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自然と人間と文化を考える 山釣りの世界TOP

 2000年8月、日高山脈新冠川源流。新人秋山君を加えて、奥新冠ダム上流にあるポロシリ山荘に向かう。18キロに及ぶ林道歩きは辛かった。快適な山荘に4泊もし、新冠川源流、ペツピリガイ沢のエゾイワナとニジマス、幌尻右沢のオショロコマと遊ぶ。
 手前がエゾイワナ、奥の両サイドにいるのが野生化したニジマス。「ポロシリ山荘」の中に設けられた意見・感想ノートを何気なくめくった。すると、ある釣り団体の人が「ニジマスの稚魚を500匹放流」などと誇らしげに書いていた。こんな記録を見ると、ガッカリせざるを得なかった。なぜなら、こんな奥までやってきて、人間が放流したニジマスなど釣りたい気持ちは、どこにもなかったからだ。
 2001年6月、新人柴田君を加えて、初めて白岩岳(1177m)越えのマタギルートを辿り、お助け小屋へ。ところが、いざ歩いてみると、マタギ道はヤブと化しており、密生する笹と切立つ崖に阻まれ、8時間半もかかった。小屋で偶然、顔見知りの仙北マタギ一行4名と出会い、楽しい一夜を過ごす。
 2001年7月、仙北マタギと山釣り。マタギ小屋の保存運動を通じて知り合った瀬畑雄三翁や戸堀マタギたち、そして多くの山仲間たちと知り合い、夢だった「仙北マタギと山釣り」が実現した。連日大雨が降り続く中、危険と苦労も多かったが、それ以上に感激の沢旅だった。
 瀬畑翁は、釣りをやったことがない熊一筋の戸堀マタギにイワナを釣らせる計画を持っていた。それを実行すべく、マンダノ沢蛇体淵で、伝統的なテンカラを伝授。いくらなんでも、俄じこみの素人に釣れるはずがないと思ったのだが・・・。
 何とわずか数分後、左の淵で戸堀マタギに尺近い岩魚が掛かった。4.5mのテンカラ竿が弓なりになり、水面を岩魚が割って出てきた。釣った本人もビックリ、見ていた仲間もビックリ・・・。
 上天狗の沢を過ぎたマンダノ沢源流部で、瀬畑翁の弟子・藤村氏のテンカラにヒット。掛かった瞬間、ラインが走り、テンカラ竿が弓なりになる。歓喜の笑みを浮かべ、ゆっくり足下に寄せる。丸々太った良型のイワナだった。
 初めてテンカラ釣りに挑戦した小山マタギ。驚いたのは、初めてにしてはキャスティングが実にうまい。マンダノ沢の源流岩魚を見事に釣り上げ、満面の笑顔。付き添いながら指導した師匠・瀬畑翁の喜ぶ顔がまた素晴らしかった。マタギとテンカラ、これほどピッタリする釣法もない。
 2001年8月、「山釣りルアーフィッシング」・・・瀬畑翁に刺激されテンカラをはじめ、今度は秋山君に刺激されルアーフィッシングに挑戦。初めてのルアーにも野性のファイトが炸裂。ルアーにヒットしたイワナを、さらに2匹、3匹のイワナが後ろから追い掛けて来る。それは、凝り固まった釣りの常識をことごとく覆す衝撃的な出来事だった。東北ではテンカラ、北海道ではルアーが定番となる。
 2001年10月、オフシーズン山釣りライフ・・・会として初めて山に泊まり、黄葉とキノコ狩りを開始。写真は、一眼レフカメラからデジカメ・ニコンCOOLPIX995へと変わり、撮影及びホームページ用の画像処理が格段にスピードアップ。これは私にとって革命的な出来事だった。
 2002年5月、新緑の白神源流をゆく。デジカメでこんなに鮮やかにイワナを撮れるとは思っていなかった。また、レンズが回転するフリーアングルは、撮影角度が無限に広がった。フィルムを気にすることなくバシャバシャ撮れるのも、素人にはピッタリ。ただし、家に帰ってからの整理が大変だが。
 2002年5月、在来岩魚の滝上放流。秘渓A沢には、長年温めていた計画があった。誰もが容易に近づけない滝上放流・・・釣友二人の賛同を得て、やっと実現。春に11匹を放流。しかし、この数では遺伝子の多様性を確保するには少なすぎる。目標の20匹以上を目標に、二度目の放流を行った。
 2002年6月、八幡平・源流の山旅・・・4日間のうち3日間は沢歩きに終始したが、ナメが続く清冽な水の旅、標高1000m〜1200mに群れる岩魚、湿原に咲く高山植物、八幡平稜線から望むパノラマ・・・「山を立体的に歩いた」という実感が心の底から湧き上がる山旅だった。(写真は雪煙が舞う明通沢源流)

 コース:小和瀬川支流中ノ又沢〜明通沢〜ヤセノ沢源流C1〜大深沢本流〜関東沢C2〜標高1200mに生息する岩魚釣り・関東沢源流部〜関東沢右沢〜湿原・八瀬森山荘〜曲崎山〜スズノマタ沢下降。
 2002年7月、頭のつぶれた岩魚の謎を追う。釣友二人の協力を得て、十数年ぶりに謎の渓に分け入る。上顎のないイワナは、なかなか針掛かりしない。これほど難しい釣りもない。釣り名人・小玉氏のお陰で、貴重な2尾を釣り上げ、撮影に成功した。写真:魚止めの滝を確認し記念撮影。
 2002年7月、焼石岳・胆沢川源流。胆沢川の源流は、焼石岳の裾野に広がる池塘湿原群。胆沢川沿いの杣道を歩き、スギヤチ沢を詰め、その源泉となっている焼石沼の岩魚を追ったが・・・雨にたたられ沼まで達することができなかった。後日、沼を探ったら、イワナだけでなく野生化した巨大なニジマスが生息していた。
 2002年8月・・・日高山脈山釣り紀行。連日の雨でシュンベツ川に向かう林道が崩壊、しかも増水で下流からのアプローチは不可能だった。ならば二つの山を越えて大函上流へ出る冒険を企て、秋山君とたった二人で挑んだ。一つ目の山越えで、遭いたくないヒグマの親子に遭遇。接近するヒグマに爆竹を二度も鳴らしたが効果なし。やむなく腰に下げていた熊撃退スプレーを右手に持ち、笛を鳴らしながら反対方向にトラバース。距離をとりながら、尾根の方向に向かった。相手を俯瞰できる位置まで達し、やっと難を逃れた。

 倒木に生えていたタモギタケを見つけ、それを採ろうとした時にヒグマは、我々に向かってきた。よくよく考えると、タモギタケはヒグマの好物。もしかすると、ヒグマの好物を採ろうとしたのがまずかったのではないか。もう一つは、二人程度では、ヒグマは恐れず接近してくるということ。パーティは、少なくとも三人以上が必要だと思う。さらに言えるのは、ヒグマを恐れる余り、冷静な対応を怠れば、確実に襲われただろう。熊撃退スプレーがなければ、冷静な対応は100%無理。価格1万円が高いか、安いか・・・自分の命、ヒグマの命の値段と比較したら歴然だと思う。
 二日目、二人は、シュンベツ越え沢を詰め上がる。最後の詰めは、傾斜がきつく、密生する笹藪を何度も滑りながら進む。苦しい。やっとコルを越え、笹藪の急斜面で、視界が広がる。正面に大山(1361m)の勇姿、眼下に、目指す岩魚谷を見た時の感激は言葉にならなかった。何度チャレンジしてもなかなか辿り着けない谷・・・それを人は「憧憬の谷」と呼ぶ。
 2002年10月、錦繍のノロ川をゆく。ナメの岩盤が続く森吉山系ノロ川、その紅葉の美は圧巻だった。クマゲラ保護センター−桃洞の滝−中ノ滝−男滝−トウド沢源流−稜線登山道−桃洞の杉原生林−高場森900m−A沢C1(1泊目)−A沢下降・キノコ狩り−クマゲラ保護センター−A沢C1(2泊目)−A沢源流・キノコ狩り−稜線登山道-割沢森1001m−黒石林道−車止め。
 2002年11月10日、仙北マタギ・鳥獣供養碑28年祭。仙北マタギは、昔から秘境・和賀山塊を狩場とし、組織的な古い狩猟法を頑なに伝承してきた。鳥獣供養碑を建立した当時は、25名の仲間がいたが、その後28年の歳月が流れ、藤澤シカリをはじめ、13名がこの世を去った。残されたマタギ衆は、仙北マタギの灯を絶やしてはならないと合同慰霊祭を開催。私もこの28年祭に招かれ、マタギ衆とともに、マタギ文化の継承を祈った。
 2003年4月下旬、早春の山釣り2003。
 2003年5月上旬、豊穣の渓に酔いしれる・・・新緑、ウド・アイコ・シドケ、オオサクラソウ、そして久々の大イワナ。四季の中で最も美しい季節、小玉氏とともに山菜&イワナ釣り遡行の定番になってしまった。
 2003年7月、和賀山塊堀内沢源流の山旅。羽後朝日岳(1376m)には登山道もなく、広大な和賀山塊の中でも最も原始性に富んた山である。それだけに堀内沢マンダノ沢源流を登り詰め、孤高の羽後朝日岳に登る夢を何度見たことか・・・まさに会にとっても憧憬の山だった。堀内沢完全遡行がやっと実現した。コースは、堀内沢〜マンダノ沢〜天狗の沢〜羽後朝日岳〜部名垂沢下降。
 2003年8月、白神山地源流の沢旅。新人美和ちゃんを加え、水と緑の回廊をゆく。夏とは言え、異様に寒く、五郎三郎の滝コースを断念。しかし、サカサ沢でシノリガモの親子に出会えたのはラッキーだった。真瀬川中の又沢〜追良瀬川サカサ沢〜マス止めの滝〜ウズラ石沢。
 2003年9月、仙北街道・古道を歩く岩魚旅・・・秋田県側東成瀬村の起点・豊ケ沢林道終点(標高約850m)から峰伝いに柏峠(1018m)、中山小屋を経て、小出川を渡渉し、栃川、ツナギ沢沿いの古道を歩き、見晴らしの良い大胡桃山(934m)の頂に立ち、峰伝いに下って岩手県胆沢町側の起点になっている大寒沢林道終点に至る約13kmを踏破。
 2003年10月下旬、ナメコ狩り&岩魚の恋の物語。ブナの森を代表するナメコの山、山・・・そして落ち葉舞い散る渓では、イワナの恋のダンス。こんな素敵な季節を知らずに冬眠していたとは・・・その愚かさに初めて気付く。
 2004年4月上旬、一眼レフデジカメ・EOS Kissデジタルを手に入れ、実写テストに出掛ける。すると、幸い新芽を貪るサルの群れに出会った。レンズを望遠ズームに換え、2、3時間追い掛ける。山野草のテストも含めて、一眼レフデジカメの描写に満足。だが、ハードな遡行には、重く水没の危険も多い。たまにしか持参できないのが大きな欠点。
 2004年4月下旬、待ちに待った早春の山釣り・・・だが、とんだハプニングが連続してしまった。一つは、4〜5人用のテントポールではなく、2〜3人用のポールを間違えて持参。ポールに枝木を足して事無きを得た。さらにフライシートは、防水性がかなり悪くなった古いシートを間違えて持ってきてしまった。ハプニングの二つ目は、釣りから帰ってきた直後、車のキーを落としたことに気づく。これには愕然・・・。翌日、車のスペアキーをとりに家まで戻り、再びテン場へ。丸一日空費してしまった。穴の開いたポケットには、キーを入れるべからず。
 2004年5月下旬、怪魚が棲むゼンマイ谷。この谷へのアプローチは、容易ではない。それだけに、急な崖に群生するゼンマイは見事だった。三脚+一眼レフデジカメを山に持参し、初めて本格撮影。A4サイズにプリントしてみたが、なかなかの描写力だった。そして渓流足袋がスパイクシューズに変身する新製品ピンソールもテスト。素晴らしい・・・の一言だった。この一年、山釣りで大活躍、もはや手放せないアイテムとなった。
 2004年6月、八幡平・D沢源流・・・橙色の着色斑点、腹部が他の水系より濃い独特のイワナが生息している。中でも、珍魚・上顎が突き出た岩魚や標高千mを超える奥地に激甚の落差をもってほとばしる魚止めの滝の迫力は圧巻だった。
 2004年7月16〜20日、20周年記念イベント1・白神山地大川源流行4泊5日。新しい湖が誕生して以来、遡行不能になっていた難所・タカヘグリ・・・天まで届くほど両岸が屹立する黒壁は圧巻だった。大川〜マタギ道〜オリサキ沢〜ヨドメの滝〜ヒトハネの岩門〜タカヘグリ〜大滝又沢〜杣道〜車止め。
 2004年8月中旬、20周年記念イベント2・白神山地赤石川源流行4泊5日。またしても大川オリサキ沢から石の小屋場沢へ抜けるルートを誤り悪戦苦闘。赤石川源流では、大雨・濁流に遭遇。連日の雨で暗門の滝コースは通行止め、5日間誰とも会わず、赤石川を二人占めしてしまった。

 コース:大川〜タカヘグリ〜オリサキ沢〜オロの沢〜石の小屋場沢C1〜赤石川源流C2〜大ヨドメの滝〜石滝〜ノロの沢C3〜ヤナダキ沢C4〜西股沢〜暗門の滝
 2004年9月中旬、20周年記念イベント3:白神山地追良瀬川源流行4泊5日。会にとって、五郎三郎の滝は、「渓流釣り」から「山釣り」へと劇的に進化するキッカケを作ってくれた思い出の場所である。その懐かしの、懐かしの五郎三郎の沢に達し乾杯。

 コース:真瀬川中の又沢〜追良瀬川サカサ沢BC〜追良瀬川マス止めの滝〜ウズラ石沢出合〜ホノ沢出合〜滝の沢出合〜シワラの沢(三の沢)〜五郎三郎の沢〜ツツミ沢〜白滝(日暮の滝)
 2004年10月下旬、すっかり定番となった白神山地・ブナ林の黄葉とキノコ狩り。今年もムキタケ、ナメコがどっさり、おまけにイワナの熱恋ダンスも。偶然、「いつもホームページ見てます」という地元の二人に出会った。ホームページを介して、白神を愛する地元の人と谷で会えるとは・・・嬉しい誤算だった。
 会発足から20年を振り返ると、「白神にはじまり、白神に終わる」・・・これから果たしてどんなドラマ、どんな歴史を刻むのだろうか。

 山釣りには、明確な定義なんて存在しない。追憶の山釣り20年史を外観すると、宴会主体の山釣り、イワナ釣り主体の山釣り、沢登り主体の山釣り、歴史のロマンを追う山釣り、山菜・キノコ採り主体の山釣り、花を愛でひたすら頂上をめざす登山的な山釣り・・・これらは一見、ポリシーのない滅茶苦茶なスタイルのように見える。しかし、ブナ帯の山と谷は多様性に富んでいる。山釣りもまたその多様性に応じて変貌自在なスタイルになるのも自然なことだと思う。しいて言えば、山の恵みをベースに、山を立体的に歩く・・・そう考えると、山釣りの世界は、無限に広がるように思う。

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