ヒグマと渓魚の楽園をゆく
翌朝、沢の音で眼が覚める。
岩陰に置いた食料のザックも無事のようだ。
焚き火の傍に腰を下ろし、コーヒーを飲みながらヒグマと大函に守られた渓魚の楽園の真っ只中にいる幸福感を味わった。
ヒグマは日の出から一時間前後動き回り、満腹になると草むらで昼寝をする。ということは、夜明けと同時に動き回るのは危険である。そういう点では、朝が遅い我々とは活動時間帯は重ならないので安心だ。
腰には山刀と熊撃退スプレー、サブザックには熊鈴を下げて八時出発。
昨日調査した地点まで一気に歩き竿を出す。
大岩の陰や大淵、大トロ、太い流れの瀬など素晴らしいポイントが連続している。しかも、餌を落とせば必ずと言っていいほど釣れる、まさに入れ食いである。
同一ポイントに二人が竿を入れるとそのどちらにも釣れてくる。
釣り人が泣いて喜ぶような別天地だ。
深さが2メートルもある大淵では、岩魚とニジマスが群れているのが見える。餌に食らいついた岩魚をさらに追っかけてくる岩魚もいる。餌ではなく、赤い毛糸の目印をグイグイ引っ張る岩魚もいる。魚影の濃さは、今まで体験したうちでナンバーワンだ。
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アメマスだが、海に下ることができなくなった陸封型のエゾイワナ |
黒っぽい魚体に、ランダムに散りばめられた大きな白斑点。北海道でしかお目にかかれないイワナだ。 |
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直立する大壁と大淵に、大イワナの匂いが漂う。 |
沢沿いに咲き乱れるエゾトウウチソウ |
尺岩魚が標準サイズ、桃源郷に突入
釣りはじめてからまもなく、新しい熊の足跡を見つける。
以降、我々を脅かすかのように沢伝いに続いている。
ヒグマは、警戒している時は足跡を残さないように歩く。
これだけ足跡がついているということは、全く無警戒であることを示している。悠然と歩く姿が目に浮かぶ。
ヒグマの世界の真っ只中に入ると、釣れてくる岩魚の標準サイズは、何と尺前後とデカクなる。ヒグマの恐怖も増すが、それ以上に岩魚の誘惑が増していった。
東北の渓流では、尺岩魚は希で8寸以上あれば良型サイズなのだが、シュンベツ川では9寸程度の岩魚が、余りにも小さく感じる。ニジマスに至っては、ほとんどが丸々太った尺物ばかり。8寸から9寸程度の岩魚までキープしたのでは、食い切れないどころか岩魚が重くて歩けなくなる。全てリリースするほかはない。まさに渓流釣りの桃源郷と呼ぶにふさわしい。
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34センチのエゾイワナ。
シュンベツ川では、さして驚くべきサイズでもないが・・・ |
左岸の笹薮に踏み跡のようなものがあった。
こんなところに巻き道があるのか、と思い薮を覗けば、丸いトンネルとなって森の奥へと続いている。明らかにけもの道だ。一瞬、ヒグマの道かと思ったが、歩いた痕跡から、エゾシカの道のようだ。ひとまず安堵する。
S字状に曲がりくねった淵の向こうに砂場が見えた。
その砂場には無数のヒグマの足跡がついている。
淵の瀬を渡ってヒグマが何をしたのか観察する。
トロ場で水浴びをした後、沢から砂場にジャンプして陸に上がり、ブルブル振るって体についた水を落とし、悠然と森の方向に歩いていった跡だった。
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24センチほどの巨大な足跡。 |
砂場一帯についたヒグマの足跡。
足跡が濡れているということは、今朝残した足跡に違いない。 |
それにしても足跡はデカイ。
ヒグマの足跡をこれだけ見せつけられると、感覚はだんだん麻痺してきて驚かなくなった。それでも、仲間から大きく離れ一人になると、ヒグマが背後にいるような気がして急に恐くなる。渓魚の楽園とはいえ、常に危険と隣り合わせにいることを忘れてはいけない。
春別ダムより上流は、大函はあるものの滝がない。
3キロにも及ぶ大函の激流をニジマスも遡上してきたことに驚かざるを得ない。岩魚とニジマスの混棲地帯だが、釣れてくる比率は岩魚7に対してニジマス1、圧倒的に岩魚が多かった。
沢のスケールもでかく、四十や五十センチを越える大岩魚もいることは間違いない。
ヒグマに脅え、長大な大函に喘ぎながらやってきただけに、爆釣が続く渓魚たちの凄まじいファイトに感激、感激の連続だった。
ついに大岩魚が……
左岸は直の岸壁、右岸は高さ五m、長さ二十mほどの岩盤の中を流れる大淵、岩は抉れて大岩魚の予感が漂う。
高い岩盤の上から、竿より三十センチほどバカを出した仕掛けを投げ込む。圧縮された太い流れに乗って目印がスーと流れたかと思うと激流の途中でピタリと止まり動かない。
竿を立てると猛然と上流へ走る。
デカイ、と思ったが水面に顔を出した魚は、岩魚ではなくニジマスだった。これにはガックリだが、ファイトは岩魚より強い。
岩場の上では太いニジマスを上げることができない。
下流の河原まで下がる。
水面に顔を出したニジマスは、ジャンプをしてエラアライの動作を繰り返す。魚体の幅が広く太い分だけその抵抗力も強い。ゆっくり下流に誘導、引き釣り上げる。三十四センチのニジマスだ。
淵の上流にいた章氏には、待望の大岩魚が餌に食らいついた。
水面に顔を出した瞬間、デカイと思わず声を出す。
しかし、ハリスが簡単に切れ大岩魚は深い淵へと消えた。
入れ食いで尺物を釣り上げているから、ハリスは相当弱っていたための失敗である。こまめに針を交換することを怠っていては、大岩魚を仕留めることはできない。
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大イワナが潜んでいた深い廊下 |
廊下上部まで丹念に攻めたが、消えた大イワナは再び姿を現さなかった。 |
しかし、今まで体験したことのない爆釣の連続では、ハリスの点検どころではなく、完全に心は乱れてしまうのも致しかたない。大岩魚を見ただけでも満足、リリースしたと思えばいい。章氏は、諦めきれず何度も淵で粘ったが、大岩魚が再び餌を追うはずもなく、釣れてくるのは小物ばかりだった。
真新しいヒグマの足跡
チャワンナイ沢と大函の中間点右岸の砂場には、さらにでかいヒグマの足跡があった。砂場についた足跡の上には、はっきりとヒビが何本も入っている。
今歩いたばかりの足跡だ。
無警戒で歩く時は、足跡も浅いが、警戒して立ち止まると重さで砂地にめり込む。恐らく、鈴の音を聞いて立ち止まり、森の中へ入っていったに違いない。
心を落ち着かせるために、タバコに火を点けた。
後日知ったことだが、ヒグマはタバコの匂いを特に嫌うらしく、クマの気配を感じたらタバコを吸うのがいいらしい。
さらに上流に進むと、右岸から流入する枝沢に出合う。
水量も十分、岩魚の気配は濃厚なのだが、何とも気味が悪いほど暗い。ヒグマの匂いがプンプン匂うような沢でとても入る気になれなかった。遡行メモには、とりあえず、熊の沢と書く。
竿先を縦に割った大物
熊の沢より上流は、大きな瀬が目立つようになる。
大まかに言うと、尺岩魚のポイントは大岩の下や深い瀬、ニジマスは大淵・大トロ場といったところでヒット。深い瀬が多い場所では、当然岩魚だが、型がワンランク上がって三十一センチから三十五センチという嬉しいサイズが飛び出す。
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イワナとニジマスが群れていた深淵。目印に飛びつくイワナもいれば、針から外れてもガラ掛けで上がってくるほど魚影は凄まじい。 |
釣れてくるニジマスは、ほとんど尺上ばかり |
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瀬に乗って大暴れしたニジマスをやっと仕留める。 |
丸々太った天然のニジマスを手に感激が全身を貫く。 |
雨が降っているわけでもなく、笹濁りでもない。
流れは限りなく透明に近いにもかかわらず、
こんなサイズがやたらに釣れるということはどういうことか。
最後の秘境といわれる日高の渓流でなければ、もはや体験できない世界だとつくづく思う。
岸に工事用のシートや鉄パイプの残骸が目立つようになる。
チャワンナイ沢まで延びた林道まで、あとわずかだろう。
足早に進むと、今度は何とボーリングマシンの残骸だ。恐らく昨年か4年前の大洪水の際に流されたのだろう。
またも大淵が登場、下流から上流へ仲間が交代で釣り上げる。
次々に岩魚が掛かる。
誰に大物がくるかと言えば、順番次第なのだ。
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尺イワナは、全て岩の穴から出てきた。岩魚とは、その名が示すとおり、こうした巨岩が横たわる渓を好む。 |
ポイントは無数、5人でも十分楽しめる渓魚の楽園 |
淵の最後に振り込んだのは金光氏、淵頭から瀬に流した瞬間、重くて上がってこない。竿は満月状態、悪いことに流れに乗られてしまった。
上流へ走ったり、流れに乗って下流に走ったり、とにかく魚に合わせて動くしかない。やや緩くなった瀬脇で強引に竿を立てると魚が顔を出す。
でかくて太い。
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竿先を割った大物に感激。釣りとは、感激を釣ることだとつくづく思う。 |
自然繁殖したニジマス。手に余る大物を釣りたいとは思いませんか。 |
今度は、ニジマス特有のジャンプだ。
弱ったところで砂場に持ち込み引き釣りあげる。
丸々太った四十二センチのニジマスだった。
その野性味溢れるファイトは感動ものだ。
竿先をみると縦に割れていた。
ニジマスの抵抗の強さを語るに十分だろう。
渓魚の楽園に酔いしれ、ヒグマに感謝
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イワナが穏やかな流れを切り裂く |
前方に吊橋が見えると左手にボーリングをした跡があった。
恐らく、発電のためのダムサイト調査だろう。
高さが五メートルもある高台を洪水が襲った痕跡が残されている。
右に曲がるとチャワンナイ沢が右手から合流するのが見えた。
遥か前方の斜面には、林道も見える。
それでも、型が落ちるわけでもなく、アタリが止まるわけでもない。
その謎は簡単明瞭、林道はあるものの四年前から林道は通行止め、必然的に釣り人の侵入を阻んでいるからである。災害復旧工事が終了すれば、日帰り釣りの人たちが押しかけ、チャワンナイ沢から上流の渓魚の楽園も幻となる日も近いだろう。
全く人工構造物がないのは、下流部の大函からチャワンナイ沢までの区間だが、これとてチャワンナイ沢合流点下流に発電用のダム建設が始まったとすれば、幻となることは間違いない。
人間は、ヒグマが最も怖い動物だと思っているが、ヒグマや岩魚の立場で考えると、人間ほど怖い動物はないと言えるだろう。
全員渓魚の楽園に満足して竿を畳む。
一般的に一本の沢を五人も一緒に釣り上るのは、効率が悪く無理がある。しかし、枝沢があってもヒグマの密度が高く同一行動をとる以外になかった。幸いにも、シュンベツ川はポイントが大きく魚影が滅茶苦茶濃いから、両岸から同時に釣ってもどちらにも釣れてくる。しかも同じポイントで数匹釣れるから、五人全員が入れ食いを体験できた。
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やっと、チャワンナイ沢に辿り着く。全員満足して竿を畳む |
チャワンナイ沢上流、あくまで穏やかで太い流れは、まだまだ楽園が続いていることを物語る。 |
こんな夢のような世界があるとは思ってもいなかった。
東北では、もはやこんなスケールのでかい釣りは望めない。
ヒグマの恐怖と渓魚の誘惑
日高ではヒグマのオヤジがいるから、ヒグマのテリトリーにキャンプをする釣り人がいない。それは、どうも北海道の渓流釣りの常識になっているようだ。事実、キャンプや焚き火をした痕跡は皆無だった。
ヒグマの怖さを知っているからだろうが、ただそれだけではない。北海道では、渓流釣りの対象魚としてイワナやオショロコマは最低ランクに位置付けられている。だからこそ、危険を冒してまで釣る魅力がないからだろうか。しかし、北海道は広い。源流のイワナやオショロコマが大好きな人間がいてもおかしくないのだが・・・。
日高山脈の山登りでは、沢のルートがいくつもあり、登山者たちは、ヒグマのテリトリーにキャンプしながら登っている。日高の源流は、恐怖と魅力を天秤にかけて、魅力が上回る人たちのみの世界でもある。怖さを知らないよそ者だからできること、という人もいるが、知らぬが仏だけでは、ヒグマの世界に入っていけるものではない。
渓魚の楽園に酔いしれながら思ったことは、
「ヒグマは確かに怖いけれど、逆に渓魚たちを守り続けてくれたヒグマに感謝しなければならない」と。
テン場に下る途中、心配したのは、テントが留守中にヒグマに食い荒らされているのではないか、ということだった。チャワンナイ沢からテン場までまっすぐ歩いて二時間三十分弱。
テン場は、無事だった。
結果論と言われるかもしれないが、どうも人間はヒグマを必要以上に怖がっているのではないか。
夢の大岩魚を釣る対策
イワナが何を食べているか胃袋の中を調べてみると、
全て羽のついた昆虫ばかりを食べていた。
目印に食らいついたイワナがいるように、毛鉤ならもっといい釣りができたかもしれない。沢のスケールや魚影の濃さ、成長の早さを考えると、間違いなく五十センチを越える大岩魚もいるはずだ。
大岩魚の気配は、至るところにあったにもかかわらず釣りあげることができなかった。大岩魚の気配を感じたら、オモリを変えたり、より大きなドバミミズを使ったりするなど、もっとじっくり攻める戦法をとれば釣れたような気がする。
ヒグマ対策だけでなく夢の大岩魚対策も必要だった。
それが唯一の反省点でもある。
しかしながら、それは冷静になって考えればのことであって、ヒグマの恐怖と尺岩魚の入れ食いに、我々の心は、乱れに乱れていたことも事実である。
赤々と燃える焚き火を囲み、尺岩魚とニジマス料理に舌鼓を打ちながら渓魚の楽園を堪能した満足感に酔っていた。
シュンベツ川の大函上流は、簡単に言えば、野性味溢れる天然の釣堀で、管理人はヒグマといった世界である。
「ヒグマのテリトリーにはキャンプをしない」という北海道の渓流釣りの常識を覆さない限り、決して垣間見ることのできない桃源郷であった。
「とにかく、ヒグマに会わなくてよかった」
と長谷川副会長がボソリと呟いた。
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ビバーグしたC1にて。深山幽谷で、同じ釜の飯を食い、苦楽を共にして14年。ヒグマと渓魚の楽園・シュンベツ川遡行は、会の歴史に輝かしい1ページを飾ってくれた。 |
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