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想い出の源流紀行M


1990年8月30日〜9月2日
稜線を渡る突風、流れる雲海の中をひたすら源流をめざす

 八幡平は雲の中であった。
 天気がよかったなら、大深沢の深い谷や、
 盛り上がるようなブナの樹海が見えるのだが、全く視界がきかない。

 大深沢の谷から吹き上げてくる強い風に乗って雲海が動いた。
 ピューン、ピューンと山が鳴った。
 浮気するような景色が見えず、ただひたすら歩いた。

 諸槍岳(1、516m)頂上に着くと、風はなお強くなった。
 稜線の両側にはハイマツがせまり、エゾリンドウの花が霧に濡れ、巻き込んでくる風に揺れた。

 下りが多いせいか、おもしろいように足が運び、あっという間に石沼に到着。

 深い霧に包まれた石沼の向こうに、
 かすかに黒いアオモリトドマツの群落がかすんで見えた。
 ほんの一瞬ではあったが、樹上高く太陽が顔を出し、すぐに消えて灰色の世界に戻った。

 鳥や蝉達も鳴かず、山は妙に静まりかえっていた。
 オオシラビソは、頭部がハゲタカのように鋭く、下部はどっしりと太い。
 樹肌は皮フ病にかかったようにブツブツとなり、中には苔が生えて患部をおおっている。
 無器用な格好で強風に耐えていた。

魔の笹薮 アオモリトドマツ林

 2時間程で険岨森手前のコルに到着。
 冷気のおかげで汗はほとんどかいていない。

 魔の笹薮に飛び込み、仮戸沢を下って大深沢源流へ

 南八幡平稜線はクマザサ密生地帯が広がり、
 6月ともなるとタケノコ採りで満員となる。
 とくに、小白森付近は山頂らしいものがなく、
 笹ヤブの中で方向を見失った人達が、葛根田川に迷い込み、
 毎年遭難騒ぎを起こしている。
 “魔の笹ヤブ”と呼ばれているのだ。

 魔の笹ヤブに飛び込む。
 2mもある笹竹の中は全く視界がきかない。
 進むたびに、バキッ、バキッ、ガサ、ガサ、パチッ、パチッと密ヤブは鳴った。
 方向を見失うような密ヤブの中で、まるで目印でもあったかのように最短距離で沢へ下りた。

 仮戸沢のゴーロは勾配のきつさにおいて他に比類がない。
 下から見上げると、巨岩が一斉に崩れてくるのではないかと不安になった。

 三ツ又より北に位置する沢が北ノ又沢、東から流れ下る沢が東/又沢である。とすれば、仮戸沢は西ノ又沢でなければならないはずだ。

 イワナも棲めない勾配のきつさは、渇水時には伏流となって巨岩の底を流れ、表面には一滴の水も流れなくなる。これは仮りの沢、という意味から仮戸沢となったのではあるまいか。と、ゴーロの階段を一歩、一歩踏みしめながら思った。

 巨岩に腰を下ろし、前方を眺めると、東ノ又沢と関東沢の分水尾根が見えた。
 大深沢の瀬音が足の下から聞こえてくる。
 天高くそびえるアオモリトドマツの森におおわれた三ツ又を過ぎ、ナメ床を下った。石ばかり踏んできた足に、ナメ床はこの上なく快適であった。

 ザイルを頼ってナイアガラの滝を下ると、頭から飛沫を一杯に浴びた。
 しばし立ち止まって上を見上げると、顔面めがけて飛沫は容赦なく襲ってくる。
 大深沢に入るいつもの儀式のようで、身の引き締まる思いであった。

 車止めから8.2km、5時間30分かかって、関東沢にたどり着いた。いつものテント場に着くと、自分の家に帰ってきたような安堵感が広がった。

 誰かがキャンプした痕跡は多々あったが、何一つゴミはなかった。源流を訪ずれる釣り師のマナーが向上した証拠に、とてもうれしくなった。原生的な自然をもつ源流は、ゴミを捨てて平気な顔をしている人間をも変える不思議な力をもっているようだ。

 夕食のイワナを調達しようと、ぼくは先程下ってきた本流を釣り遡った。魚影が濃く、餌や仕掛けに神経質になる必要は全くなかった。

 今回はビグを持ってこなかった。
 ビグに入れる程キープするつもりがなかったからである。
 しかし、ついついもう一匹、もう一匹となるのがイワナ釣りである。
 けれどもそんな卑しい釣りはしたくなかった。
 小物が多いので7寸以上を数尾キープしたところで納竿。
 イワナを通して原生的な自然を釣った気分で心が弾んだ。

 深い暗闇が源流を包む頃、焚火は赤々と燃えた。
 原始の姿をとどめる渓の息づかいを、
 野趣あふれるイワナ料理にたっぷりふりかけて、
 酒を飲み、夢中で食らう。

 悠久の源流を流れる大深沢に抱れて、
 今までの様々な源流で展開されたドラマを友と語らい、
 酒を飲んでいると時を忘れた。
 シュラフにもぐり込むと、風の音がした。
 人は、夢見るために眠るのであろうか。
 心地よい瀬音とともに、深い眠りについた。

 関東沢探釣(2日目)
関東沢、2条3m滝

 何回か大深沢にやってきているが、なぜかぼくだけは関東沢を詰めたことがなかった。
 今日は初めての関東沢探釣の日であった。

 出合いからのゴーロは小型が多いので、竿を出さずにゴーロを歩いた。
 話に聞くよりゴーロは巨大だった。
 副会長によると、昨年よりゴーロは巨大化しているという。

 石は黒味を帯びた安山岩である。
 どうしてこんなに岩がゴロゴロしているのか不思議に思う程、どこまでもゴーロが続いていた。至る所の岩にダイモンジソウが咲き乱れ、瀬尻から小イワナが走った。
 上を見上げると、今にも泣き出しそうな雨雲が動いていった。

 次第に渓は落差を増し、ゴーロ連瀑帯となった。
 巨岩と連続する瀑水の美しさに思わず声を出しそうだった。
 右岸の壁を見ると、長大な壁が抜け落ちていた。
 安山岩はもともと柱状節理が多い。
 長年の風雪で壁は谷へ崩れ落ちてきたのだろう。
 岸には崩壊したばかりの鋭角的な巨岩が積み重なっていた。
 30分歩いたところで竿を出すことにした。

 黒い安山岩の上を滑るように水は流れ落ち白い数条の帯を作っていた。
 竿を突き刺せばフーセンが割れるような帯である。
 落下すると、いくつもの泡が底から盛り上り、四方八方へ散っていった。
 まわりの岩にまた押し戻され、やがてまた整然と流れは統一されて流れ下っていった。

 足音を殺して、岩陰に身を隠し、
 その流れ出しに静かに竿を振り込むと、
 黒い物体がサッと動いた。

 愚かな釣り師に愚かなイワナ

 イワナはまるで無警戒。
 イワナ針9号のでかくて大い鈎を鈎ごと飲み込んだ。
 餌は見えるが鈎は見えないらしい。
 でも食わえた瞬間、大型の鈎はイワナに異和感を与えているはずである。
 にもかかわらず執幼なまでに食らいついてくる。
 アワセないで遊んでいると、ノドの奥まで鈎を飲み込んでしまう。
 イワナは本来、動く影や異質の音に敏感に反応する神経質な魚である。
 とても同じ魚とは思われないような大胆な行動をとる。

 厳しい自然界に生きるイワナにとって、
 流れてくる餌を食い損うことは許されないのだろう。
 愚かな釣り師に愚かなイワナ、という構図が浮かびあがってくる。

 悲しい宿命を背負ったイワナに同情の念がない訳ではない。
 けれども、ぼくにとって唯一のタンパク源である。
 背中の荷物にタンパク源は何一つ入っていないのだから、
 食べる分だけはキープしないと自分がくたばってしまう。
 ときには甘い感傷を捨てなければならないのもイワナと同じ釣り師の宿命である。

 やがて、ゴーロの続く渓に2条3m滝が姿を現した。
 落差の割には釜は大きく深い。
 広がる瀬尻には、ちょうど.身を隠すのに都合のいい巨岩が横たわっていた。

 竿を入れるが、6寸程の小物ばかりで全てリリース。
 右岸を巻くと、太い流木が渓の両岸にまるで丸太橋のように横たわっていた。
 流木橋を渡ると苔むした岩盤にミヤマダイモンジソウが、
 砕け散った飛沫を浴びてかすかに揺れていた。

渓に横たわる流木橋 清冽な流れとダイモンジソウ
 
 小型イワナの謎

 滝上からすこぶる魚影が濃くなっていった。
 6−7寸級と小型ではあるが、釣っては放し、釣っては放しで忙しいくらいに釣れてくる。
 竿を入れる度に釣れでくるので、まわりの風景が全く目に入らなくなった。
 目は岩や石のまわり、落ち込みや淵、巻き返しや払い出し
 と次々と変わるポイントばかりを追っていた。

 まわりの草木や景色が見えなくなるようでは、
 一人前のイワナ釣り師とはいえないが、ついつい深入りしすぎたようだ。

 大深沢のイワナはなぜこうも小型が多いのか。
 魚影は濃いのだから、大型が全て釣り尽くされたとは考えられない。
 川虫よりミミズが効果があるということは、人ずれしていない証拠でもある。
 なのに尺オーバーは釣れてこない。
 腕が悪いのかもしれないが、大物は見ることすらなかった。

 釣ったイワナをじっと眺めてみた。
 北海道のオショロコマは体側に鮮明な朱点があり、
 白斑のみのアメマス糸と区別されている。
 オショロコマは体長20cm前後で大型化しない。

 見れば見る程大深沢のイワナはオショロコマに似ていた。
 今西錦司博士によると、イワナはオショロコマとアメマス糸イワナの
 2種しか存在しないという。
 けれども、ぼくにはどうも納得できない。
 それを打ち砕く理由は何もないのだが、
 釣れてくる独特の固有のイワナを見て、不思議に思うだけである。

 玉川本流は主に渋黒源泉の毒水で、昔から強い酸性であった。
 川を渡れば足の皮が剥離すると言われる程の毒水である。
 大深沢のイワナは下ることができず源流部に閉じ込められたイワナであった。
 この特異な閉ざされた源流部に棲息しているがために、
 一層特殊な種に思えるのかもしれない。

 天狗のような仙北マタギに感謝

 遠く稜線に雲がかかり、小粒の雨が降ってきた。
 第一二又を過ぎると、巨岩が種み重なって五m程のゴーロ滝がかすんで見えた。
 ゴーロ滝にしては落差が大きい。
 自然の演出の妙に驚かされた。

 ゴーロも終り、平凡な河原を足早に歩いた。
 すると、突然巨大なプールを抱えた10m滝が行手を遮った。

関東沢、3段12m滝(百体の滝) 関東沢はナメ滝が連続しているが、どこまでも岩魚が生息している。仙北マタギに感謝!

 ゴーロばかり見てきたためか、わずか10 mのナメ滝ではあるが、異様に巨大に見える。
 濡れた河原に寝そべり、シャッターを押した。
 滝上は雨に煙りかすんで見えた。
 滝の壁はいくつもの人間の頭のように突き出し、滝に打たれる修業僧のようである。
 それをたった一人で見ていると、何やら妖気が漂っている滝に思えた。

 左岸の草付をつかみながら高巻いて滝上に出た。
 下からは見えなかったけれど、この滝は3段となった12m滝だった。

 滝上は下流のゴーロとは全く異質なナメ床、ナメ滝の世界である。
 ナメ床の向こうに巨大なお椀のように丸く快り取られた壷があった。
 その中を覗き込むと10匹ぐらいのイワナが見えた。
 さらに壷の中央に目を転じると、底石の上に尺級のイワナが悠然と泳いでいた。

 無意識の中で体は沈んでいた。
 何度も餌を流すが無視される。
 ナメ床はゴーロと違って隠れる石がない。
 イワナが見えるということは、相手もぼくが見えるらしい。
 見える魚は釣れない。
 これでは見えた時に、すでに勝負はついていたのであった。

 上段のお椀の壷で良型が2尾出た。
 以降、ナメ滝の連続である。
 遡るにつれて、雲海はすぐそこまで迫っていた。雨に煙るナメ滝の壷では、必らずといっていい程良型が糸を鳴らした。

 関東沢も魚止めの滝はいくつもあるが、滝上全てにイワナが棲息していた。天狗のような仙北マタギに感謝し、ナメの続く渓を下った。

 暗闇が深くなるにつれて、
 雲の切れ間に星が出てきた。

 焚火が暗闇を破り、沢の音が静寂を破る。
 風邪を患い、声が出なかったK氏もやっと人並みに声が出るようになった。
 それがよほど嬉しかったのか、いつになく饒舌となった。

 原生的な自然とイワナのエキスの効果は、
 どんな病いをも直す不思議な魔力をもっているようだ。
 ぼくは一日関東沢を遡行したことで大深沢の全てを体感した。
 もう思い残すことは何もない。
 焚火を離れて河原に出た。
 見上げると、星空が急速にひろがっていた。

 憧れのヤマセミ(3日目)

 森が朝陽を受けて輝き始めようとしていた。
 焚火に枯木をくべると突然「キャッギャー、キャッギャー」と声がする。
 すかさず目をやると、鳥がピューンと渓沿いに低く飛んでいった。

 一瞬陽光がぴたりと停止したように思われた。
 ヤマセミだ。
 何度も写真や矢ロ高雄のマンガで見たことはあったが、その大きさに驚いた。
 頭頂部の羽毛は長く、逆立った毛はやはり冠羽そのものだった。
 腹は白く、黒白交互の斑点は色彩こそ地味だが、山地の渓流によく溶け込んでいた。

 それは赤いベレー帽をかぶったクマゲラよりも憧れの鳥だった。
 ブナの象徴としてクマゲラがあるように、
 イワナを食べるヤマセミにより強い憧れを抱くのも、
 ぼくにとってはごく自然なことだった。

 源流部ではめったに見かけない華麗な鳥だ。
 低空飛行していたところを見るとイワナを狙っていたのだろう。
 先程までいたガマガエルは、とうにいなくなっていた。
 焚火に集まった虫をたっぷり食べて、今は森の中で朝寝でもしているのだろうか。

 昨日、K氏とA氏が北ノ又沢を下降してきた釣り師3人組に出会ったという。
 彼らは大深山荘で一夜を過ごし、三ツ又にキャンプしたとのことだった。
 八戸からきたという3人組は恐らく東ノ又沢に入るだろう。
 いずれにしても、三ツ又より上流は先行者のために諦め、
 ナイアガラの滝まで釣り遡ることにした。

 輝く緑の渓を釣る

 緑のトンネルの向こうから、光がやってきて、まぶしいくらいに渓は輝いている。
 幾条もの白い帯が点在する岩を縫って流れていた。
 流れが幾度となく行ったり戻ったりしながら、渦巻き、
 やがて遠くかなたへ去って行く。
 だが、流れは一瞬も切れることなく流れ続ける。

 核心部もだいぶ攻められているらしく、小物ばかりだった。
 頭を撫でては優しくリリースする、その繰り返しだった。

 岩穴に閉じ込められたイワナ

 中間の10m滝左岸の岩盤には大きな穴があいていた。
 流れからはずれた単なる溜り水であった。
 滝の飛沫がときおり静かな水面を乱していた。

 岩盤に座り込んで穴を覗いた。
 いた、いた、イワナが数匹悠然と泳いでいるではないか。
 8〜9寸級のイワナも見えた。
 副会長がその穴に餌を投じると、すぐに食らい付いたが、小物だった。
 良型イワナは、餌がまるで邪魔物のように無視している。
 大物程警戒心が強い、
 それは当り前のことではあるが、充分納得させてくれる光景だった。

 滝壷に吸い込まれるような美わしい滝

 十一時、ついにナイアガラの滝に辿り着いた。
 黒い岩盤は意外に脆く、中央部は落下水と風圧で崩れかけていた。
 中央に大木が一本立っているが、岩盤もろとも崩れ去るのは時間の問題のように思われた。
 見れば見る程滝壷に吸い込まれていくように美しい滝だ。
 何時間見ていても飽きない気がした。

 一見、滝の中央を何なく直登できそうに見えるが、
 近づくと滝壷に落ちたようにズブ濡れになることはまちがいなかった。
 それ程遠くで眺めるのと飛沫を浴びるほど近づくのとでは違っていた。
 黒い岩盤が一層流れの白さを際立たせていた。


 シャッターを夢中で切った。
 仲間からは無駄な写真が多すぎるといつも非難されるが、
 そんなことはとうに忘れていた。
 人間の表現感覚を超えた滝、
 それがナイアガラの滝であると思った。
 カメラを持って眺め、竿を持っても眺め、
 昼飯を食べながらも始終眺め続けた。

  「塩騒は世の常である。
 波にまかせて泳ぎ上手に雑魚は歌い躍る。
 けれどだれか知ろう、百尺下の水の心を。水の深さを」(吉川英治『宮本武蔵』)

洗礼の滝を釣る 橙色の鮮やかさに注目!

 イワナを釣って自然を釣ったつもりでいたが、実は何もわかっていないような気がした。
 自然の心を、水の深さを、百尺下を流れる地下水の心までイワナは知っている。
 なのにイワナを釣って全てを釣ったつもりでいた自分が、いかに浅はかな釣り師であることか。イワナにのめり込めばのめり込む程、その底は底なしになっていくように思われた。

 泥棒釣り?

 テント場手前200m程のところに
 右岸から流入する小さな小さな枝沢が目に止まった。
 今まで一度も気にかけたことのない沢である。

 まだ昼を過ぎたばかりなので、ちょっと覗き込んでみることにした。
 流れの幅は30cm、水深は20cmもあろうか。
 両岸から笹竹がせり出し、小さなトンネルのようになっている。
 中は暗い。

 まさかイワナがいるとは思わなかっただけに、
 上流を向いて泳いでいるイワナを見た時、青くなる程仰天した。

 仕掛けを全長50cmに切って、文字通りチョウチン釣りを試みた。
 自分が這うような姿勢しかできない小さな笹竹トンネルの中へ
 突き刺すように竿を伸ばしていった。
 50cmでも餌は水面を引きずっていた。

 イワナの頭に川虫の餌が届かないうちに、物凄い勢いで食らいついてきた。
 合わせようにも竿を上げることはできない。
 どうしたら合わせることができるか。
 と考えているうちに、イワナは勝手に水面上でバシャッ、バシャッともがき始めた。

 一直線に竿をたたんだ。
 昼なお暗い笹竹トンネルの中で、
 水に濡れながら這うような格好で真黒のイワナを握りしめた。
 泥棒でもしたような不思議な快感だった。

 人はこのようなヤブ釣りを卑下するけれどももしかしたら、
 これがイワナ釣りの原点なのかもしれないと思った。
 広々とした渓ばかり釣っていたためか、殊の他心がときめいた。

 登るにつれてすぐに落差は倍加していった。
 次のポイントはやや大きい。
 すぐにアタリがあったが、浅掛かりで手前にボシャッと落ちてしまった。
 9寸級のイワナだった。
 未練がましく軍手をはめ、川虫捕り網を片手に手づかみを開始した。
 だが、影すら見えない。
 逃げるところがないように思われた小沢から、イワナは完全に消えていた。

 酒仙たちの世界

 原始の姿をとどめる山々に囲まれた森と渓に、最後の夜がやってきた。
 焚火をみつめ、久しく飲んだことのないイワナ酒を飲んだ。
 瀬音を肴に岩魚を語る時、全員が輝いていた。
 人生いかに輝いて生きるかという難問の答がここにあるような気がした。

 足をふらつかせながら、河原の石に座った。
 暗黒の空に星が点在していた。
 狭い天空にしてはおびただしい程の星が見える。
 じっと見つめていると、月も星も届きそうなくらい近づいてくる。
 ついには星の中に自分がいるように思った。

悠久の源流懐深く抱かれて、時を忘れる。

 レジャーという名の行列

 黒い葉陰に見える月を見ながら、あるCMの言葉が頭に大きく浮かんできた。

 「せっかくの休日に“レジャーの行列”をつくることの
 一体どこが遊びなのであろうか。
 急き立てられ、疲れ果てて遊ぶ。
 遊び、それは自分の人生を優しくいたわることだ。
 それが分からないなら生涯“レジャーという名の行列”に並んでいるがいい」。

 少年時代の遊びは自分の手で創造したはずだ。
 それを大人になるとすっかり忘れてしまう。
 ぼくもこの源流の世界を知らずにいたら、
 生涯「レジャーという名の行列」に並んでいたかも知れないと思った。

 今夜も、全員、夢の中で酒を飲み、やがて夢の坂道を登っていった。

 天上の青の世界(4日目)

360度のパノラマに全員の心が躍った。

 ナイアガラの滝に別れを告げて、ひたすら仮戸沢の急登ゴーロを登った。
 それは夢の坂道ではなく、現実への坂道であった。

 “魔の密ヤプ”を突破すると一気に視界は開けた。
 いつもガスに邪魔された展望とはまるで違っていた。
 そこは天上の青の世界だった。
 広大な山々は、めくるめく青と緑が氾濫していた。
 疲れと苦汁に満ちた顔が一斉に笑った。

オオシラビソの樹海 前方の山はモッコ岳

 振り返れば、黒い針の,ようなオオシラビソの樹海と
 盛り上がるようなブナの樹海が見える。
 険岨森、関東森、八瀬森、大沢森、大白森、小白森、三階森、
 黒石森、栂森といった山の頂きまで森のついた山々を始め、
 岩手山、大深岳、乳頭山、秋田駒ヶ岳、森吉山がはっきり見えた。
 余りの展望のよさに、歩く速度は極端に遅くなっていった。

 石沼に着くと、四日前の灰色の沼が青い原色の沼へと変わっていた。
 諸桧岳頂上前後は背丈の低いハイマツにおおわれ、
 視界を遮る障害物は何もない。
 360度のパノラマに全員の胸が鳴った。
 足元には紅色の実を一杯につけたコケモモの群落が地を這い、
 それと連続するかのようにイチイも赤い実を沢山つけていた。
石沼 アオモリトドマツ

 湯煙に消えていった伝左衛門翁

 モッコ岳を越えると、深く切れ込んだ伝左衛門沢の谷が見えたが、
 深い樹海の陰で谷底は見えなかった。
 谷と尾根との間に広がる広大な緑の空間は、
 原始そのままの静寂を保っているように見えた。

 その深い谷の底から一人の男が登ってきた。
 古びた青の針巻、背中にはサブザックを背負っていた。
 昔、マタギが着ていたような紺の上下の衣服をまとい、地下足袋をはいている。
 顔は浅黒く、白い髭が際立っていた。
 かなり時代がかった格好である。
 足はふらついているところをみると、明らかに疲れきっていた。

 60歳ぐらいであろうか。
 全身から近づき難い妖気を放ちながら、ただひたすら歩いてきた。
 老人は一言も発せず過ぎ去っていった。
 おそらく、相当ハードなルートを歩き続けてきたのだろう。

 「もの好きもいるものだ」

 ぼくはもの好きの中に自分自身を含めてわらった。
 サブザックの後にはテンダー製ビグがしっかりとくくりつけられていた。
 その後姿は、伝左衛門という名の孤独な老イワナ師のように見えた。
 藤七温泉の向こうから立ち昇る湯煙の中、
 伝左衛門翁は静かに消えていった。

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