想い出の源流紀行B

1989年夏、3泊4日、大ノ助沢から大深沢源流へ

 笹竹に押し戻されて 1日目深緑の奥に涼風を誘うナイアガラの滝

 高度が増すたびにアオモリトドマツの樹高が低くなり、森林限界を越えると一気に視界が広がる。長年の風雪に耐えた樹木が、いっせいに東側へなびいている風景、そしてその樹間を風とともに、濃い霧が流れ去っていく。

 緩斜面には、朝露に濡れたニッコウキスゲが屋根を吹き抜ける風に揺れていた。

 藤七温泉を過ぎて、砂利道に入る。黄白に変色した石の隙間から、ゴボッゴボッと音をたてて噴き上げている山の湯煙が原生林の中に漂う。

 車窓を開けると、真夏にもかかわらず冷たい風が入ってきた。稜線と平行に走る道は、雨水で激しく侵食され、バウンドをくり返しながら進むと大ノ肋沢車止めに着いた。
 遡行のため荷造りをしていると、一台の車が止まった。宮城からきた単独釣師であろう。

 「どこへキャンプしますか」
 と問うてくる。
 「関東沢出合いにキャンプする予定だ」
 「それじゃ、私は三ツ又にキャンプします」
 すかさず答えたところをみると、彼も予定ど
 おりのようである。

 6時30分、大ノ肋沢遡行開始。岩手・大ノ助沢を詰め秋田・仮戸沢を下るコースをゆく
 赤茶けた小石の上に、おおいかぶさるように笹竹がせり出している。渇水なので歩き易い。枝沢と出合うたびに、磁石を使って西の方向へ進む。

 大きな枝沢は2本。一つ目は左、二つ目右へ進む。源流行初体験の新人保坂は、すでに汗だくで息使いも荒い。

 渓は次第に急となり、もろい凝灰岩質の6m滝に出合う。ここは左岸を巻くことになるが、猛裂なヤブこぎである。笹竹は下側に一斉に向いており、これに逆らって強引に突破しようとすると、竹の張力ではねかえされてしまう。

 笹竹をかき分けるように前進。ぐんぐん高度をかせぎながら進むと、ほとんど水がなくなり、ヤブから突然、花畑へ飛び出す。心の中に、充たされた開放感がゆっくりと広がるひとときだ。

 濃い霧を吹き飛ばすかのように、一面黄色のジュータンが連なっている。前方には、厚くたれこめた雲の中に、尾根が見える。元気が湧いてきた。背丈以上もある笹竹を、かき分け登る。すると、まもなく会長の吹く笛の音が、風に流れて聞こえてきた。コルに着いたようだ。

 県境尾根から、今度は仮戸沢をめざす。「さあいぐど」の合図で、会長が笹竹に飛び込む。
魔の笹薮をゆく
 副会長、保坂、金光、菅原、宮城の単独釣師の順で次々と飛び込む。とてもクロールは通用しない。視界のきかない笹竹の中を、ノロノロ泳ぐように下る。赤いテープを、アオモリトドマツ、ダケカンバの木に巻きながら進むと、源流のかすかな音が聞こえてきた。苔むした小石の下から、一滴の水が流れ出しているのだ。

 美わしい水

 この時、ふと田部重治氏の言葉が浮かんだ。大深沢最大の滝、ナイアガラの滝
 「絶頂よりも渓谷、雪よりも深林」

 そして、「流れる水、而も美はしい水に対する趣好は誰しももっている。日本人は最も美はしい水を好む民族であり、且つ最も美はしい水は日本の渓谷に於て見出される。渓谷に対する趣好は、この美はしい流れを求めるばかりでなく、この美はしい岩、樹林、山と共に形作る渓谷の美を憧れしめる。そこから多くの日本の絵画や詩歌が生れた」
と述べている。

 この美わしい水の一滴は源流から始まる。八幡平稜線付近のお花畑をゆく
 水は生命の源でもあり、源流をめざすということは、人間の原点を求める旅でもある。美はしい渓谷を見て、感動しない者はいない。

 訪ずれる渓師達を次第に詩人へと誘う。この不思議な力こそ、人間の原点へ誘う源流の力なのではないだろうか。

 巨大なミズバショウの葉に、小さな水玉がいくつもついている。ふれると、コロコロと葉先へ下り、流れの中に落ちていく。渓にせり出したヤブをかき分けながら、仮戸沢を下る。

 次第に急勾配のゴーロとなり、突然、水が消えた。渇水のため、水は大石の下を伏流となって流れ、渓には、一滴の水も流れていない。急階段の仮戸沢

 夏の強い陽射しが容赦なく照りつける。光のシャワーがサウナ風呂のように暑く、石の階段を一歩一歩降りるたびに汗が噴き出してくる。水のないゴーロ下りは、体力の消耗が早い。まるで砂漠を歩いているような感じがする。

 ブアップ宣言

 ゴーロ帯を半分程下ると、大石の間から水が湧き出してきた。水温11度。冷たい源流水が、この上なくウマイ。保坂の顔は蒼白で、目もウツロである。ネズミもとれないネコのように、うなだれ石に座り込んで動かない。「こさ、テント張らにゃぎあ」とギブアップ宣言。ナメが続く大深沢を快適に下る

 「なんで源流さきたら帰りだぐなぐなるがわがった。帰りのごど考えれば、とても帰る気にはなれねえがらだべ」

 ギブアップしている割には、まだ口が達者である。
 11時30分、三ツ又に到着。保坂は頭から水をかぶっている。顔はなお蒼白となり、得意の口も回らない。ここから彼の回想録を引用してみたい。

 「どうも私は、大昔.農耕民族であったら新人保坂、総理大臣?が座る岩椅子を見つけて得意のポーズしい。実に苦しい。娘の顔が目の中をさまよう。出発してから約4時間半にて三ツ又に着く。私はもう完全にグロッキーである。副会長に聞くとここから目的地には、まだ一時間もかかるとのこと。私はもうまったく動きたくなかった。……このまま置いていかれたら大変なので頑張ってついて行く。途中、ナイアガラの滝下りで、頭からシャワーを浴びる。

 久々に気持ちが良い。まわりの景色を見る余裕もなかった私も、下から見る滝の壮厳さに気持ちが引きしまる。マイルドセブンに火を付ける。旨い。このままテレビCMになるな。などとまた、夢想がはじまる。私をかばうように他の4人もゆっくり目的地に向ってくれる。

 限界にきている私も、頭の中で“処女イワナ、処女イワナ”と呪文を唱えると、また元気になったような気になる。ピッピッピーと会長のホイッスルが聞こえる。到着の合図である。私は、目的地に這うように着くと、しばらく動けなかった。」

 「メシを食わないとくたばるぞ」
 と会長に言われても
 「…吐き出しそうで食べられねえ」
 やはり、慣れないと五時間余の沢歩きはついようだ。だが、このつらさがあってこそ、源流イワナに出会う感動も大きくなるのである。

 関東沢は小型ばかり?

 午後四時、力を使い果した保坂を残し、会長と私は関東沢に入る。ポイント毎に釣れてくるが、小型イワナのみ。手のひらより小さなイワナを釣っては、放流するばかりで、なかなかキープできない。これでは夕食にありつけない。引きは小さく、上げても力余って小イワナが宙空を一回転。サラサラという瀬音に、心なしか力がない。

 餌をミミズから川虫に切り換えてみた。だが、なぜかアタリは遠くなるばかりである。むしろ川虫よりミミズの方が食いが良い。渇水晴天とくれば、川虫という常識が通用しない、不思議な渓である。
 上流に行くに従い、キープ率が高くなった。
 大深沢のイワナは、全体が黄色味を帯びている。もちろん、居付きであるから腹部は濃い黄色である。よく見ると、側線より下は橙色の斑点、上は白い斑点が鮮明である。遡上イワナは腹部もパーマークも白いが、大深沢のイワナは典型的な居付きイワナである。

 源流イワナと遊んでいると、なぜか時間が経つのが早い二三時間程で竿をたたむ。
 夜が深まるにつれて、昼の暑さがウソのように冷え込んでくる。イワナのエキスですっかり元気になった保坂が「わー!、すげえな。星だらけだぜ」と叫ぶ。宝石を散りばめたような夜空…川下に北斗七星が輝いている。

 遡行の疲れをイワナと酒で流し去る。

 エサぁ…間に合うかなぁ 2日目関東沢出合上流部

 テントから出ると、緑に包まれた森に光のシャワーが降り注いでいる。斜め光線で緑の濃淡がきわだつ。
 宮城の単独釣師は北ノ又沢に入るといっていた。私と保坂は、東ノ又沢をめざす。

 昨夜、イワナのエキスで生き返った保坂は元気がいい。早々と準備を済ませ、先へ飛んでいった。
 私はゆっくり準備をしながら上流を見るともうイワナをぶら下げVサインを送ってくる。

 「こいつ、昨夜の宴会が聞こえなかったのか」
 などと処女イワナに向かって、何やらブツブツ言っている。
 10分程遅れて行くと、すでに3匹も釣りあげていた。得意満面の笑顔とVサイン、まるで無邪気な少年のようである。

 「エサ間に合うがなあ」
 と真顔でいう。まったくげんきんな奴だ。

 本流は関東沢より型がいい。20cm以下放流と決めてスタート。
 二又より50m間は、サワグルミやブナの大木が渓全体をすっぽり包み込み、暗い。流れの中に大石が点在し、イワナの棲み家も多い。

 流木2ヶ所を通過すると、まもなく巨岩のゴーロとなる。前方に60m程の直壁。中間部は風化で崩れて、オーバーハング状になっている。この壁の崩壊が、下流のゴーロを形成したのだろう。ここを右折すると、巨大な岩が渓を塞止めるかのように積み重なっている。

 岩のわずかな隙間をすり抜けると、豪快な3段10m滝。大きな釜では、アタリがなかった。

 ナイアガラ右岸を巻いて滝上に出ると、トヨ状の流れとなっている。左岸は広いナメ床となり、気分をゆったりさせる風景が広がる。相変わらずイワナと遊ぶ機会が多く、なかなか距離が進まない。

 石が転在した赤いナメ床の前方に、大深沢最大の滝が緑の隙間から見える。通称ナイアガラと呼ばれる滝だ。

 幅が30mもある滝上から岸壁を伝って流れ落ちる様は、一面の黒い壁を白に染め尽くし、まさにナイアガラの滝という名称にふさわしい。見ているだけで暑さも吹飛ぶ。

 まん中の樹木を介して左側は、一条となって落下する豪快な滝。女性的な滝と男性的な滝の絶妙な対象。この滝を見るだけでも、大深沢へくる価値は充分にある。

 ここで12時10分。炎天下、水しぶきを浴びながらコップに水を汲み、パンをほおばり小休止。   

 ナメ滝シャワー夏は、ナメ滝シャワーが最高!!

 中間のザイルを伝って、全身に冷たいシャワーを浴びながら登る。滝上はナメ床が連続しており、ナメ床にぴったりと張りついたように一様に流れる水が、光でキラキラと輝き、思わずへばりつきたい気持ちにかられる。

 ナメ滝の連続は、さわやかだ。天然の舗装道路のようなナメ床と豊かな流れ、夏はナメ滝シャワーに限る。

 ナメ滝を越え、右に曲がると三ツ又である。
 アオモリトドマツの樹林から、ナメ滝となって流れる北ノ又沢、右手からは東ノ又沢、左手からは仮戸沢、この三つの沢が合流して、大深沢となる。
 三ツ又右岸高台にキャンプ適地がある。大深沢を訪ずれる釣人は、ほとんどがこの三ツ又にキャンプしているようだ。

 標高992m、すでにブナの限界を越えてアオモリトドマツの原生樹林帯である。

 どうも私は常緑針葉樹が肌に合わない。遠い縄文時代には、人ロの90%がブナ帯にあったという。それはなぜか。動物達や縄文人にとって、ブナ林は圧倒的に豊かな食糧庫であったからである。
 豊かな森に住む動物や縄文人にとって、ブナは「森の母」であった。ブナやサワグルミといった広葉樹の森の中で寝ると、なぜか安らぐ。それは、私達のルーツである縄文人の血がさわぐからだろうか。それとも、動物の本能なのであろうか。

 リリース・サイズばかりが・・・

 アオモリトドマツの大木の下に、宮城からきた単独釣師のテントがポツンと一つ張られている。北ノ又沢に入っているのか、人の気配はない。

 このテント場横の瀬に、無造作に餌を投入。
 すると、予期せぬ強い引きが返ってきた。直感で大物とわかる引きだ。

 目印が上流の大岩の方向に走る。すかさず合わせると、ガツンという確かな手ごたえ。
 引きずり上げて太い魚体を握りしめる。野生のイワナに出会えた感動で、体がかすかに震える。
 なかなか姿を見せない保坂が、駆け足でやってきた。

 「先程の壷で大物を逃がしてしまった」
 と盛んに悔やしがっている。彼にとって、記録更新サイズだったのか、その悔やしがりようは尋常でなかった。

 いよいよ東ノ又沢だ。出合のナメのツボですぐにアタリがあるが、5寸程の小イワナなのでリリース。いやな予感が走る。三ツ又にて記念撮影。

 すぐに2mのナメ滝。右岸から柳が大釜にせり出し、中間に流木が横たわっている。次は、1.5mの一様岩盤の壷。その上が3mのナメ滝で巨大な釜がある。イワナは瀬に出ているのか、これら大釜では全てアタリなし。ここから上流は、しばらくギラギラと輝く赤茶けたナメ床が続く。

 左に曲がると、石の転在する好ポイントが続く。三ツ又キャンプ場より近いためか、小物ばかりが釣れてくる。いやな予感が的中したようだ。
 足早に釣り上るが、一向に型はよくならない。
 羽化したばかりのものすごい数のトンボが渓を飛び交う。竿に止まるトンボを数えると12匹も止まっている。

 一斉に私を見て「ヘボな釣り師め!」
 と言わんばかりだ。小馬鹿にされたようで、竿を揺すり追い出そうとしても、又もや竿に止まる。羽化したばかりの赤トンボの人見知りしないみずみずしい目を見ていると、イワナなんてといった潤った気持ちになってくる。

 1.5キロほど進むと、渓は急に狭くなり、水も少ない。脇屋根も眼前に見える。型もややよくなるが、7寸級といった小物が中心である。

 小ゴーロと瀬、あたりはアオモリトドマツと雑木林といった平凡な渓がどこまでも続く。
 保坂も大分腕が上がったようで、釣ってはリリースに忙しく、余裕すら感じさせる。ご満悦の保坂の顔が、昨日の目もウツロな顔面蒼白となった同一人物とはとても思えない。

 イワナの魅力とは、かくも偉大なのかと新ためて思わざるを得ない。午後四時納竿。岩魚を食べてすっかり元気になった保坂
 今日は大半をリリースしたとはいえ、釣りすぎてしまった。釣りすぎは自分の首を締める。かつて、木炭を盛んに作っていた時代、木炭を作るためにクヌギを大量に切った。すると、雑木林はどんどんなくなった。新しい木が育つまでには何十年もかかる。そこで、昔の人は考えた。幹だけ残して枝だけを切って使う方法を編み出したのである。我々もこの教訓を肝に銘ずべきである。自然のサイクルを乱すような乱獲は、回復に木が育つと同様の長い年月を要する。

 何時間もかけてやっと源流へたどり着き、思う存分釣りまくりたい気持ちは充分すぎる程わかる。なかなか自戒しながら釣る仙人のような境地になるのは難しい。が、少なくとも、20cm以下の将来の幹は確実にリリースすべきだと思う。

 闇の中の炎、生命が燃え盛っているような充実した時が、一陣の風とともに深い森の中に消えていく。リングの上で燃え尽き、灰になった矢吹ジョーの姿がちらつく。俺もこの源流で灰になれたら…。その瞬間、酒が脳天まできいてきた。燃え盛る炎の中で、竹の音が怒ったようにバーンバーンともの凄い音を立てる。爆竹とはよくいったものだ。

 竿のかわりにカメラを持って 3日目

 テントを出ると、相変わらず、光がまぶしい。今日も快晴のようだ。
 朝食をとって各自用便をしていると、下流から3人組がやってきた。フライマン2人、一人は餌釣りのようだ。東京からやってきたという。発電所取水堰堤に他のパーティがキャンプをしていたが、それを追い越してヤセノ沢にキャンプした。もう誰もいないと思ったのに我々を見て唖然としたという。

 会長が図面を取り出し、源流へ一気にくるコースもあるのだと盛んに説明している。わざわざ東京からきたというのにほとんど釣っていないようで気の毒に思う。関東沢に入って今日帰るという。全く御苦労さんと言いたい。何とも忙しい釣り人もいるものだと感心するやら、悔けないやら複雑な心境である。

 私は竿のかわりにカメラをもって出発。一眼レフカメラを忘れてきたので、手に持っているのはバカチョンカメラ。遡行図を書きながらカメラを構える。竿を持たない身軽な目で沢を歩くと、意外なものが新たに見えてくる。

 大岩を抱き込んだ老木、ブナの樹間からこぼれる太陽の光、穏やかに流れる渓の光と影、圧倒するような緑の原生林と直壁、森の中から伝わる虫や鳥の歌声、苔むした岩の間を流れる豊かな流れ、白泡と緑のコントラスト、何もかもが、新鮮でみずみずしい。ナメが続く北ノ又沢へ

 三ツ又で二班に分かれる。、私は北ノ又沢に同行する。北ノ又沢は渇水とはいえ、ナメ滝の続く美渓だ。入口から3段のナメ滝があり、小ゴーロとなるが、すぐにナメ床となる。

 しばらく進むと、左手に2段25mの豪快な滝に出合う。右に曲がる直前に6mナメ滝。かつて、右岸にザイルがあったはずだが、誰かが持ち去ったのか、すっかりなくなっていた。渇水なので右岸を直登できるが、増水時は危険だ。

 巻き終えると、今度は5mナメ。このツボでは会長が、餌をとられては新たに餌をつけてイワナと遊んでいる。ナメ床を進むとまもなく流木と石の転在するポイントが続き、蕗の向こうに4mナメ滝が出現。昨年は大雨の中、もの凄い形相をしたこのナメ滝を見て引き返したが、今は穏やかなナメ滝にすぎない。ナメ滝が続く沢を快適に歩く

 滝上で会長がイワナを釣った。大きい。今夜の刺身と思ったとたん、むなしく針からはずれてボシャッ。それを見て勢いづく保坂。
 ゴーロ連瀑帯の好ポイントが続くがアタリは遠い。次第に蕗の葉も大きくなり、秋田蕗の元祖にふさわしい見事な蕗が群生している。

 ゴーロが終わると、緩勾配の長大斜面をもった大ナメ滝。13mの落差はあろうか。表面はヌルヌルしてすべり易い。ここからナメ床が続き渓は狭まる。深い森が漢を包み込み暗い。まるで連続落差上のような階段状ナメとなる。

 日本庭園の原点巨大な秋田フキが群生する渓を釣る

 あたりは、ほとんどがアオモリトドマツの世界。渓の真中に寝ている岩には、苔がびっしり生えているが、連日の猛暑で赤茶けている。カエデが渓にせり出し、見事な自然庭園を造り出す。保坂がこれを見て「日本庭園の原点はここにある」と突然言う。

 高度が増すたびに、樹高も低くなり、笹竹が目立つようになってきた。稜線も近い。午後四時二十分、納竿。美しいナメの続く渓を下る。

 会長が石の間をピョンピョンはねて歩く。
 保坂がそれを見て 「まるで忍者のようだ」
 と叫ぶ。ナイアガラの滝の中央には、残置ザイルがあり、それを頼りに登る。

 「イワナ釣りは、目立たず、常に影武者のように歩かなければだめだ」
 と言うと、すかさず
 「俺の顔はでかすぎて、とても影武者にはなれねえ」
 一斉に笑いが緑の樹間を駆け巡った。

 三日間続いた好天もそろそろ崩れそうだ。
 天に輝やく星もまばらである。その中を雲が足早にやってくる。焚火の炎も狂ったように右に左に燃え盛る。風とともに、サワグルミの葉がざわめき出した。

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