も実感できる季節でもある。
 平成6年6月16〜19日、和賀山塊生保内川。右がV字峡谷に懸かる魚止めの滝。ここを越えて、源流を詰め上がり、朝日岳山頂をめざすのも楽しいだろう。
 平成6年9月14〜17日、朝日連峰八久川。新天地を求めて大イワナの渓で知られる大河・八久和川をめざす。カクネ道を辿り長沢下流右岸にテンバル。延々数キロに及ぶ廊下帯、大淵、大釜、太い流れ、ブナとミズナラの原生林、屏風のように立ちはだかる黒壁、水と岩が織り成す自然画廊、大イワナの匂い・・・確かにスケールはデカイ。しかし、訪れる釣り人や沢登りのパーティも半端じゃない。稚拙な釣り人の来る所ではない・・・とあっさりギブアップ。
 平成7年、朝日連峰八久和川源流出谷川。大井沢川上流の車止めから登山道を辿り、天狗角力取山を経て出谷川渡渉点へ。重い荷を背負ってのアプローチはさすがに辛い。右の写真は、数々の大イワナ伝説を持つ呂滝。右の青く染まった深い底には、尺を超えるイワナが数尾見えた。期待した弁天岩の滝上を探ったが、なぜかイワナの姿が見えなかった。

 「昔は50cm、60cmの大イワナが立て続けに釣れたんだけど、そんな夢のような時代は終わったから山登りに転向さ」と語った地元の山男の言葉が印象に残った。また天狗小屋に泊り、釣りにやってくる兵もいた。・・・イワナはもともと北の魚・・・新天地は、やはり南に下らず北に向かうべきだと思った。そして北海道日高の旅が始まった。
 平成7年8月、日高山脈新冠川中流部。本音を言えば、20年前、会で積み立てを始めたのは、北海道遠征をするためだった。しかし、ヒグマの生態や悲惨な人身事故の歴史を調べているうちに、足が震えて断念していた。しかし、ヒグマの恐怖と岩魚の誘惑を天秤にかけ、やっと岩魚の誘惑が勝るようになった。ヒグマ対策に万全を期し、最後の聖域と言われる日高に向かった。ヒグマを警戒する余り、林道のある新冠川支流ヌカンライノ沢に入った。期待はしていなかったが、何と第一投目から大イワナが竿を絞った。
 平成8年8月、日高・ソエマツ沢。いきなり日高の源流に野営するには、山のオヤジが怖い・・・その入門コースとしてソエマツ沢の河原にテンバル。白い斑点が大きく鮮明なエゾイワナは、東北のイワナとはひと味も二味も違っていた。東北の渓では、カジカが釣れるなんてことはまずないが、大型のハナカジカが結構釣れた。テン場は、エゾシカの道だったらしく、やたら出没。獣の匂い、獣の気配がする度にヒグマでは・・・ドキリとさせられた。
 平成8年8月、日高・札内川源流のオショロコマ。ヒグマの恐怖を背に受けながら、初めて日高の宝石・オショロコマを釣る。本流は、オショロコマにしては魚影が濃いとは言い難いが、大型で、丸々太った8寸級が竿を絞った。ところが、ひとたび枝沢に入ると、魚影がやたら濃くなる。しかし、型は5〜6寸前後と格段に小さかった。これから言えることは、魚影が濃くなると魚は小型化するということではないか。源流のオショロコマとエゾイワナ、記念沢のカジカとオショロコマが完全に棲み分けされているのには驚いた。
 平成9年10月9日〜13日、白神山地・大川〜赤石川〜暗門の滝。平成9年7月、27の指定ルートに限って入山の許可制が導入された。早速、許可を得て、その指定ルートに従って歩いてみた。大川タカヘグリを迂回するマタギ道を辿り、キノコ採り、マタギ小屋で記念撮影を楽しみながらオリサキ沢でC1。二日目、ルートをヤツの沢にとったのが間違いの元。どこを見渡してもツルツルの岩壁・・・やむなく、ヤセ尾根を直登。尾根の途中で暗くなりビバーグ。その夜、斜めに傾斜したテントを襲うアラレに悩まされる。
 三日目、雨の中、石の小屋場沢を下り、やっと赤石川に辿り着く。増水した赤石川本流を下り、大ヨドメの滝で記念撮影。秋の夜は殊の外早い。下れるところまで下ってC3。雨は止まず、夕方から雪に変わる。
 帰る予定の四日目、寒さに震え、増水に喘ぎながら賢明に歩く。写真は、黄葉に染まる石滝。ヤナダキ沢から分水嶺を越えて西股沢へ。暗門の滝の手前で、早くも暗くなり、やむなくビバーグ。五日目、ここから車止めまでは楽勝と思ったが、暗門の滝へ降りたら、増水で遊歩道の橋はことごとく流され、暗門と呼ばれるV字渓谷に閉じ込められてしまった。

 屹立する壁に鼻をぶつけるようにしてよじ登ったり、壊れた橋を引き上げて修復、ザイルで誘導しながら激流が走る対岸に橋を架けて渡ったりしながら突破、それこそ命カラガラで帰ってきた。下山予定が一日遅れたために、家族は遭難したのでは・・・と、遭難騒動寸前の状態だった。10月の白神は、我々の想像を超えるほど寒く過酷だった。黄葉の谷で、雨、アラレ、雪が降れば、まさに地獄。
 平成10年9月25〜27日、白神山地縄文の森(世界遺産地域外)に生息する縄文岩魚。異様に黒く光る魚体、斑点は白のアメマス系、背中には明瞭な虫食い状の斑紋を持つ独特の個体。源流岩魚の中でも、最高峰・・・まさに神秘の美魚と呼ぶにふさわしい。
 平成10年8月、やっと天候に恵まれ、念願の静内川支流シュンベツ川に挑む。そこに待ち受けていたのは、予想以上に険悪な大函とヒグマの恐怖だった。入り口に立ち塞がる大函に悪戦苦闘、突破するのに二日も費やしてしまった。
 大函を越えるとまもなく、今まで見たこともないヒグマの足跡が至る所にあった。しかし、ヒグマの痕跡が多くなればなるほど、渓魚の魚影も濃くなったことは確か。 東北では考えられないほど奥深い大河・・・しかもヒグマのテリトリーに入っていることを背にビンビン感じながら釣り上がる。この大自然を歩く快感?は、とても東北では味わえない。静内川源流部一帯は、日高最後の秘境と言われているが、そのスケールは、我々の想像を超えていた。
 ヒグマの恐怖とイワナの誘惑・・・当時、その得も言われぬ感激をを表現しようと作成したのが上の写真。

 平成11年4月29〜5月1日、定番となった白神・早春の山釣り。早春は、山の幸に溢れているだけに、どうしても宴会中心になってしまう。
 平成11年5月29〜30日、太平山系朝日又川源流。タケノコとイワナを求めてやってきた渓酔会のメンバー2人と出会う。仲間と渓で偶然出会うと嬉しいものだ。北又沢出合いテン場で記念撮影。南又沢の滝上を初めて探ったが、残念ながらイワナは生息していなかった。
 平成11年6月25〜27日、和賀山塊堀内沢。久しぶりの堀内沢に、中村会長が初めてデジタルビデオを持ち込む。淵のひらきで遊ぶ岩魚のズーム撮影、原生林と滝の迫力、滝壷でイワナを釣り上げる瞬間など、その新たな映像の世界は素晴らしい。ビデオ編集にも挑戦したが、はっきり言って疲れる。以降、編集は断念。
 平成11年7月24〜26日、ノロ川から粒様沢源流へ。いつもなら下流から遡行するのだが、雨のため山越えの最短ルートをとる。ところが、下降を始めてまもなく、落差200mほどの滝が・・・見渡せば、両岸ツルツルのスラブ壁。ルートはただ一つ、屹立するヤセ尾根を下るしかない。わずかに生い茂る木々につかまり、宙ぶらりんになりながら下降した。最短ルートほど時間がかかるものはない。山釣りでも「急がば回れ」が正解。
 平成11年9月、15周年記念イベント・・・原種イワナの滝上放流。一人が釣りに専念。もう一人は、イワナの入った重いタンクを持って移動する。そして同じ沢の滝上へ。間違っても、養殖イワナや他水系のイワナを放流しないこと。遺伝子の多様性を確保するため、放流するイワナは20匹以上が望ましい。
 平成11年(1999年)8月、日高山脈ヌビナイ川源流。沢登り師たちが北海道日高山脈を流れる渓で最も美わしいと言う歴船川支流ヌビナイ川にチャレンジ。日高一の渓谷美を歩くのが主目的であったが、イワナかオショロコマもいるのではないかと密かに期待していた。しかし、507m二股テン場のすぐ上の滝が魚止めの滝だった。これにはガックリ・・・だが、沢としては一級品だった。
 最初は、遡行者を威圧するかのように屹立する壁、幽深な滝が連続している。そして圧巻は、エメラルドグリーンに染まったナメと釜が連続する絶景。東北ではお目にかかれない渓谷美だけに、息を呑む美わしさだった。3日間で出会った沢登りのパーティは7組。これほどのパーティに出会った経験も初めて。もしこの美渓に渓魚が群れていたら、どんなに素晴らしいだろう・・・と、今でも夢見ている。

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