想い出の源流紀行G


若葉マーク3名/最後の粕毛川源流釣行/1993年9月


 目覚まし時計が、けたたましい音をたてて鳴った。
 昨夜の山内杜氏の酒がまだ残っていた。
 源流初心者マークの3人は、やけに元気に準備を始めている。
 未知の世界への旅立ちは、誰しも心躍るものだ。

 普段の不摂生と若さゆえの自信過剰にキブアップ

 残念ながら、雨が降り続いていた。
 雨の中の山登りはきつい。できるだけ荷を軽くするのが鉄則だ。だが、Aちゃんは、あれほど止めろと言った缶ビールと大型懐中電灯兼蛍光灯を密かに、自分の荷の中に忍ばせた。他人を思う心は嬉しいが、それに耐えられるはずがない。

 その答えは、余りにも早くやってきた。

 二十分も歩いただろうか。杉林の坂道にさしかかると、早くもAちゃんは、苦しそうに顔を歪め、額から脂汗をかいている。

 まもなく、荷の重さとハードな登りに耐えられず、ボソリと言った。

 「腹がゴロゴロ鳴る。缶ビールが重でゃぐて、駄目だ」

 道端に横たわり、苦しそうにザックを降ろした。ザックの中から、500ccの缶ビールが何と4本も出て来た。それは、普段の不摂生と若さゆえの自信過剰がもたらした屈辱的な自己破産宣言だった。

 「こごさ、缶ビールを置いでいげ」
 と言ったが、S氏は俺が担ぐと言って自分のザックの中へ缶ビールを突っ込んだ。心温まる行為ではあるが、今度はS氏がダウンしまいかと心配だった。山を甘く見てはいけない。

 無味乾燥な杉林、頭上からは容赦なく雨が降り注いでいた。
 カッパは、ゴアテックスならぬ完全防水の安物だ。外からは濡れないが、それ以上に内側から汗で濡れていた。心臓破りの急坂に、全員が喘いだ。

 10分歩いては休む、5分歩いては休む。初めての3人にとっては、どれだけ歩けば頂上に着くのか皆目検討がつかない。それだけ苦しみも倍加していた。

 亀のようにノロノ□歩いているように見えても、辛抱強く歩けばそんなにロスなく目的地に着くことができる。万年沼を過ぎ、苔蒸した杉林の細道を登って行くと、尾根に辿り着く。急に尾根を吹き抜ける風が強くなった。

 金山沢の源流部に僅かに残されたブナ原生林地帯、登るにつれてブナは確実に太くなっていった。鳥も鳴かず、吹き抜ける風の音だけが響き渡る。雲海が静寂なブナの森を覆い、幻想的な雰囲気が漂う。

 巨木は緩斜面にどっしりと根をはっている。重い荷を背負い、登って来た苦労も吹っ飛ぶような原生林の麗しさ、笹薮をかき分ける足も軽くなった。かつてはこの笹薮で踏み跡も無くなり、目印のテープを巻きながら進んだものだが、今では踏み跡も鮮明、迷うことはない。

 コルに設置された自然環境保全地域の看板

 二時間余りかかって、やっとコルに到着。
 環境庁が設置した自然環境保全地域の看板の見事さに驚いた。和賀川の看板も丁度指定境界線のコルに設置されていたが、粕毛川も同じだ。だが、看板の質は雲泥の差だ。林野庁の看板と違い、どこを見ても「入山禁止」の語句は見つからない。ただ、「高山植物等の採取を禁止する」としか書かれていない。

 自然環境保護地域の看板は、森林生態系保護地域とどこがどう違うのか。

 趣旨も指定面積も同じだ。「許可なしに伐採を禁ず」と書かれているが、環境庁の許可なしに林野庁はこの地域に手を出せなくなったことを意味している。この意義は大きい。第3者の監視が法的に明確化された。

 無闇やたらに伐採を続ける林野庁を牽制する、しかも「入山禁止」などという馬鹿げたことはしない。釣りや山菜、沢登り、マタギなど、白神山地に依存したこれらの行為は、有史以来培われてきた貴重な「ブナ帯文化」なのだ。白神山地の麗しい自然に触れること無くして、白神山地を守ろうとする愛も生まれるはずはないと思うのだが・・・。

 いよいよ粕毛川源流へ

 雨のため、粕毛川源流部は濃いガスに覆われ、見えない。
 急坂の杣道は良く踏まれ、訪れる人が確実に増えていることを物語っていた。

 死に体だったAちゃんも急に元気になった。重力に逆らうのは、体重が重いほどハンディがあるが、下りは重力に逆らうことなく、むしろそれを有効に活用できる。

 「やっと、回りの景色をみれるようになった」と笑いながら言った。
 体重のハンディもなくなったことに、余程嬉しかったに違いない。後は全く心配はなくなった。

 いつもの小沢で朝食。
 冷たい源流水を飲みながらオニギリを口にほおばる。

 一帯は疎らに生い茂ったサワグルミ、アップダウンを繰り返しながら歩くと、粕毛川源流部の核心部、ブナ原生林地帯にたどり着く。二抱えも、三抱えもあるブナの巨木、三百六十度天空に聳える森を眺め、ゆっくりと味わいながら歩く。やがて、左手に沢の音が聞こえてきた。

 最後のガレバを下り、待望の沢に降り立った。
 懐かしい二又のキャンプ地には、最近焚き火をした跡が残っていた。その傍らに貧弱な標識が立てられていた。「学術調査等以外は入山を禁止する」旨の営林署の看板だ。ここまで来てから「入山禁止」などと言われても、帰る訳にもいかない。

 二又のキャンプ地は、整地する必要もなく、最も楽なテント場だが、草木一本も生えないほど利用されている所は興ざめする。三百メートル程下った右岸を整地し、今夜の泊まり場とする。ここまで三時間十五分。初めてでしかも雨という悪条件を加味すれば、まあまあのペースであった。

 雨でイワナの入れ食い、34センチの尺イワナ

 雨は一向に止む気配はない。
 だが、絶好の釣り日和だ。河原にシートを張り、焚き火の場所を作って、いよいよ釣り開始。S氏とT君は、善知鳥沢、私とAちゃんは本流の二班に別れて午前十時、出発。

 二又を越え、カーブした淵で第一投、笹濁りで絶好のコンディション、すぐにAちゃんにイワナが釣れてきたが、小物なのでリリース。

本流は、平凡な河原が続き、ポイントは以外に少ない。だが、魚影は濃く、イワナの食いも抜群だった。ほとんど入れ食いに近い。

 疲れているはずのAちゃんもイワナ釣りに夢中だ。同じポイントで数匹も釣れてくる。苦労が報われる瞬間だ。雨と笹濁り、釣り人の侵入をイワナは全く気づいていない。後ろで釣ろうが、上流から下流に流そうが、イワナは無警戒に餌を追った。

 流れはいつになく太い。Aちゃんがさもない瀬から丸まる太ったイワナをかけた。振り向けば、さっきまで歪んでいた顔が澄み切った笑顔に変わっている。イワナは遡上を開始しているのか、良型のイワナは淵よりも瀬に出ている。ミオ筋目がけて餌を流す。瀬の僅かな淀みからイワナが走るのが見えた。

 ゴツゴツという鈍いアタリとともに、竿が大きな弧を描いた。
 一気に抜きあげようとすると、上がってこない。尺イワナにまちがいない。抜き上げるのを諦め、一気に河原に引きずりあげた。

 簡単に上がってきた割りには、大きい。
 久々に釣り上げた34センチの尺イワナだ。

 河原で踊るイワナを右手で掴んだ。口がサケのように曲がったオスイワナ。逃げようと猛烈に暴れるイワナの力の凄さ、下界でぬくぬく生きる人間が野性に帰る瞬間だ。

 イワナに釣られた釣り師

 Aちゃんは、猛烈に餌に食らいつくイワナに、体が疲れていることをすっかり忘れていた。

 頭の中は「イワナ、イワナ」で一杯なのだが、足がついていかない。焦る余り、流れの石に滑って転び、腰まで水に浸かった。頭上からは雨、下半身は流れにすっぽり浸かり、全身ずぶ濡れだ。

 この時、餌を流してしまったことにも気づいていない。
 心はイワナに乱され、寒さで体はガクガク、冷静さを完全に失っていた。

 上流のポイントヘー目算に駆けていったが、いざ針にミミズを掛けようとしたとき、初めて餌が無いことに気づく有り様だった。

 「さっき転んだどき、餌を落どしてしまった」
 ボソリと言いながら、下流へトボトボと歩いていった。

 運がよく見つかったようだ。
 今度は深い淵の底石に根掛かり。急流に入り、仕掛けをとろうとしたが、流れの早さに足をとられ、ドボン。

 連続して水に飛び込んだ男を未だ見たことは無かった。心も体もイワナの誘惑に乱されていることは明らかだった。

 水にどっぷりと浸りながらも、それにめげることなくイワナを釣り上げた。釣り上げたのはいいが、今度はイワナを入れる網がない。何と、釣り上げたイワナまで流れにさらわれていたのだ。

 今にも泣きそうな顔をしながら探すも、流れは太く見つからない。苦汁に満ちた顔、その顔は、まさに「イワナに釣られた釣り師」の顔だった。

 Aちゃんの失敗の連続に、自分自身の若かりし頃の失敗を重ねながら笑ってしまった。沢には常に危険が待ち受けている。冷静さを保つことは絶対条件ではあるが、初めての源流ではそれを要求する方が無理というもの。失敗こそ、進歩への近道なのだ。

 左手から流入する小沢を過ぎると、右手前方に百メートルを越える滝が瀑布となって流れ落ちている。平水時は、糸を引くように細い滝なのだが、巨大な滝に変身していた。

 まもなく、谷は狭くなりゴルジュとなる。釣果も十分、ここで納竿したが、Aちゃんは止める気配がない。

 大釜をもつニメートルの滝壷に、Aちゃんは挑んだ。型は小ぶりだが、竿を入れる度に釣れてくる。まるでイワナの釣り堀だ。これも雨のお陰である。快晴なら、こうもうまくいかない。

 足取りも軽く谷を下った。流れに落とした網は見つかったが、肝心のイワナは流されて見つからなかった。

 下る途中、Aちゃんが、ブナの倒木に生えたブナハリタケを見つけた。表面はツキヨダケ、裏面はブナハリタケに覆われている。秋の香りが堪らない。

 約束の時間を過ぎても善知鳥沢組は帰ってこない。きっと入れ食いで止められないのだろうと思った。焚き火の準備をしていると、疲れた顔をしながら二人は帰ってきた。

 善知鳥沢・若葉マークのイワナ釣り

 善知鳥沢組の話は、何ともおもしろい。
 昼飯を食べるまで、竿は沈黙したままだったという。寒さに追い打ちをかけた。その時の昼食がいかに寂しいものであったか、容易に察しがつく話であった。

 イワナは、一体どこへいってしまったのか。
 かつては考えられないことだ。善知鳥沢は、枝沢の中で最も魚影の濃い沢だった。しかも、産卵に備えて、本流のイワナは善知鳥沢に遡上を開始しているはずなのだが、どうしたことだろう。

 だが、なぜか小滝を越えると、俄然イワナは釣れ出したという。

 Aちゃんがニ度も流れに落ちたのなら、きっとT君も落ちたに違いない。聞いてみると、「何回落ちだがわがらにゃ」というごもっともな答えが返ってきた。

 沢歩きは、殊の外疲れる。
 土や落ち葉の上なら、歩く反動を吸収するが、石の上はまともに跳ね返ってくる。野太い流れの中を、飛んだり跳ねたり、ヌルヌルした石に滑ったりしながら遡行するのだから、知らず知らずのうちに体力を奪っていく。T君は、若さと体力に任せて無理をしたツケが、ついに左足にきてしまった。

 イワナを4尾釣ったところで、イワナの誘惑よりも、足の痛みが上回った。
 耐えられず竿を納める。

 S氏は、突然入れ食いになった谷に止められない。T君を残し、上流へ釣り上っていった。

 一人残されたT君は、遡行を諦め待つことにした。
 雨と寒さで震えた。
 流れの音だけが支配する深い谷、次第に心細くなっていった。
 容赦無く雨はT君に襲いかかり、下着までビショ濡れ、孤独と不安が彼を襲った。

 熊がでるのではないか。
 背後も気になった。

 寒さと不安を和らげるには、歩くしかない。
 彼はたまらず、痛い足を引きづりながらS氏の後を追った。

 このT君を笑うことは容易だが、現実に自分がその立場に置かれたならば、どうだろうか。T君の行動は、極めて冷静な判断に近いことがわかる。

 彼にとっては不本意な体験であったかもしれない。
 けれども、人間誰しも辛ければ辛いほど、その体験は忘れることのできないドラマとなって心の奥深く残るものだ。それがT君の粕毛川源流探検であったと信じたい。

 源流のクライマックス

 ニ人は、テント場に着いたら横になれる、ただそのことを思い続けながら、ひたすら沢を下ること1時間半、やっとテント場に着いた。

 けれども休む訳にはいかない。わが家なら、風呂も飯もできている。だが、源流では自分が動かない限り、安息の時はやってこないのだ。

 私とAちゃんは焚き木集め、S氏とT君は休む間もなくイワナの腹裂きを開始。水は手を切るように冷たい。その流れの中でイワナの解体をする作業は、一見簡単なようでも、いざやってみるとなかなかつらい。

 雨に濡れた焚き木に火を点けることは、自然の中で生き抜く絶対条件だ。山では雨の確率が極めて高い。雨が降ったからといって、簡単に焚き火を諦めたのでは、とても快適な生活は望めない。

 辛ければ辛いほど、焚き火の有り難さが身にしみる。

 まず、濡れた地面に丸太を敷き詰め、小枝を着火財で燃やす。後は、Aちゃんに焚き火を任せた。これも勉強のうちだ。

 イワナの刺し身、三枚下ろしにしてイワナのムニエル、空揚げ用にブチ切りに調理する。Aちゃんは懸命に焚き火に挑戦している。初めてにしては順調に火がついた。嬉しいことに雨も止んだ。

 日がどっぷりと暮れ、真っ暗な渓に焚き火は赤々と燃えた。
 濡れた衣服を着替えると、まるで風呂にでも入ったようにさっぱりとした気分になる。

 焚き火を囲み、冷水に浸けておいたビールで乾杯。
 源流のクライマックスの始まりだ。
 狭い天空に星が輝き、清冽な流れのBGMを聞きながら、イワナ料理をツマミに酒を飲み語らった。

 下界の赤ちょうちんも悪くは無いが、源流酒場に勝るものはない。
 自分が苦労して釣り上げたイワナで一杯飲む。
 これほど楽しい一時が外にあろうはずはない。

 Aちゃんは、思った以上に疲れたのかすぐにダウン。
 シュラフの中に潜り込んだ。
 今日一日のドラマをツマミに語らい、笑いが狭い天空に何度も木霊した。

 本日は快晴

 翌朝、昨日とは打って変わって、青空の広がる好天、深い森の中から鳥のさえずる音が聞こえた。

 昨日はヨレコレだったAちゃんは、バカに元気がいい。
 これが同一人物か、と疑うほどだ。
 逆に元気だったT君は、元気がない。
 寝ているとき、足がケイレンしたという。
 重症のようだ。結局、たき火で一人待つことになった。

 S氏は本流、Aちゃんはだれも入らなかった左の枝沢へ入った。
 カメラを持って後を追った。

 珍奇なドラマ

 枝沢は、細い流れだが、あたりはうっそうとした森に覆われ、暗い。河原に置いた竿に、何故かバンドエイドを巻いているではないか。どうしたんだと聞くと、今度は竿を折ってしまったというのだ。何とも、珍奇なドラマばかり見ているようだ。

 彼は、借りた竿を折ってしまったことに、賢明に弁解を試みた。
 左手から流入する枝沢がある。
 その滝は2段となって落下する五メートル程の魚止めの滝だ。手前に流木が積み重なり、いかにもイワナの匂いがした。彼は壷を目がけて竿を振り込んだ。

 狙いは的中、イワナは上流へ走った。
 すると、何故か竿先が折れ、勝手に上流へもっていかれたとのこと。無事、イワナと折れた竿先を回収した。

 イワナ釣りはこれからという時に、竿が折れたのでは釣りができない。もっとイワナを釣りたい、彼は頭をひねり、バンドエイドを手にではなく、竿に巻くことを考えたという。きっと、長年使ったために竿が割れていたのかもしれない。

 小型が多いが、結構釣れる。
 「Sさんが、この沢を釣ればよかったんでにゃがな」
 と言いながら、釣れてくるイワナにご満悦である。

 一方、S氏はと言えは、昨日入れ食いだった本流はさっぱり。なかなかアタリがこない。それもそのはず、昨日釣ったところでもあるが、釣れない釣り日和、水量はガクンと減っている。短いチョウチン仕掛けでは釣れないのも当然だ。

 本流は、河原が広く、隠れる岩や草木も少ない。
 水は澄んでおり、瀬尻へ近づけば、偵察イワナに見つかりアウトになってしまう。この場合は、できるだけポイントから離れて釣ることが必要だ。

 すなわち、長い仕掛けで攻める以外に方法はない。
 オモリを外し、竿一杯の仕掛けならもっと釣果は上がったはずだ。だが、長い仕掛けをポイントへ正確に投入するには、練習が必要だ。

 白神ホモイワナ

 翻って、Aちゃん、数匹釣った所で、彼はハ夕と考えた。待てよ、先程の滝壷は、もしかしたらペアでいるかもしれない。最初はオスだから、今度はメスに違いない。彼はまたも、その滝壷へ餌を入れた。

 その狙いは的中、丸顔をした可愛いイワナが釣れてきた。
 並べてみれば、大きさも同じ、彼は白神の夫婦イワナを釣ったと思い、天狗になりながらキャンプ地へと向かった。

 Aちゃん自慢の白神夫婦イワナ、顔を見れば、確かにオスとメスのようにも見えるが、試しにその腹を裂いた。何と卵ではなく、両方から白子が出てきた。

 「これだば白神夫婦イワナではなく、白神ホモイワナだな」
 女装したイワナを不思議そうに眺めているAちゃんを見ていると、何故か彼の将来を暗示しているようで、笑いとともに、白神ブナもざわめいた。

(平成5年9月18〜19日の遡行記録。この年の12月、粕毛川源流部は、世界遺産登録と同時に禁漁となった。私たちのホームグランドの一つであった粕毛川源流。歴史の皮肉とは言え、今となっては、「最後の粕毛川源流釣行」となってしまった。)

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