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想い出の源流紀行K


 1991年7月20日(土) 雨

 連日雨が降っていた。
 尋常な雨ではない。
 七月に入ってから毎日と言っていいぐらい連日雨である。
 山はとうに飽和状態に達していた。

 K氏とA氏は風邪でダウン。
 久しぶりの釣行というのに欠席。
 私も風邪をひいてしまった。
 それでも山へ行けば直るだろうと安易に考えていた。
 だが、それは実に甘い考えであった。
 いつでも山は、旅人を優しく迎えてくれるとは限らないのだ。

 生保内トンネルを四つ抜けると、二つの広場がある。
 手前の広場には地図に記された林道は見えない。
 樹海橋近くの広場に車を止め、ルートを探す。
 下る踏み跡があった。
 地図で見ると間違いなくこの踏み跡が地図に記された旧林道跡であった。

 荷造りをしていると、若者が一人地図を携えてやって来た。
 「この辺に生保内川へ下りる林道はありませんか」
 「地図にあるような林道はないよ。我々はここから歩いて下りるところだ」
 「え!、ここから下りるんですか。相当落差があるんじゃないですか」
 「うん、ゆうに百メートルはあるな」

 それを聞いたとたんに彼はあきらめ、
 ものすごいスピードで岩手側へと走り去っていった。

 踏み跡を辿って下る。
 生保内川の山々は雨で煙り、神秘的なベールに包まれていた。

 まもなく、踏み跡は急な崖となっていた。
 とうの昔に林道は崩壊し、モルタルに固められた崖になっていたのである。
 眼下に下る三人組が見えた。
 どうも今のルートは違うようである。

 第四トンネルの手前の広場まで戻ると岩手ナンバーの車が一台駐車してあった。
 周辺を探す。
 草むらの中を歩いた跡があった。
 ここから彼らの跡を辿ると、かつての林道跡に出られた。
 小躍りしながら下る。

 川沿いの林道を快適に歩く。
 まもなく巨大な広場があった。
 右手にはシトナイ沢が見える。

 橋は川底をコンクリートで固めただけで
 増水しているときは使用不能の橋であった。
 本流は増水しているのでシトナイ沢にしようとも思った。
 だが、先程の三人組は日帰りであり
 きっとシトナイ沢に入ったに違いない。
 我々は本流を目指すことにする。

 まだ踏み跡はあった。
 太平沢手前で林道は完全に崩壊し、その形すら無くなっていた。
 ザックを置いて早くも釣りをしている姿が見えた。
 迷彩色の服で身を固めた釣り師である。
 彼らも生保内川に泊まり込むのだろうか。
 川の中に入ると、もの凄い水圧が襲ってきた。

 JR田沢湖線が川をよぎる手前で再び林道へ。
 まだ先行者はいるようだ。
 
JR田沢湖線が見える地点 第1堰堤の瀑風

 すぐに第一堰堤が見えた。
 もの凄い落下音が体に響き渡るように聞こえてくる。
 林道脇からのぞき込むと、瀑水の飛沫が厚い霧となって空中を漂っていた。

 堰堤上流部はまるでダムに堰止められたように深い水を貯え、
 広い湖面のようになっている。
 林道周辺も次第に深いブナ林が目立つようになった。

 六時五十分。オソダテ沢で朝食。
 ここまで一時間二十分。
 まだまだ先は遠い。
 前方に第二堰堤が見える。
 四つの穴からもの凄い勢いで放出されている。
 雨はまだパラついていた。

 まもなく後続の3人組がやってきた。
 話そうともせずに上流へいってしまった。

 増水で次々と脱落する先行者

 我々も上流を目指す。
 第二堰堤を越えたところで、いよいよ遡行開始である。
 信じられないくらい広い河原である。
 河原にはおびただしい程の流木が積み重なっている。
 洪水の凄さを物語っていた。

 流れがきつくなってきた所で、先程の三人組は荷を河原に下ろし、雨に濡れないようにポンチェを被せていた。
 雨は次第に強くなる気配をみせている。
 彼らはついに諦めたようだ。

 上からは雨が容赦なく降り注ぐ中、
 腰まで水に浸りながら川を徒渉したり、
 濡れた岩をへツったりしながらひたすら上流を目指す。
 次第に全員が無口になっていった。
 まるで岩魚人間にでもなったように…。

 八時三十分。
 小沢手前で日帰り組みの二人に追いつく。
 第二堰堤を過ぎた所から竿を出したが、いまだ1匹しか釣れないとのこと。
 日帰りというのに大コ沢まで行くという。

 この増水の中を釣りながらでは、とても大コ沢まで行くのは無理だろう。
 「一緒に大コ沢まで一気に歩きませんか」
 「いや、釣りながら行きますよ」。

 盛岡から来たという二人に、ポイントを乱さないように遡行しますからと了解をとって上流へ向かう。

 いよいよ我々だけが
 目的地大コ沢を目指すことになった。

 イワナ馬鹿・・・

 大きな波を幾つも作って、
 川全体が白く泡立ち、猛スピードで流れ下って行く。
 その早瀬を渉る。

 腰まで激流に浸る。
 水圧が体全体を押し流そうとした。
 二十キロを越える荷を背負い、二本の足に全体重を乗せ、
 底石に根を生やしたように踏ん張る。
 けれども増水した流れは、簡単に私の足元をさらおうとする。

 片足が大きく浮いた。
 瞬間流されると思った。
 下流には渦巻く深い淵が待っていた。

 運が良いことに浮いた足は大きな底石の上に止まった。
 こんな危険な思いを何度もしながらひたすら上流を目指した。
 頭上からは容赦なく雨が降っていた。
 全身ずぶ濡れである。

 「俺は一体何のためにこんな馬鹿げたことをしているのだろうか。
 そんな愚かな行為の向こうに一体何があるというのか」

 自問自答すればするほど、
 自分は愚か者に見えてくる。
 もしかしたら俺たちは岩魚になってしまったのではあるまいか。
 もう、戻ることなど眼中になかった。

 落雷で切り裂かれたブナが四、五本も渓に倒れ込んでいた。
 太い根元がズタズタに切り裂かれている。
 すごい雷もあるものだ。
 と思うと同時に自然の猛威に驚きを禁じ得なかった。

 渓に群れるトンボ

 中州にもの凄いトンボの大群がいた。
 尋常な数ではない。
 河原を大きなフキの葉が緑に覆っている。
 その葉の上に茶色に染めるほどのトンボが止まっていた。

 寒さと雨で羽は濡れ、飛べないようだ。
 帽子に止まったり、杖に止まったり、
 ザックに止まったり。
 渓の上をうろつくトンボは力尽きてバタバタと逆巻く水面に落ちて行った。

 今年の梅雨は異常だが、
 トンボの大群も異常だ。
 どうしたのだろう。
 我々まで異常になっているのだろうか。

 一向に止む気配のない。
 渓をただやみくもに徒渉を繰り返すだけ。
 目指す目的地は一向に見えてこない。

 小ゴルジュ帯をやっと越えると、
 渓は広がり左岸から流入する小コ沢に出合う。
 雨が降っているのに流れる水は少ない。
 入り口は三段の滝となっている。
 これでは岩魚もいないだろう。

 まもなく目的地の大コ沢に辿り着く。
 本流は広い中州となっている。

 俺は何て大馬鹿者なんだ

 体は寒さと雨で疲れ切っていた。
 ずぶ濡れの体は重い。寒い。

 震えが止まらない。
 歩き始めてから既に五時間三十分も経過していた。
 それなのに汗一滴も出ていない。
 冷水に浸りっばなしの遡行は、体温を奪い去り汗どころか寒さで震えていた。

 本流の右岸の竹やぶの中で横たわる。
 会長はいつものようにキャンプ地を探しに上流へ向かった。
 サワグルミの巨木に身を寄せ逆巻く渓を眺めた。

 俺は風邪をひいているのだということに改めて気づく。
 風邪を直しに来たはずだが、
 それは実に甘い考えであった。
 俺は何て馬鹿者だろう。

 まもなく会長が帰って来た。
 快適なテント場は無さそうだ。
 大コ沢に入る。左岸にキャンプ適地はあった。

 缶コーヒーのゴミを燃やした木が残っていた。
 誰かがキャンプした跡だった。
 雑草を刈ると快適なキャンプ場が出来上がった。

 岸辺にはミズが一杯生えている。
 シートを河原の上に張って焚き火を開始する。
 なかなか火がつかない。
 濡れた木は濃い煙を発するだけだった。
 それでも1時間もするとやっと火がついた。
 それでも震えは止まらない。

 焚き火を囲み昼飯を食べた。
 大コ沢まで来ると言っていた二人組はとうとう姿を見せなかった。
 全ての岩魚釣り師達は諦めたようだ。

 生保内川源流には我々だけが残ったようである。
 午後三時、会長と副会長は大コ沢を釣りに行った。
 私はとても釣りどころではなかった。
 もの凄い水圧と雨に全てのエネルギーを吸い取られてしまったように
 ただ焚き火を抱き込みじっとしている他はなかった。
 岩魚釣りに来て岩魚を釣らないのは残念だがこれも致し方ない。

 焚き火は赤々と燃えた。
 空を見上げるとまだ濃い雲が流れている。
 雨は次第に弱くなっていった。
 熱いコーヒーを沸かし飲んだ。

 少し元気が出てきた。
 それでも雨はまだ降っていた。
 果たして予定通り帰ることができるのであろうか。
 増水している渓を見ていると、不安になった。

 一時間半もすると、仲間が帰ってきた。
 今晩のオカズに十分の岩魚を釣ったようだ。
 うれしい。
 これで何とか今日の夜は楽しめそうだ。

 イワナの胃袋から数十匹のトンボが・・・

 パンパンに膨れ上がった岩魚の腹を裂いた。
 何を食べているのだろうか。
 胃袋にナイフを入れた。

 すると数十匹のトンボが胃袋の中から出てきた。
 やはり雨と寒さで弱ったトンボを腹一杯食べていたのだ。
 目の前をトンボが又も渓に落ちていった。

 宴会が始まってまもなく、またも雨が降って来た。
 久しく雨に出会っていなかったのでシートの有り難さを忘れていた。
 今はシートが何よりの中間だった。

 雨が次第に強くなり大雨となった。
 増水した水は、本流からあふれて河原の火を直撃した。
 煙とともに白い灰が舞った。

 急きょ、本流の石を積み上げたり、
 シート下の排水工事に取り掛かる。
 やっと仮排水路を作ってしのぐ。

 シート下を水が流れる。
 考えようによっては、なかなか便利なものだった。
 座ったままで、食器を洗ったりできるので誠に快適そのものであった。

 夜の深さとともに酔いが体全体を包み、やがて夢の中へ。

 7月21日(日)雨時々曇り
 雨の中のイワナ釣り、尺物の予感が・・・

 テントを打つ雨音で目が覚めた。
 昨夜の岩魚が効いたのか今日は体が軽い。

 水温十一℃。気温十六℃。
 何となく、今日は尺岩魚が釣れそうな予感がした。
 雨はまだ降り続いていたが、釣り支度をして本流に入る。

 昨日より水量は確実に増えていた。
 前方に見える山並みは雨に煙っていた。

 わずかに残された淀みに投入した。
 すぐにアタリがあった。
 だが、五寸程の小物であった。

雨が降り続く絶好の釣り日和・・・

 白泡の中に身を浸し、ひたすらアタリを待った。
 目印が笹濁りの渓の中に消えた。
 やっとキープサイズだ。

 左岸の岩盤の裏側は大きく淀んでいた。
 ミミズをその淀みに投げ込んだ。
 すると全身に感じる強いアタリが返ってきた。
 全身白色の岩魚が雨の空をきった。

 二十九センチの岩魚であった。
 尺岩魚の予感はますます強くなった。
 ポント毎に岩魚は竿を絞った。
 雨はますます強くなっていったが、竿はうなり続けた。

 広々とした川一杯に水は流れていた。
 普通の水量であれば平凡な河原に過ぎないだろう。

 しかし、今はまるで違っていた。
 またもトンボが渓に落ちていった。

 次第に渓は狭くなり水量が増してくる。
 ゴーロだ。
 岩盤は苔に覆われ、
 その中に無数のダイモンジソウの群れがあった。
 見上げれば深い太古の森が沈黙を守っていた。

 ゴーロの渓は次第に狭くなり、
 目が回る程に圧縮された急流となる。
 雨は一向に止む気配はなかった。

 巻く以外に前進することは無理であった。
 ここで私は弱気になった。
 引き返し、大コ沢にいった方が良いのではないだろうか。

増水した生保内川の流れから、次々とイワナが飛び出した。

 後ろにいる会長のところまで下がった。
 会長は断念する様子がなかった。
 竿を背に担ぎ岸壁の草づけにとりついた。
 左岸を巻いて再び渓に降り立った。
 相変わらずゴーロは続いていた。
 ここで私はカメラに専念することにした。

一面白泡と化した流れ。じっと見ていると目が回りそうだ。

 またも圧縮された瀑水となった。
 岸壁は雨に濡れてツルツルであった。
 会長はそのツルツルの壁をへツろうとした。
 だが、あえなくスベッて渓の中に落ちた。

 水位は胸元に達していた。
 それでも無事に上流へ達することができたようだ。
 私は諦め、壁を伝って巻いた。

 ガマとイワナ

 会長がガマガエルを捕まえた。
 ゴマ岩の上に岩魚を置いてガマガエルを添えた。
 ガマガエルはどうした訳か岩魚に片手をかけた。
 まるで渓の仲間を労るように。
 心和む光景に思わずシャッターを切る手に力が入った。

ガマとイワナ 良型が次々と竿を絞った。

 次第に渓全体にモヤがかかり、驚くような音を立てて、水は流れる。
 やっと雨も上がり太陽が顔を出した。

 ついに出た。31cmのイワナ。

 震える体もやっと落ち着きを取り戻した。
 しばし、太陽を全身に浴びる。
 まもなく大岩の陰から副会長が三十一センチの岩魚を釣った。

釣り人を威圧する流れ。その激流から尺イワナが飛び出し、釣り人の心も乱れる。

 予感は的中した。
 大雨の後の尺岩魚。
 セオリーどおりの展開に心が騒いだ。
 私もここで釣りに参加させてもらう。

 右岸から一条の滝が落ちていた。
 そのツボは浅くとても岩魚は居そうになかったが、ものは試しと投げ込んだ。すると以外にも岩魚は食いついてきた。

 岩魚はこんな浅瀬にもいたのか。
 二十八センチの良型であった。

 連日の雨で狂った尺イワナ

 副会長がどうしたのか先程私が釣ったポイントを攻めていた。
 振り向くと大きな岩魚が目の前に飛び込んできた。

う〜ん、お見事。惚れ惚れするような魚体だ。
イワナ釣りの生命は、この感激を釣るところにある。

 大きい。
 検尺すると三十四センチあった。
 意外な所に意外な岩魚がいたという事実にただただ驚いていた。

 釣った本人も驚いているのだから、信じられないような出来事であった。
 しかし、よくよく考えれば、連日の雨でイワナは冷静さを失い、狂っていたのではあるまいか。

 ここでゴーロは終わり広い河原となった。
 こんなに上流にしては珍しい程の広い河原であった。下流の増水がうそのように穏やかであった。

 四段の滝まで行こうと思い、ひたすら渓を走った。
 後もう一歩という所で時計は午後四時を回っていた。

 岩魚と増水に邪魔されて、滝を見ることは出来なかった。
 それでも尺岩魚を二匹も拝んだので大満足だった。
 渓を必死に下った。
 二時間休みなく歩いてやっとテン場に辿り着いた。

 大雨、雷、突風、増水、寒さ・・・。

 冷水で岩魚の腹を割いていると、
 またも寒さが襲ってきた。
 さらに風邪は悪化したようだ。
 副会長は落雷で切り裂かれたブナの倒木を切って
 焚き火の準備をしていた。

 私は焚き火を開始した。
 その直後に信じられない事が起こった。
 バリバリと山が割れるような音とともに
 バケツを引っ繰り返したような大雨となった。
あっという間に増水した生保内川 この焚き火が増水で流された
山の神が怒るとやっぱり怖い。

 強い風が下流から襲ってきた。
 たちまち、焚き火は消えた。
 ただ、じっとしている他はなかった。

 山はとうに飽和状態であった。
 五分もすると増水は始まった。

 あっと言う間に焚き火の場所が流されてしまった。
 暗やみを稲妻が何度も走った。
 震える体をただ丸めて動くことすらできなかった。

 大雨、雷、突風、増水、寒さ。
 山の恐ろしさと風邪の悪化で震えは止まるどころか
 さらに激しくなった。
 やはり無理をしたのがいけなかった。

 一時間もすると雷雨は止んだ。
 気を取り直して焚き火に再挑戦。
 やっと焚き火に火がついた。

 どんなに燃やしても震えは止まらなかった。
 酒を飲んでも、岩魚を食べても旨いとは感じなくなっていた。
 先程の稲妻が私の生気を完全に奪い去っていた。

 早めにシュラフに潜り込んだ。
 熱い。
 体から汗が噴き出してきた。
 風邪はピークに達していた。
 重苦しいテントの中でいつの間にか深い眠りに落ちていった。

 7月22日(月) 雨時々曇り

 汗を流し続けてぐったりなりながら眠った。
 目が覚めたのはいつもより遅い八時であった。
 雨はすっかりあがり、
 昨夜の尺岩魚の刺し身が効いたのかやや体が軽く感じられる。
 昨夜の増水も落ち着いたようである。
 ゆっくりテント場を片付け、十一時、CIを出発。

 川の中が四キロ、林道三キロ、合計七キロに及ぶ行程である。
 下るに連れて、来るときよりも増水していることに気づいた。
笹濁りの中を下ったが・・・ 何度も高巻きを強いられた。

 激流に入ると、あっと言う間に腰まで水に浸され、
 もの凄い水圧が攻撃してくる。
 来るときは一度も巻かず、川通しに歩いて来た。
 だが、帰りは三回ほど巻きを強いられた。

 深い森の中を穏やかに流れているはずの生保内川であったが、
 今はまるで違っていた。
 こんな激流の中を岩魚は生きているのだ。
 圧倒するような太い流れの中で、改めて思った。

 「岩魚は人間より神に近い」

増水で荒れ狂う生保内川、まさに気力と根性で下る。

 激流と水圧との闘いが続く

 深い淵の中に入ると、ヘソまで水の冷たさが迫って来た。
 ただひたすら、冷水に浸りながら徒渉を繰り返し、
 激流と水圧との闘いが続く。
 カメラを構えようにもその余裕はなかった。
 ただ必死に下った。

 杖は意外な効果があった。
 人間の足は三本である。
 遡行の基本は三点確保と言われるが、
 水の中では二本の足しか使えない。

圧縮されたゴルジュは、渡渉不可。ここは左岸を大きく高巻く。

 一本を移動しようとすれば、支点は残る一本の足に過ぎない。
 これでは腰上の激流に流されるのは当たり前であろう。
 下流にしっかりと杖で支点を作り徒渉するのは、
 誠に理にかなった徒渉法と言える。
増水した渓を歩くには、木の杖が強い味方だ。 目と頭がクラクラするような激流。

 一時間に一kmしか進むことができなかった。
 とくに小沢まではそれより遅いスピードであった。
 林道に達したのは四時間後であった。
 運が良いことに、林道に達した時点で雨が降ってきた。
 沢を遡行中に降られたら、生きた心地はしなかっただろう。

 オソダテ沢、大黒沢、小黒沢、太平沢、シトナイ沢
 を越えると最後の登りである。
 見上げるとはるか頭上に国道が見える。
 ここで雨足が強くなった。
 荷も体もずぶ濡れで重い。
 三日目にして始めて汗が噴き出してきた。
 この汗をかかないと体は軽くならない。

 自然をもっと恐れよ。
 自然への畏怖を呼び覚ます。


 「自然をもっと恐れよ。い
 たずらに恐れよというのではない。
 畏怖すべきものだといいたいのである。
 自然は、われわれがとらえたと思っているより、
 常により広く、より深い」(「エコロジー的思考のすすめ」立花隆)

 今回の遡行は何か重苦しい印象が残った。
 それは汗をかかなかったからに違いない。
 いや、むしろ汗もエネルギーも全て
 生保内川の冷水と稲妻に奪い去られたからに違いない。

激流を際どくヘツル。落ちれば流される。やっぱ怖い・・・。
こんなところをカメラをぶら下げて歩くとは。
岩壁に何度もぶつけ、ボロボロになったのは言うまでもない。

 「野性に戻れ!」
 と、簡単に言葉では言うけれど、
 便利さに慣れ切った現代人にとっては、
 決してつかむことのできない夢なのかもしれない。
 感傷的な言葉を一切受け付けない山の厳しさ、
 雨また雨の生保内川源流行は、
 忘れかけていた自然への畏怖を呼び覚ます貴重な旅だった。

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