想い出の源流紀行H

白神山地・水沢川(秋田県峰浜村)

 九州から、はるばる研修にやってきたM君。せっかく私の職場に来たのだから、彼に白神山地の素晴らしさを体験させたかった。それは、自然を大切にする心をもった技術者に育ってほしいとの願いからである。

 日本の自然保護論争の中で最も注目されている存在は、ブナの原生林である。その原生的な自然を楽しむ遊びこそ、源流のイワナ釣りの神髄である。

 登山も確かに楽しい。
 だが、山の頂上は余りにも騒々しく、余りにも山懐が見えない。今から三十年以上も前に、登山家・冠松次郎氏は次のように述べている。

 「現今の北アルプスのように、山上や主稜に小屋が沢山造られ、道がよく拓かれている世の中では、原始的自然に親しみたいと思うものは、谷に向かって行かなければならない」

 「山上は登山ブームで賑わっていても、ひとたびその懐に入ると、尋ねるものはまれで、しかも原始の風貌は随所にウツボツとしている。
『山の頭からその懐へ』そういう時代は既に来ているのである」

 ブナの森を見るのは初めてだ

 付替林道を走り、金山沢が合流する地点に車を止めた。
 午後の強い日差しを浴びながら、杣道を歩く。最後の鉄骨堰堤を越え、杉林から広葉樹の森に変化したところで小休止。

 渓に覆いかぶさる森の中は涼しい。ブナの森から浸み出す水は、無色透明な流れであるが、緑の森が水面に映り麗しい。苔岩の間を縫うように白く泡立ち、時には一面線に染まりながら流れる様は、訪れる人々を魅了する。

 私は、岸に点在する石の下流にワンタッチ網を置き、石を引っ繰り返した。それを何回か繰り返しながら、川虫とサンショウウオを採取した。M君にそれを見せると「サンショウウオを見るの初めてだ」と手で触りながらのぞき込む。

 平凡な流れを遡行していくと、左手に巨木が渓に張り出している。
 馬の背中のような格好をした巨木は、まるで「座って下さい」と言っているようだ。M君はその巨木に登った。サワグルミとブナの森に、太陽の光が斜めに射し込み、森を覆う緑が輝いた。

 「ブナの森を見るのは初めてだ」
 「手付かずの自然ていいなぁ」
と感激、まるで野生の猿が自分の古里へ帰って来たように生き生きとしてくるのが伝わってくる。M君をその森の中へ案内した。

 「この森はサワグルミの森だ。サワグルミは沢沿いの湿った所に生える。斜面にこれだけまとまったサワグルミは珍しい。急峻な地形は沢近くで緩く平坦になっている。林床の下を伏流となって流れる区間にサワグルミは根を張り、大きな森を造っているんだ。この森が冬を越え、緑の衣を纏う前、林床には太陽の光が届く。そのほんの一瞬にカタクリやキクザキイチゲなどの花たちが一斉に咲き競うんだ。ここは一面お花畑となるんだが、これをスプリングエフェメラルと言うんだ。それもほんの数週間程度に過ぎない。次第にサワグルミが芽吹き、深い緑に覆われると林床には太陽の光が届かなくなる。刻一刻と変化する早春、生命踊る瞬間が最も麗しいときだ。」

 M君は静寂の森の中に佇み、森を見上げた。

 荷を降ろし、ヤマワサビを採ろうと誘った。春ならば、白い花が咲き簡単に見つけることができるのだが、今は、大きく伸びたシダなどに覆われて、なかなか見つけるのは難しい。

 それでも何とか数本のヤマワサビを見つけた。M君はヤマウサビの根を鼻で嘆ぎわけながら「ワサビの匂いがする」と叫んだ。

 初めてのイワナ釣り

 沢からS氏の叫ぶ声がした。待望のイワナが釣れたようだ。
 流木が横たわる小滝を越えると、渓は急に狭くなる。両岸が狭くなったS宇状のゴルジュの手前は、いつも大物が釣れるポイントだが、姿を見られてしまったようだ。

 ゴルジュに懸かる小滝は3つ。2番目の滝壷は大きく、両岸も壁になっている。「ここはどう行くんだ」と2人は早くも戸惑っている。

 何のことはない。滝を直登すればよい。一見つかみどころのない壁に見えても、以外と登るスタンスは多い。注意しなければならないのは、登るときよりも下るときだ。下りは、壁の足場が見えないから要注意。下手をすれば滝壷に嵌ってしまう。

 右手の枝沢に5mの滝が見える。
 かつてこの滝壷は釣り堀のようにイワナが群れていたが、今はほとんど見かけることがなくなった。

 今度は石がゴロゴロする階段のゴーロ。
 急勾配の階段状ゴーロや両岸絶壁のゴルジュ帯は、いかにもイワナがいそうに見えるが、実はイワナが最も嫌いな所だ。イワナも川虫も、穏やかで平凡な流れを好む。

 ゴーロを過ぎた所で竿を出す。俄然イワナのアタリも多くなった。
 イワナのアタリを確認した所でM君に竿を譲った。

 イワナの引きに彼は緊張していた。
 引っ張り過ぎて竿は空しく空を切った。
 完全な失敗。残念そうだ。

 「イワナに違和感を与えるように引っ張ったら駄目だ。あくまで挑発する程度に押さえ、じっくり待つんだ」

 再度餌を付け投入、幸いにもイワナは釣り人に気づいていない。
 すぐにアタリがやってきた。
 今度はじつくり攻めている。
 目印が上下に動いた。
 糸を張り、挑発するとイワナはどんどん引っ張っていく。橙色の斑点が鮮やかなイワナが舞い上がった。満足そうなM君の顔は、みるみる緩んだ。

 イワナ釣りの感激にVサインが連続

 イワナと遊びながら遡行していくと、正面に白い帯となって流れる3m滝。壷は大きく、平水時は魚止めの滝になっている。最も期待できる滝壷だ。一枚岩の全面が苔に覆われ、所々ダイモンジソウの花が咲いている。手前には大きな石があり、釣り人が隠れるのに好都合だ。

 M君は中央の石に隠れ、滝壷にエサを静かに振り込んだ。
 真剣な顔、野性にかえったM君はなかなか上げようとしない。竿先は既に弧を描いている。失敗しないように向こう合わせでじつくり待っているようだ。

 原始的な仕掛けを介して、滝壷に潜むイワナの鼓動がビンビン伝わってくる。完全に針掛かりしたのを確認した後、彼は一気に抜きあげた。

 イワナ釣りが初めての彼にとってはデカすぎた。
 イワナは宙に浮いたが、なかなか竿が畳めない。
 滝壷の上にイワナをブラブラさせている。

 糸が切れれば逃げられる。右の岩場へイワナを誘導するように指示、やっと釣り上げに成功した。バッタや川虫を腹一杯食い、丸々と太った28センチのイワナは、苔岩の上で踊った。

 彼の心もみるみる踊った。
 野性の強い鼓動に、誰もが味わう感激の瞬間だ。麗しい滝壷を背に何度もVサインをつくってポーズをとるM君、なぜか黒いイワナの魚体は、彼の顔の黒さと妙に符合していた。

 九州には、イワナはもちろんブナの森も存在しない。
 日常とは全く異質な世界で、本物を手にした感動は大きい。
 「大きな壷には大きなイワナがいるんだ。今までとは違って引きが強かった」

 「来て良かった」と何度も呟いた。

 私も素直に「連れて来て良かった」と思ったのは言うまでもない。
 同行したS氏も「いや〜、やられでしまったなぁ」とニガ笑いしながら、まるで自分が釣ったように嬉しそうだった。

 イワナを釣り上げたら、水面から素早く安全な川岸にもってこないと逃げられることが多い。それで何度失敗したことか。ポイントヘアプローチするときは、まず川の流れを読む。どこに隠れるか、足場を確認する。障害物はないか、釣り上げたらどこへ誘導するか。それらを瞬時に判断してからアタックしなければならない。

 初心者が陥りやすい罠

 滝の右岸の壁をよじ登り、滝上に出た。
 上には大きな壷がある。餌を盛んに追うイワナは流れの瀬や瀬尻で餌を待っている。淀んだ淵は、越冬時あるいは増水時に隠れる格好の場所であるが、餌を追う場所ではない。彼にとって滝壷で大物という固定観念ができあがりつつあった。

 大きな壷は、いかにもイワナが群れていそうに見えたのも当然のこと。初心者がよくやる大きな壷の淀みで粘る作戦に出た。けれどもアタリは全くなかった。

 イワナを釣るには、地図を読む、季節を読む、天気を読む、時間を読む、流れを読む、すなわち自然を読むことが必要だ。

 今度は一枚岩を滑るように流れるナメ床で粘っている。
 イワナは「岩魚」と書く。流れの底に隠れる岩があることが絶対条件だ。イワナ釣りは「石を釣れ」という格言があるくらいだ。ナメ床に底石はない。イワナがいないのは当然のことだ。

 車止めから2キロ地点上二又上流、流れは極端に細くなる。落差が大きくなる手前の壷で、M君から竿を借り、小さな白泡に投げ込んだ。

 強いアタリ、すぐに上流へ走った。私はすかさず合わせをくれると、強いショックとともに、ハリスが切れ、力なく空を切った。今晩の刺し身サイズのイワナは白泡の渦の中に消えた。ハリスが相当傷んでいたようだ。ハリスの交換を怠り、失敗したことも数知れないというのに、またも失敗してしまった。ここで納竿。

 暗い渓谷を彩る蛍

 午後6時を回った所で渓を下る。
谷の夜は早い。車止めまで1時間はたっぷりかかる。真っ暗になる前に着けるだろうか。薄明の谷を足早に歩いた。どんどん暗くなる。

 夜の谷は怖い。
 かつて夜の谷を歩き痛い目にあったことは数知れない。
 特に熊は明け方と夕方に行動する。最も危険な時間帯だ。熊鈴を大きく鳴らしながら歩いた。流れの部分は微かに明るい。羽化した川虫たちは、水面の微かな明かりを頼りに谷を上り産卵へと旅立つ。

 杣道は深い森の中で暗い。動物的な勘を頼りに下る。全身から汗が吹き出した。堰堤の音が聞こえるころ、暗闇に小さな光がきらめいた。

 ホタルだ。1匹、2匹…。
 静寂と暗闇が支配する谷、異様な輝きを放つ小さな星に3人の目は釘付けになっていた。

 帰りを待つ同僚たちは、恐らく心配しているに違いない。だが、帰りのことを考える余り、中途半端なことをすれば、それ以上に後悔が残る。ましてM君にとっては、白神山地のイワナ釣りを体験する機会は二度とないかも知れないのだ。何事も徹底してやれば、満たされた気分を味わうことができる。

 人間は、幾つになっても心は青春でありたいと願う。真っ暗になろうが、傷だらけになろうが、愚か者と罵られようが、人生、冒険とチャレンジの精神だけは持ち続けたいものだ。

 M君の研修で一つだけ心残りだったのは、山に泊まることができなかったこと。できうるならば、白神山地の源流に泊り、原始的な白神の豊かさを体験させてやりたかった。

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