想い出の源流紀行E

魚止めの滝は魚隠しの滝だった 1988年7月下旬、2泊3日

 葛根田川上流は、奥羽山脈の中枢をなす乳頭山、大白森、大沢森、曲崎山、八瀬森、関東森、大深岳といった1200〜1500mの山々を源頭として七つの支流群からなっている。この流域は、秋田フキの巨大な葉を上から見たような丸い形をしている。これは、有望な枝沢が多いことを示している。キャンプ釣行には理想的な支流が多い。

 葛根田川には、明治以前までイワナは棲息していなかったが、明治のころ、秋田県生保内の職漁師が先達川から金堀沢へイワナを放流したことから、今では源流部までイワナが棲息しているという。この秋田イワナの子孫を釣ってみたいと思い、仙岩峠を越えて葛根田川をめざした。

 大石沢出合いまで魚影見えず 1日目

 仙岩峠は陸奥から出羽へ達する通路であり、双方の経済交流に果たした歴史的役割は大きい。かつては、仙岩峠も深い樹海につつまれた険い峠であっただろう。そこをキリシタン衆徒、駈け落ち人、飢餓逃亡者、あるいは夜の峠を越えて橋場や生保内へ通った夜這い若衆など多種多様人間が往来したという。

 仙岩トンネルを通過するころ、次第に雨足が強くなり、大雨となってきた。それでも、葛根田地熱発電所が近づくにつれて小降りとなり、葛根田林道始点車止めに着いたときは雨がやんだ。川もさほど増水していないのでホッとする。

 葛根田林道から川へ下りると竹ヤブの中に踏み跡がある。雨で濡れた竹ヤブをかき分けるように進む。踏み跡はすぐに河原に達している。大べコ沢までは広々とした平凡な河原である。右岸から流入する大ナメ滝は五〇mにも達し、逆層のスラブ壁をなめるように滑り落ちている。

 大べコ沢より上流は石も次第に大きくなり、大岩の点在するナメ床、ゴーロが続き、まもなく右手に丸い形をした落差五mのナメ滝がある。

 このナメ滝の左下は丸く削り取られている。おわんのようなツボに、真っ白の糸を幾条にも引いたように流れ落ちている。歩き易いナメ床を遡行していくとゴルジュ帯となる。ここを右岸に巻くと、美しいナメ床が連続している。

 次第に渓は狭まり、二番目のゴルジュ帯となる。増水時は困難に見えるが、渇水なので左岸をへツリながら通過する。岩盤はザラザラしていて滑りにくい。このゴルジュ帯右岸から流入する十五mのナメ滝が本流へ落下する様はみごとである。ゴジュを越えると廊下状ナメとなり、まもなく右岸から流入する大石沢に出合う。ここまで三・八キロ、二時間弱である。

 大石沢出合いまではかなりの水量であるが、それより上流は半減する。
 大石沢出合いはナメ床が削り取られた水路となって滑るように流れている。左岸高台は、よく整地されたテント場があるが、水場まで登り下りしなければならず不便である。ここより二〇〇m上流、左岸高水敷の河原をテント場とする。ここまでイワナの魚影は全く見かけなかった。果たして秋田イワナの末裔は釣れるのだろうか。

 葛根田大滝は22センチが1匹だけ

 本流班、大石沢班の二班に分かれ、午後からイワナ調達に出かける。中ノ叉沢出合いまで二六センチ一匹のみ。中ノ叉沢入口は三〜五mの滝が五段となっているが、このツボで数匹釣れてくるが型は小さい。

 ここで四人の沢登りパーティに出合う。昨日本流を遡り、中ノ叉沢を下降してきたという。これでは中ノ叉沢は釣りにならないので本流へ向かう。
 ポイントはあるがアタリがない。

 六〇〇m程進むと二段二五mの葛根田大滝に達する。この滝ツボは水を満々とたたえ、いかにも大物がいそうである。しかし、下段で二三センチが一匹上がっただけで、上段は全くアタリなしであった。

 二時間半程で竿をたたむ。釣り人に気づいて走る魚影は時々見えるが、どれも型は小さい。大滝からテント場までは三〇分。まだ午後三時であるが、いつもより早い夕食の準備にとりかかる。

 しばらくすると大石沢組の会長と章氏が帰ってきた。大石沢は名称どおりブナ原生林の中、大石のゴーロとナメの連続する渓であったが、二七センチが最高で、他はリリースサイズが多かったとのことである。ときおり雨のパラつく中、盛大な焚き火を囲み、カエルの大合唱を聞きながら宴会が始まる。

 沢は歩き易いので一時間に二・五キロ程歩くことができる。わざわざ六・五キロ地点上二叉までキャンプ地を移動しなくても充分源流部まで攻めることができる。明日もここをベースキャンプにし源流部を攻めることにする。

 15メートルの直滝越えに悪戦苦闘 2日目

 ゆっくりと朝食をすませ、八時前に釣りに出かける。一気に大滝まで歩き、左岸を大きく巻いて滝上より四人で釣り遡る。滝上のツボで第一投目。生きのいいドバミミズに食いついてきた。糸を張って挑発するとツボめがけて走る。二二センチ程のイワナであった。パーマークのはっきりした美しい姿態だ。

 幸先いいぞと思ったが、これ以降全く釣れない。ポイントはあるものの魚影は極端に少ない。上流に行くに従いポイントの少ないザラ瀬となり、九時四五分、上二又に到着。ここは左岸高台が絶好のキャンプ場となっている。

 まわりはヒバ、サワグルミ、ミズナラの巨木が林立し、いかにも源流部らしい。

 ここから滝ノ又沢と北ノ又沢の二班に分かれる。私は副会長と北ノ叉沢に入る。下流部のザラ瀬がウソのように谷は圧縮され、ゴーロをともなった釜が連続し、好ポイントが続く。しかし、大イワナのいそうな大釜でもリリースサイズしか釣れない。

 二〇〇m程進むと右岸から流入する五mのナメ滝があった。ツボは本流より一段高くなっているところにあるが、ドバミミズの特大を一匹掛けにして投入。二投目にミャク釣り独特のゴツゴツというアタリが返ってきた。上がってきたのは八寸級のイワナである。

 ここから三〇〇m程進むと谷はさらに狭くなり、直角に左折すると十五mの直滝である。両岸絶壁で釣り人をこれ以上進むのを拒絶するかのような見事な滝である。ツボも大きく、いかにも大イワナがいそうであるが、釣れてきたのはリリースサイズの小物であった。

 時刻は十一時。高巻きルートを探すも両岸絶壁で見つけることができない。下流まで下がり、大きく高巻くことにする。ヤブと雑木の密生した急斜面を登る。上流へトラバースしようにも崖でできない。ここでやめればいいものを夢中で登り続け、高度一〇〇m程で尾根の頂上まできてしまった。

 頂上はみごとな五葉松が生えていた。高巻きに失敗し、松が生えてる尾根を下る。やっと左に瀬音が聞こえてきた。雑木につかまりながら沢へ下降。一時間以上のヤブこぎでへ卜へ卜となり、ここで昼食とする。

 冗談で「あの頂上に竿を忘れてきたら、また取りにひき返すか」と副会長に問うたら、「新しい竿をくれると言っても二度と行きたくない」というごもっともな答が返ってきた。

 高巻きは無理と判断し、八瀬沢に入る。落差のあるゴーロ連バク帯となっているが、アタリがない。まだ一時を過ぎたばかりである。思い直して再度北ノ叉沢十五m滝に挑戦する。

 高巻きは小さく巻くのが原則である。先程は大きく巻こうとして失敗した。峻立する壁にもわずかな糸ロがあるはずである。滝は直角に曲がったところにあるが、この曲がる手前にわずかなガレ場がある。手掛かりとなる木がないので慎重に草の根をつかみながら直登。中間まで登った所で踏み跡があった。下から見たのでは全くわからない程のわずかな小段が壁の横に走っている。ここを巻いているようだ。

 後は簡単に巻くことができたが、今度は五mの滝である。ここでなぜか踏み跡がなくなっている。ガレ場を登り、横にトレースして脇尾根に取り付く。壁は上流まで直に近く、大高巻きでも無理である。ザイルがなければとても下降できない。ほとんどの人はザイルがないので断念したに違いない。

 滝頭めがけて脇尾根を下る。脇尾根から上流へは小さな小段となっているので、上流へ回り込む。両岸は直に近い岩壁で手掛かりとなる木もない。下を見るとオーバーハング状になっている。

 ブナが横たわる木をよく見るとザイルで下降した時の捨て縄が巻きついていた。かなり古いものですぐに切れた。五mのシュリンゲをこの木に巻きつけ下降。

 岩は風化し、ことごとく崩れ落ちていく。わずかの小枝も岩にくい込んだものではなく、すぐに抜けてくる。シュリンゲがなければ、まっさかさまに落ちてしまう。高巻きに失敗したしながら挑戦すること二時間!。やっと滝上へたどりつく。

 北ノ又沢にあったエル・ドラード

 この悪場を抜けると、そこはこの世の別天地、まさにイワナの秘境であった。第一投目で良型の黄金イワナが宙空を舞った。どこまでもおだやかな瀬、ナメ床、ナメ滝、釜が続く。全てのポイントにイワナがいる。
 イワナの桃源郷・北ノ又沢源流 熊の足跡発見!

 偵察隊のイワナが瀬尻から走っても、そのツボで釣れてくる。まるで釣り糸を知らないかのようだ。しばらくいくとナメ床の続く二条の釜がある。さほどでないポイントで八〜九寸が出るのだから、ここなら尺もいるだろうと特大のドバミミズをつけて静かに接近。右側のミオ筋に投入する。

 何の反応もない。おかしい。左側に投入。きた!! ゴツゴツという強いアタリとともに心臓も高鳴る。竿を立てると一気に右へ走る。丸々と太ったジャスト三〇センチのイワナが河原で踊る。二mナメ滝のツボでは二人で交互に入れながらいくらでも釣れてくる。魚影は濃い。

 時間がないので荒釣りしながら進む。前方に三〇mの黒い壁を伝って滑り落ちるナメ滝があった。したたり落ちる水は少なく、壁がしっとり濡れる程度である。さらに上流へ行くと、次第に流れが細くなる。

 夢中で釣っていると、副会長が「おい!! これクマの足跡じゃないか」

 と叫ぶ。見ると砂地に深くめり込んだ足跡は、まぎれもなくクマである。

 つい先程歩いたようで足跡も鮮明である。すぐに笛を何回も吹きならす。

 そしてザックから「クマさんごめんなさい」という商品名のクマ鈴を出して再度釣り始める。大きなツボでは何匹も釣れるが、時間がないので一匹ずつ釣って足早に魚止をめざす。魚止めは二段のナメ滝となっている。下段三mの滝ツボは浅いが手前に大きな岩がある。

 ここで副会長がニジマスのような肉付きのいい尺イワナを釣り上げた。
 太い。今までに見たことがない肥満体のイワナであった。上段五mのツボは下段よりはるかに大きく深い。

 しかしアタリはなかった。下段が魚止めである。
 ここでもう午後五時近くになっている。急いで竿をたたみ下降。テント場へ着いたのは暗くなる寸前の七時であった。

 北の又沢の二段20mの滝のゴルジュに守られて、釣り人の侵入も受けずに息づいていたイワナたち。かつて生保内職漁師が滝上に放流したものか、あるいは別人が隠しイワナにしていたのか、私たちは知る由もない。

 だが、奥羽山脈の中では、こんなイワナ谷に出会う幸運も、ときにはあるということなのである。

 (かつて岩魚が生息していなかった葛根田川源流、そこで岩魚釣りを楽しむことができるのは、先人たちの源頭放流のお蔭である。この源流行を通して、マタギや職漁師たちに感謝!感謝!・・・。

 先人たちに学び、自分たちができる範囲で、在来種の滝上放流を実践すべきであることを教えてくれた貴重な源流行でもあった。)

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