想い出の源流紀行D


1991年8月下旬・焼石連峰胆沢川支流小出川源流
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 「人間は努力する限り迷うものだ」(ゲーテ)命の森・小出川のブナ林。遠い昔みたいに静かだ。

 「人間は生きているのではない。生かされているのだ。自分でも分からないエネルギーによって」(ドストエフスキー)

 私がこんな愚文を書いているのも、自分でも分からないエネルギー、すなわちデーモンの気まぐれなのかも知れない。

 この愚文を故Yさんに捧ぐ

 焚き火を囲み、酒を飲みながらYさんの葬儀を思い出していた。

 Yさんは、三月まで私の直属の上司であった。だから今回の源流行は見合わせようとも思った。人は上司が亡くなったのに、その葬儀の翌朝に源流に行くなど不謹慎だと思うかも知れない。でも私は私なりの供養の方法があっていい、と思い直してここまでやってきた。Yさんは、燃え尽きずに亡くなってしまった。焚き火を囲み、安らかに眠らんことを祈る。

 もし、もしもYさんが我々の会に入っていたとしたならば決して死ぬことはなかったと思う。いや、そう信じたい。私は生命の源である源流に行かねばならないと強く思った。そして、「生きる」ことの意味と「死ぬ」ことの無意味をしっかり確認しておきたかった。台風が迫っているニュースは、私をさらに不安にさせていた。

 Yさんが突然死体となって発見されたのは、八月十九日の朝であった。
しかも私の自宅から1kmぐらいしか離れていない土崎港から発見されたのである。とても俄に信じられる出来事ではなかった。

 目撃者の証言によると、十八日の夜、突然車ごと縁石ブロックを越えて海に落ちていったという。クレーンで車を海底から上げると、Yさんはシートベルトを締めたままであり、ハンドルをしっかりと握ったままであったという。しかもドアは全てロックされたままであり、四つの窓も閉まっていたという。そのかたくなな物的証拠は何を物語るのだろうか。

 もし不慮の事故であるとするならば、逃げようとした痕跡がなければならない。しかし、それを証明するものは何一つなかった。計画的な自殺であるとするならば、遺書があるはずである。だが、それもない。奇妙なことに発見された八月十九日は、Yさんの四十八歳の誕生日でもあった。

 優しい人だった。
 首を横に振ることを知らない人だった。
 私は 湾岸戦争が始まった時、南アジアを放浪した遠い昔のことを思い出し、イスラム教を再度読んだ。かつて、私は砂漠をさ迷い、苛酷な自然に生きる人々の思考がこれ程までに何故単純化できるのだろうかと大きなショックを受けると同時に深い疑問を持っていた。

 その深い意味は僅か数ケ月の旅で分かるはずはなかった。そして、私は何故か「生き方の研究」と題する森本哲郎氏の本を読んだりしていた。それを再度メモし、何故かYさんにもそのコピーを渡したことがあった。今から思えば、Yさんと同じく「生きるとは何か」を考えていたような気がする。

 Yさんは、余りにも善人なるがゆえに、「あなたはイスラムの世界では生きられませんよ。もっと悪人にならなければ」と思って渡したはずでもあった。そんな善人が何故何も言わずに死んでしまったのか。いや、善人なるが故に死んでしまったと言えるかも知れない。

 「生きるとは何なのか」と深く考え込まざるを得なかった。
大きく引き伸ばしたYさんの写真を眺めていると、止めどなく涙が流れた。
暗闇は時に人間を狂わすことがあるのだろうか。「苦しんで生きるより、死んだ方が楽だ」と思った瞬間、Yさんは海底に沈んでいったのかも知れない。

 現代の人間はとにかく忙しすぎる。
 だから誰でもそう思う瞬間があるはずである。死んでいった人間を馬鹿だと言うのは簡単だが、実はその底流に誰しも抱いている深い心の謎があるはずだ。

 Yさんもパチンコやマージャンといった賭け事が好きだったが、「人間は生きているのではない。生かされているのだ。」と言ったドストエフスキーもまた、病的なほどの賭博癖があった。自分では制御できないデーモンによって人間が「生かされている」とするならば、Yさんにとって「生きるとは」、デーモンの命ずるままに一つの運命に挑戦することだったのだろうか。深い暗闇と静寂、そして炎。心が燃えない訳がない。

 焚き火の回りに立てたローソクが暗闇を照らしていた。

 風はなく、ローソクの炎は真っすぐに燃え続けた。
 深い森の静寂と暗闇の中で炎を見つめていると、だんだん悔しさが込み上げてきた。

 下界とはかくも冷たいものなのか。
 私が仲間たちだけの源流の世界を愛しているのも、下界の騒々しさと冷たい人間たちが嫌いになっているからかも知れない。感傷的だとか、馬鹿だと思う奴は腹の底から笑うがいい。一人シュラフの中に潜って泣いた。



  胆沢川は、奥羽山脈の南部・焼石岳(千五百四十八m)を源流とし、栗駒国定公園の一部を形成している。焼石岳山頂周辺は、岩手県側に属しているが、秋田県東成瀬村、増田町、十文字町では地元の山として憧憬され続けてきた山である。焼石岳から南に入り口は長大なゴルジュ帯が続く。増水すれば、帰還不能の谷だ。連なる県境稜線をなす東山(千百十七m)、栃ケ森山(千七十m)を源流とする広い流域をもつ川、それが小出川である。小出川の流域は丸い形をなし、枝沢が多い。東山沢、柏沢と合流すると小出川となり、流程およそ九キロで本流胆沢川に注ぐ渓である。入り口は、長大なゴルジュ帯で狭く、「出口が小さい」ということから小出川となったのであろう。

 増水すると、長大なゴルジュ帯、本流の渡渉が不可能であると言われ、小さい渓と言えども油断は禁物である。我々は、昨年、大雨のため遡行を断念していた。しかも、「森林生態系保護地域」に追加指定される予定でもあり、今年は是非挑戦したいという熱い想いがあった。だが、悪いことに台風接近のニュースが流れていた。

 両岸屹立するゴルジュ

 県境稜線の大森山トンネルを抜けると、小出川は切り立つ山の深い谷の底で、太い流れは見えなかった。もし、大雨が降れば計画を変更する予定であったが、台風接近とはいうものの今日一日は降りそうにない。「山の神」に祈りながら荷を背負った。
ブナの森に覆われた細道

 眼下に見下ろす深い胆沢川の谷の向こうに、さらに深く切れ込んだ谷が小出川のようだ。見るからに険しい谷であるらしく、そこには太い流れが存在するように見えなかった。盛り上がるようなブナの樹海を雲が低く垂れ込めていた。

 堰堤工事に利用された道路跡を下って堰堤に達する。堰堤の梯子を伝って本流に降り立った。胆沢川は、穏やかな流れを見せていたが、ブナの大木が上段の堰堤から下段の堰堤に頭から突き刺さっていた。上流の枯れた木、両岸には、現在の流れより遥かに高い位置にロープが巻き付けられていた。増水した時の凄さが伝わってくる。

 もし、台風接近が現実のものとなれば、山に閉じ込められるか、あるいは道なき山越えを覚悟しながら、左岸の踏み跡を歩いた。この踏み跡は登山道と小出川難所の壁を伝って歩く。呼べるに近いほど、よく踏まれた細道であった。ブナの森の魅力に引き釣り込まれる釣り師は後を断たないようだ。

細道の両脇には太いブナが林立し、早くも心が躍る。その細道は長くは続かなかった。渓は両岸が切り立ち、確かに狭かった。角張った岩の壁をへツリながら難無く前進したが、増水したらと思うと、これは帰還不能の谷だと思った。壁は両岸とも直に切り立ち、その下を深い淵がゆっくりと流れている。重い荷を背負い、落ちたら大変なことになる。

慎重に三点確保で進んだ。ゴルジュは思ったより暗く長かった。

 人は水の中に潜ると別世界を体験するという。ダイビング、それは無重力の水中別世界という魅力溢れる世界だ。もちろん魚とも戯れることができる。この狭く長いゴルジュ帯は、まさに森の中へダイビングしているような感覚だ。無重力、別世界、魚、いずれも小出川にそっくりそのまま当てはまるものだ。

 ブナに囲まれた渓をゆく

両岸から流入する細流の沢でゴルジュは終わり、渓は一気に開けた。ここからは快適な遡行が始まった。渓を覆う緑は深く、ゴーロを越えると広々とした河原となる。二抱えもあるブナの森にキャンプした跡があった。これならば快適なキャンプ場だ。ブナの森と巨岩のゴーロ。ブツブツした岩が奇妙だ。

広い河原を過ぎると、今度は巨岩のゴーロだ。巨岩の岸辺りの岩肌は苔に覆われているが、そこをアップダウンを繰り返しながら進む。

深い淵尻から走るイワナの姿は見えない。渓を塞ぐ巨岩の小さな隙間をくぐり抜けると、右岸から枝沢が流入している。入り口を完全に塞ぐ巨大な岩が横たわり、僅かな隙間から水が滴り落ちていた。

ゴーロを越えると右岸から流入する枝沢に出会うが、遠くに百メートル程の頭上からチムニ状に落下している大滝が見えた。後日、A氏の探検によると、それは3段50m滝だという。

ここから、渓はさらに広くなり明るい河原が続く。平凡ながらも、ブナ、サワグルミ、トチ、ミズナラなどブナ帯の森は素晴らしい。

深い森と清例な流れの中を、汗を体一杯に流しながら歩いた。枝沢の出口をふさぐ巨岩
長い河原が終わると今度は奇岩滝だ。ブツブツになった岩肌を、太古の昔から削り続けてきた流れは、タコツボのような穴を幾つも形造り、その穴の中へ吸い込まれるように落ちていく。

その上部は、広いナメ床で、疲れた足に心地よい。やはり、夏の遡行はナメに限る。そのナメ床を快適に歩くと、まもなく大高鼻沢、栃川合流点のキャンプ地にたどり着く。ゆっくり歩いて三時間であった。浮気をせずに遡行に専念すれば、二時間でたどり着くだろう。

 渓・栃川を釣る
栃川出合い付近。
 キャンプ地は 右岸高台にあったが、感激するようなブナの巨木に覆われていた。ブナの森に誘われるように入っていくと、そこは平坦で大集団のパーティでも充分収容できるほど広い。「ブナ林の広場」。実際に数張りのテント跡があった。

 十二時を回ったところで、私とA氏は栃川を釣り遡った。渓を覆い尽くした森の中のトンネルは、光を遮りやや暗い。水量は渇水に近く、瀬尻から走るイワナが丸見えだ。いきなり、八寸級のイワナが竿を絞った。これはいいぞと思ったが、以降、釣れてくるイワナは小さかった。八百メートル程でツナギ沢にたどり着く。入り口に七メートルのナメ滝があり、そこは深い壷となっていた。きっと、イワナがいるに違いない。静かに近づき、滑るように流れ落ちる淵頭に竿を振り込んだ。栃川の3条ナメ滝。

 コツコツというアタリ。真っ黒にサビついた六寸程の小物であった。壷にずっと居着いていたのだろう。当然リリースサイズだ。この滝上にもイワナはいるとのことであるが、そんな時間はなかった。

 栃川をさらに遡っていくと、ナメ床、ナメ滝の連続となった。ナメの渓は美しく、遡行は快適だが、それとは逆にどこの渓でもイワナの魚影は薄い。ナメは、イワナや川虫たちにとって嫌な場所に違いない。なぜなら、増水すれば簡単に流されてしまうし、隠れる底石も少ない。三段七メートル滝を越えるとまもなく上二股に達する。小イワナが走る渓をゆっくり歩いていると、突然大滝が出現。
30mの高さから落下する風圧で中間部が抉り取られ、オーバーハングとなった大滝。
ゆうに三十メートルはある大滝だ。落下する風圧は物凄く、滝の中間部は大きく快り取られ、オーバーハング状となっている。壷は浅いが、落下する風圧で波立ち底は見えない。 まるで、白神山地・大又沢支流カネヤマ沢の二十メートル滝とそっくりだ。そこは、イワナの釣り堀のような滝壷であったので、ここもきっと大物が潜んでいるに違いない。這うように壷に近づいた。都合がいいことに、風圧で波打つ水面は私の影をすっかり消してくれる。熱い思いを込めて、壷に竿を静かに振り込んだ。以降、何回も振り込んでみたもの の、魚信は全くなかった。魚止めの主は不在なのか、それとも私の腕が悪いのか、何れに しても落胆の色は隠せなかった。ここで引き返し、右岸から流入する枝沢に入った。

ナメ滝の流れ出しで、久々に強いアタリがあった。これを逃がしては今晩の酒宴のツマミにありつけない。慎重に合わせをくれると、九寸のイワナであった。やっと刺し身サイズのイワナに満足し、美わしい渓を下った。

 渇水の小出川に挑むやっと出ました刺身サイズの岩魚。

 風の音で目が覚めた。
 野営地を覆うブナの葉が踊っている。いよいよ、台風の接近も近 いと思われたが、ラジオにいくら耳を傾けてもその情報はなかった。

 全員、小出川源流を目指して穏やかな渓を遡った。快適なナメ床を越えるとトヨ状の滝 二m、さらに深い淵を越えると広い平凡な河原となった。一・五キロ程歩いた所で背中から竿を出す。渇水で瀬尻から走る小イワナが丸見えである。

 隠れる木や岩が少なく、長い仕掛けでないと勝負にならない。私は、竿一杯の仕掛けを作った。ときおり、風は上流から吹いて、なかなか思ったようにポイントへ振り込めない。

 地面に這うようにポイントへ近づき、竿の反動を最大限に利用して流心に投げ込んだ。コツコツとアタリが返ってくる。自然と姿勢はさらに低くなる。上流へイワナが走った瞬間に竿を立てると、竿は大きな弧を描き、その反動も手伝って手元にイワナは飛び込んでくる。

 まもなく、天を突き刺す黒い巨大な岩壁が前方に現れた。渓は左側に蛇行し、黒い岩壁はさらに上流へ巻き込むように続いていた。広河原に突然現れた黒い巨大な岩壁

 上を見上げると押し潰されそうな圧迫感を感じる。見事だ。ただ「うぁ〜!」「お〜!」といった動物的な言葉しか出てこなかった。

 全員がこの巨大な黒壁に言葉を失っていた。
河原の石を見ると、黒い石がやけに目立っていた。黒石は、この長大な壁から抜け落ちた石に違いない。岸壁に見とれながら進むと底に流木が沈んでいる大淵があった。下流から餌を入れるとすかさず刺し身サイズのイワナが底から浮き上がって、餌を追ってきた。

 一瞬、緊張が走った。だが、すぐにイワナは反転し、深い底に沈んでいった。まずいことに、イワナは私の姿を見つけてしまったらしい。

 小出川源流東山沢5mナメ。ここで納竿。

 柏沢合流点で2組に別れる。私とK氏は本流を釣り遡った。平凡な河原を進むと、谷は 次第に圧縮され、トヨ状の流れとなり左岸から枝沢が流入している。狭い谷はツルツルの壁である。合流点は深く、期待を込めて竿を振り込んだ。すぐにイワナは食いついてきた が、またも姿を見られてしまった。

 枝沢の狭い壁にはい上がってのぞき込むと、小滝が連続する谷だった。ひたすら本流を遡ったが、谷全体が堅い岩 山で狭いトヨ状のゴルジュが連続していた。壁は長年の流水に削り取られ、足場がないほど滑らかな壁が続いていた。

 急流の壷の脇をきわどくへツリながら進んだが、あたりには既に森はなく、保水力の乏しさと大雨が降ったときの想像を絶するような水位を考えれば、イワナは諦める外はなかった。このゴルジュ帯でイワナを2尾キープしたところで、竿を畳む。時計はまだ十一時前だった。

 小出川は地図で見るより以外に小さい沢であった。イワナはいるものの、こんなに渇水状態ではイワナの勝ちである。本流の水は旨くないのでチムニ状に滴り落ちる冷水を飲む。冷たくて旨い。

 大高鼻沢

 キャンプ地に戻ったが、未だ十二時を回ったばかりである。
 時間を持て余しながら、大高鼻沢を覗いて見た。ナメ床を進むとすぐに三段六m滝。壷の真ん中に流木が突き刺さり、いかにもイワナがいそうであったが、アタリなし。ツルツルの壁を慎重に伝って滝上に出ると、二段十m滝。この壷でもアタリなし。

 巻いた跡がないところを見ると、イワナはもう居ないのかもしれない。けれども無性に上流の沢を見てみたかった。神秘の森・ブナ。静寂と安らぎの世界。

 左岸の急な草付けを掴みながら巻いた。視界を遮るものはなく、振り返るとブナの森が光りに輝いている。しばし、壮大な眺めにみとれる。空を見上げると青空が広がり、その中を小さな雲の切れ端がゆっくりと流れていく。台風の心配は完全に無くなっていた。

 さらに巻き続けたが降り口はなく、頼りの木もない。見下ろすとゴルジュ帯は小滝を伴ってどこまでも続いているようだった。

 私は、イワナよりもむしろ、森の中の美渓に魅せられてしまった。
栃ケ森山流域一帯の原生林ー本物の森の中で、一夜を過ごしたいと願う釣り師ならば、誰もが満足する谷だ。

なにもイワナを釣るだけが釣りじゃないだろう。たまには、原始の森ごと釣り上げる気概もあっていいだろう。そんな気にさせる渓、それが小出川である。

 ブナの森と戯れる

私はふたたびブナの森に誘われて、転がっていた平たい石に座った。ブナの森は光りも音も、そして風も吸収する。沢の音、風の音。ブナの森の広場。風に静かな音を奏でる。

ともに、深い森の中では静寂の音に変わる。
天を覆う緑を透視する光り。苔むした太いブナの根元に佇む。スベスべした木肌を摩る。抱き着く。「母なる木・ブナ」がそこにあった。森の中に雨が降れば、それは慈雨となり、光が差し込めば慈光に変化する。そんな森の中で、蝶が舞い、虫が歌う。私は完全にブナの虜になっていた。気がつくと、ただいたずらにボロカメラのシャッターを押し続けてい  た。

いい写真を撮りたいといつも思っているが、出来上がった写真を見て、いつもがっかりさせられるのが常であった。技術がない。それは確かであった。何時間もシャッターチャンスを待ち続ける忍耐力は私にはない。ただ動物的にシャッターを押すだけしか知らない。

しかも、カメラを大切にしない。いつも一眼レフのカメラを首に下げ、あっちの壁にぶつけ、岩にぶつけ、傷だらけになっている。いつ水中に没しても不思議ではない。そんな馬鹿なカメラマンをあざ笑うかのようにブナの葉が一斉に踊りだしていた。

 山で食べれば旨えだろうな

 最後の夜。暗闇。川瀬の音。炎。岩魚と酒。
 満月。きらめく星。アメマス系イワナを象徴する白い斑点、本流のイワナ。
 今夜は何故か満月と星が異様に輝き、不思議なほど明るかった。

 山懐深く分け入って、山の精気を吸えば誰でも仙人になれるという。そうかも知れない。

 小出川入り口は狭い。それを海底の岩穴にたとえるならば、ここは深い海の竜宮城だ。

 無重力、別世界、まるで小出川をダイビングしているようだった。この別世界をYさんにも見せてやりたかった。Yさんのことを思えば思うほど、そう思わずにはおれなかった。

 かつて、私が源流で釣ったイワナをYさんにプレゼントしたことがあった。翌日、Yさんは優しい笑みを浮かべてボソリと言った。

 「山で食べれば旨えだろうな」

 ワープロを打つキーの上に、大粒の涙がポトポト落ちた。

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