想い出の源流紀行F

 魅惑的な大イワナの世界

 私の本棚には、植野稔さんの書いた「源流の岩魚釣り」(冬樹社)、白石勝彦さんの書いた「大イワナの世界」(山と渓谷社)という本が大切に飾られている。この二冊の本は、源流の大イワナ釣りに火を点けた草分けである。

 この本の中には、身震いするような大イワナの話が出てくる。

 「イワナを釣るにしても、20、30cmのチンピラじゃ話にならない。40cm、いや50cmを超えるような大イワナを狙うべきだ。それこそ釣り人の最終目標なのだ」

 「たった一尾だけでもいい。その代わり心臓がぶっ壊れるくらいドキドキさせてくれる大イワナであってほしい。それを釣るために、イワナ釣り師は、険しい谷を遡行して、源流の魚止めを目指すのである」(「大イワナの世界」)

 魅惑的な言葉だ。

 源流釣りのパイオニア

 が放つ初々しい文章は、どんなに優れた文学より輝いている。
 それは、未知の世界に果敢に挑み掴んだドラマである。
 釣り人で溢れる谷ばかり体験している我々にとって、それはまるで夢のドラマの連続だ。だからこそ、神秘の谷を開拓した遡行記は、一層輝きを増す。

 どんな世界であろうとも、パイオニアとして活躍した時代の体験と未知の世界に感激した初々しい文章こそ、初心者の心を打つ。

 「谷を遡る喜びや、山中深く潜入した快さ、
 遡行の果てに必ず待っていてくれた岩魚達との出合いがあった。
 深山幽谷での岩魚釣りは、私が長い間探し求めていた、
 源流の岩魚の世界である。
 最も困難だった谷は、朝日・飯豊連峰で、
 大山塊の調査には、8年もの歳月を要した」(「源流の岩魚釣り」)

 未知の源流に何度も敗退しながらも果敢に挑み、新たな世界を見い出した初々しさが、行間に溢れている。二人は、ともに源流の岩魚釣りのプロになったけれども、根底に流れる心は、「感激を釣る」ということではなかろうか。ともに、イワナ釣りの原点を見いだし、新たな歴史を切り拓いた哲学は、一生変わるものではないだろう。

 奇抜なアイデアや天才的な技術、独創的な仕掛けや釣法、釣り道具の飛躍的な進歩を駆使した現代の「釣りのための釣りの世界」とは、明らかに一線を画す魅力が潜んでいる。
八久和川のゴルジュ帯(カクネ道から撮影)
 彼らが次々と大イワナを釣り上げた場所は、飯豊・朝日連峰を代表する八久和川だった。私は、10年以上も前から、八久和川の大岩魚に挑戦してみたいという夢をもったのも、奇人変人(?)と思われた彼らの影響によるものである。しかしながら、稚拙な技術と僅かの休日しかもたない私にとって、それは想像の世界でしかなかった。

 一匹狼を廃業し、会を結成してから、私の考え方は大きく変わった。
 イワナを釣るというよりも、未知の源流を旅することが生きがいとなっていった。そうして、秋田周辺の源流をくまなく歩き、遡行技術と源流の哲学を学んだ。そして、ついに我々は八久和川を目指す機会を得た。

 源流の魚止めの主を釣るパイオニアの時代は、とうに終わっている。しかし、どんな時代になろうとも、自分にとって未知の渓であるならば、かつてパイオニアたちが抱いた夢と感激に挑戦したいという気持ちに変わりはないだろう。

 初めての八久和川遡行

 9月中旬、今にも泣き出しそうな空の下、夢の八久和川を目指した。車止めには、先行車の車が一台止まっていた。宮城からきたという2人組が、早々と身支度をしている。一泊で横沢あたりまで行くという。

 午前7時30分、5日分の食糧を担いで、初めての八久和川遡行が始まった。広々とした林道跡を辿ると、やがて細道となった。崩壊した斜面についている山道は、細いが踏み尽くされている。アップダウンを何回も繰り返し進む。

 深い谷の底に八久和川の太い流れと屹立する廊下帯が見えた。さすがに大渓谷と思わせる景観が、どこまでも続いている。至るところにテン場の跡や本流へ下りる踏み跡があった。いかに釣り人が多いか、想像に難くない。

 夢を釣りたい釣り人は、歴史がどう変わろうとも絶えることはないだろう。

 ブナが広がる緩い斜面、ハキダシ沢に先行者のテントが見えた。もう釣りに出掛けたようだ。5.5キロ地点、フタマツ沢の徒渉点に達する。トロ場に左岸から右岸へロープが張られていた。見た目には、たいした流れではないが、いざ徒渉してみると、その太さに驚く。あっと言う間に流れはへソまで達した。

 増水すれば帰れない、不安が脳裏を掠めた。

 ヤロウ沢右岸の台地には、ブナとミズナラの巨木が林立する素晴らしい森が広がっていた。その景観を損なう工事用シートの残骸が、至るところに散乱していた。

 踏み跡は無数に存在し、どれがカクネ道なのか見当もつかない。適当に沢沿いを歩いていると、地元のマイタケ採りに出会う。もっと上に立派な道があるよ、と教えられた。

 カクネ道・大イワナの匂いが漂う大渓谷

 次第にカクネ道は、吃立する岸壁に、へばり付くような細道となる。
 ベンソウ沢手前で道を踏み外し、迷ってしまった。
 本来ならば、川へ一旦降りるルートなのだが、それを知らず、山へ登る踏み跡を辿ってしまった。

 どこまでも登ると、踏み跡はいつの間にか無くなっていた。
 2度もルートを間違え、3時間もロス、重い荷を背負ってのロスはきつい。失敗に追い打ちをかけるように、雨がポトポト落ちてきた。

 はっきりとした踏み跡があるにも拘わらず、何故迷うのだろうか。

 川へ降りるルートは、増水すれば使えない。増水時に、非難したルートが山へと延びているため、それを本来のカクネ道だと勘違いしてしまうのだ。ルートは、あくまで川沿いを辿る原則を守れば、迷うことはなかった。

 本来のカクネ道に戻ってからは、楽々、それでも距離は長い。
 所々、カクネ道から八久和川が見えた。
 深く大きなトロ場と白泡渦巻く廊下帯、遡行を拒絶するような屹立する岸壁。壁はいずれも高く、流れも深い。大イワナの匂いが漂う大渓谷という雰囲気は満点だ。

 カクネ沢に着いたのは、予定より遥かに遅れた午後3時30分。
 高台は、ミズナラの巨木に覆われた格好のキャンプ地、至るところにテントや焚き火の跡があった。

 巨木の森の中を辿り、河原へ降りる。
 下流の毛虫記号が嘘のように、一転穏やかな広河原である。

 できることなら、小国沢まで行きたかったが、ルートを間違えたために、長沢下流右岸の砂場をテン場とする。ここまで、9キロ、8時間余りもかかってしまった。時計は、既に午後4時を回っていた。

 わずか一匹のカジカを大事に大事に焼いて、熱燗に入れる。骨酒を楽しむならば、イワナよりカジカの方が美味しい。貧しい食事ではあったが、丸一日遡行した満足感とカジカの美酒にすっかり酔い潰れてしまった。

 釣り人を魅了するポイントが連続

 翌朝も曇天、釣り日和に誘われるように上流へと釣り上った。河原では、全くアタリなし。ミミズでは相手にしてもらえない。それだけ、スレていることは明らかだった。

 次第に流れは狭まり、ゴルジュ帯となる。
 流れは清冽で太い。
 渡渉しようとすれば、流れはすぐに腰まで襲ってくる。

 ポイントは、花崗岩の壁が連なる巨大なトロ場が連続。
 上るに連れて、大イワナの気配は濃くなる。けれども、腕が悪いのか、釣り尽くされたのか、それとも押し寄せる釣り人に神経を尖らせているのか、アタリは以前として遠い。

 川岸を飛び交うトンボを餌に、A氏が8寸級のイワナを釣り上げた。銀色に輝くイワナに笑みがこぼれる。前ビレは 橙色だが、斑点は全て白く、腹部まで真っ白のアメマス系のイワナだった。

 毛虫記号が連続しているとはいえ、険しい滝は皆無。
 泳げばどうてことないが、秋では寒くて泳ぐ気にもなれない。
 竿をたたみ、何回も巻きを強いられた。

 左岸から芝倉沢が流れ込むゴルジュを大きく巻く。
 氾濫する情報では、ここから八久和川の核心部とのことである。確かに、剥き出しの白い壁と大淵のポイントが連続している。期待を胸に、粘りに粘ってイワナを探る。イワナは確かに釣れ出したが、大物は一向に出る気配はなかった。探るポイントが大きく、極端に遡行速度は遅くなった。

 右岸を小さく巻くと、ゴルジュ帯の奥に栃ノ木沢が流れ込む。
 その合流点下流に、大きな淵があった。
 張り詰めた心を押さえながら、ツルツルの壁を慎重に進み、ポイントへと近づく。落ち口の深い巻き込みで待望のアタリがやってきた。しかし、又も8寸どまりだった。

 右岸を巻いて沢へ降りる。依然、大淵が釣り人を魅了するポイントが連続しているが、尺にも満たない。

 小国沢下流高台は、ブナとミズナラの巨木が林立している。

 巨木の太い根は苔蒸し、大イワナを育んできた森に相応しい風格をもって迫ってくる。

 風になぎ倒されたブナが散見する高台を歩いていくと、小国沢に達する。だが、絶壁で降りることはできない。戻って、絶壁の雑木と草付けを頼りに沢へ降りた。

 小国沢の左岸高台には、よく利用されたテン場があった。
 ここまで長沢から僅か2キロしかないが、ここで時間ぎれとなった。

 テン場まで2時間余り、昨夜とは打って変わって、イワナづくしの楽しい一時が、大イワナに無視された不満を吹き飛ばしてくれた。

 小国沢上流へ

 3日目。久々に朝日が深い谷に射し込む、清々しい朝を迎えた。
 8時、早くも、赤いヘルメットで身を固めた4人組がやってきた。

 「今日中に、登山道までいけるかな 」
 「ポイントを乱して悪いが、先へ行きます」
 と断りを述べて去って行った。

 沢登りとのことだが、亀のように鈍い集団にとって、これは致命傷。大イワナの夢は消えたも同然だが、小国沢上流を見てみたいという衝動に駆られて、出発。

 秋ともなれば、本流から枝沢へ大イワナが遡上する。
 それを期待し、副会長とA 氏は、長沢へ入った。私と会長は、小国沢上流を目指して、ひたすら歩いた。

 小国沢下流の高台で降り口を探す。
 ウロウ口歩き回っているうちに、思わぬ収穫に出くわす。
 ミズナラの巨木に生えたマイタケである。

 八久和川は、ミズナラの巨木が多く、マイタケの宝庫でもある。

 大イワナは釣れなくとも、キノコの王様・マイタケに出会えたのはラッキ一だった。滴り落ちる汗も吹っ飛ぶ快感が全身を包んだ。

 小国沢に達したのは、釣り時間をとうに過ぎた11時近い。
 しかも沢登りの人達に先行されてしまった。敗北は歴然としていたが、未知の世界を見てみたいという期待感がそれを上回った。

 大イワナが遊ぶ奇景

 八久和川の核心部に相応しく、野太い流れが続く大淵、大釜が連続している。流れは清く、深い底石も丸見えだ。それだけに、大きなポイントを攻めるのは難しい。先行した沢登りの人達の足跡が、生々しく砂場に付いている。荒釣りしながら先を急ぐ。

 壁が両岸から迫る大淵は、まさに大イワナ釣り場と呼ぶに相応しいが、アタリは遠い。

 平水とは言え、流れは太く、徒渉では気が抜けない。増水になったら、と想像すると恐ろしくなる谷だ。花崗岩の牙城とは言え、紺碧の流れと緑の苔、白いダイモンジソウの花が彩りを添える麗しい光景が続く。

 トンボを瀬に流すと待望のアタリ。白く輝く魚体に満足。まもなく、直立する黒壁が連続、その下を大渕がゆったりと流れる柴クラと呼ばれる地点に達する。野太い流れが造りす造形美に乗って、イワナを釣る。

 狭い谷は一気に開けるが、左岸に屏風のように立ちはだかる巨大な黒壁に度肝を抜かれた。下部は、柱状摂理の発達した岩盤が連なり、上部は一枚岩の屹立する黒壁、その下を水はゆったりと流れている。まさに、大イワナが遊ぶ奇景であり、とにもかくにもスケールがでかい。

 八久和川核心部に突入

 長大な屏風岩の淵で、イワナが竿を絞る。
 大イワナこそ出なかったが、元気なイワナが手の中で踊った。
 見上げれば、巨大な壁が釣り人を威圧するかのように迫ってくる。

 これが八久和か、「すげぇな〜」を連発。

 左にカーブした地点には、巨大な自然プール、上部は長大な流れに侵食された縞状奇岩が連なり、流れは右に左に白泡を帯びながら流れ下る。釣り人を圧倒するような岩と水、不思議な自然の大芸術、その懐に抱かれれば、誰だって満足するに違いない。

 人跡未踏の時代に、奇岩怪石連なるこの地で、大イワナを釣った先人たちのことが脳裏を過った。言葉では言い表し得ない震える感動のドラマがいくつも展開されたことだろう。できることなら、そんな時代にタイムスリップしてみたいものだ。

 潜水艦を目撃!!

 そんな過去のドラマを夢想していたら、何と大きな渕尻から巨大な潜水艦がゆっくりと上流へ走っていくではないか。

 心臓が止まりそうな衝撃を受けた。
 やっぱり大イワナはいたのだ。

 しかし、小赤沢を僅かに越えた所で時間ぎれ。
 大イワナ釣り場を目の前にしながら、退却せざるを得ない。
 無念としかいいようがなかった。
 心は大いに乱れ、三脚を渓に忘れるポカまで犯してしまった。

 長沢で34.5cm

 一方、枝沢はどうか。
 長沢は、一言で言えば釣り残しのイワナを釣っているようなものだったという。枝沢とは言え、丸一日楽しめるくらいの距離がある。しかし、アタリは遠く、たまに掛かっても一年生のイワナがほとんどとのこと。

 押し寄せる釣り人は、半端じゃない。その釣り残しのイワナで誇れるものは、34.5cmの尺イワナ一匹だけであった。

 大イワナこそ出なかったが、天然マイタケの吸い物は絶品だった。

 イワナを釣るよりも、マイタケ採りをした方が良かったかもしれないと思うほど、旨かった。

 八久和川にあっさりギブアップ

 八久和川中流部を二日間遊んで反省する点は、多々あった。
 まず、我々がとったようなベースキャンプ方式では、この長大な谷を攻め切れるものではないということ。夏にはカクネ沢にテント村ができるほど賑わうという話を総合すれば、長沢や小国沢周辺は、もはや期待できない。とすれば、上流へとキャンプを移動する方式をとる以外にないだろう。

 しかも、増水すれば停滞は当たり前、そんな時に下流へ下ろうものなら、命がいくらあったって足りない。源流部の登山道へ至るルートを選択する以外に道はないだろう。それを実現するためには、贅沢品を徹底的に排除する必要がある。

 次に、釣り出勤時間が遅すぎる。
 釣り時間は、夜明け前から3時間が原則である。まして、警戒心の強い大イワナを狙うのであれば、この原則を踏み外してはならないだろう。

 餌にしても、誰もが使うミミズでは相手をしてもらえない。ドバミミズやバッタなど餌にもあらゆる工夫を凝らす必要があるだろう。

 とにもかくにも、八久和川で宴会を楽しむなどという安易な考え方では、ほとんど期待できない。情報に振り回されることなく、何回も通って、八久和川から学ぶ以外に大イワナを手にすることはできないだろう。

 八久和川は、何枚も貼り合わせた地図で見るとおり、奥が深く遠い。
 我々は、八久和川にあっさりギブアップ、1日早くテントを畳んだ。

 十三万円もする鯉竿をへし折った大イワナ

 下る途中、マイタケ採り2人、さらに下ると、本流で釣りをしていた2人組に出会う。品川からきたという2人は、今日で3日目だというのに、何と未だイワナの顔を見ていないというのだ。本日も悪戦苦闘、何とも気の毒の一語に尽きる。

 それでも諦め切れず、何としてもイワナの顔をみたいと言って、横沢へと消えて行った。

 車止めに着くと、関東ナンバーの車がずらり。バカ長を履いた釣り人がウロウロ。

 「どこへ行っても、さっぱり駄目だ。上流はどうだった 」
 「上流も、さっぱりさ」
 言うほうも、聞くほうも苦笑い。

 もう夕方というのに、福島ナンバーの車がやってきた。
 イワナを釣りに出掛けるのかと思いきや、聞いて驚いた。
 今晩、肉鍋の匂いで動物をおびき寄せ、野生動物の写真を撮るのだという。何とも趣味の世界は広い。

 年輩の一人が、大イワナを見ることすらできなかった我々に向かって、言い放った。
 かつては40キロを越える釣果は、当たり前だった。
 当時、十三万円もする鯉竿を持って八久和川に挑んだが、大イワナに根元からへし折られてしまった。

 信じられるかい、竿の先ではなく、根元からだよ。
 ダム湖にいる大イワナと違い、八久和川の激流に住む大イワナは、パワーと味が格段に違うんだ。今でも、きっといるはずだ。ただ、警戒心が強く出て来ないだけだよ。

 入渓者の多さとアタリの遠さに幻滅したが、この話には、思わず頷かざるを得なかった。
 猿倉沢の橋を渡る途中、野性の猿を発見。無邪気に遊ぶ猿たちを眺めて思った。

 どでかいスケールで展開する八久和川は、確かに大イワナを育む大渓谷だ。車止めから魚止めまで、単純に計測して20キロを越える。そんな大渓流を、今まで経験したことはなかった。

 今回は、その6割程度しか遡行していない。
 延々数キロに及ぶ廊下帯、大淵、大釜、太い流れ、ブナとミズナラの原生林、屏風のように立ちはだかる黒壁、水と岩が織り成す自然画廊、イワナの太い魚体と大きな尾ビレ、そして流れに消えた潜水艦…・。

 大イワナの匂いは、至るところに存在している。
 初めて八久和川に挑み、失敗した釣り人は、きっと思うに違いない。

 大イワナの夢は、見るものではなく、追い掛けるものだと。

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