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追憶の山釣り
 会結成20周年・・・その節目に当たり、懐かしのアルバムを再現・・・過去を振り返り、我々は、山釣りから何を学んできたのだろうか。そして今日、「渓流釣り」あるいは「源流釣り」とは言わず、なぜ「山釣り」と呼ぶようになったのだろうか。愚かな源流初心者時代を振り返り、改めて考えてみたい。
 昭和60年9月4日〜5日・・・初めての源流行、水沢川支流金山沢から粕毛川源流へ。この道は、かつて金山鉱山が栄えていた頃、西目屋村大川から粕毛川、水沢川に至る杣道で、津軽と能代を結ぶ産業文化交流の道でもあった。当時、その杣道は粕毛川源流二股まではっきり残っていた。お陰で源流一年生でも迷うことはなかった。上の写真は、金山沢を登り詰め分水コルを越えて粕毛川源流の小沢で一服しているところ。
 左の写真は、粕毛川源流部に広がるブナ林。同じような樹齢のブナがきれいに林立している。これは二次林である証拠。その中を縫うように杣道が続いている。この風景を見ただけでも、粕毛川源流部は「手つかずの自然」ではないことが分かる。ともあれ、当時、この道は、渓流釣り愛好家たちにも有名なイワナ道だった。この1泊2日の源流行で、初めてイワナの入れ食いを経験した中村会長が完全に狂ってしまった。日帰りの渓流釣りしか知らなかった私も、泊まりの源流釣りの楽しさに中毒症状を呈しはじめていた。
 粕毛川源流行から、わずか10日後。中村、小谷地、菅原の三バカトリオは、無謀にも2泊3日の赤石川源流へ。ザックは、横長のキスリング、テントは、フライシートなしのファミリーテント、足回りはフェルトの渓流足袋を履いたまま、山越えをした。まだ馬力があった頃だから、何とか赤石川源流上二股に転がり込む。そこで見たものは、ブナ原生林の美しさと群れるイワナの凄さだった。
 良型イワナの入れ食いに感激の連続。イワナに狂わされ、針と糸が見えなくなるまで釣りを続ける始末。狭谷はあっという間に真っ暗となった。釣り天狗と化した三人は、懐中電灯を手に持ち泊り沢を下る。浅瀬の水面に灯りを向けると、三人は声を失い凍り付いてしまった。稚拙な釣り技術をあざ笑うかのように、丸太のような大イワナが群れていたのだ。
 これを見てしまった以上、黙って下るわけにはいかない。中村会長は、軍手をはめ、そっ〜とイワナに近付き、手づかみ開始。今では考えられないことだが、いとも簡単に33センチのイワナをつかまえた。ちなみに、釣り上げたイワナの最高は泣き尺。手づかみしたイワナが、それを大きく上回っていた。釣りがいかに下手であったか・・・を物語るに十分の出来事だった。
 二股から下り釣りをしながら大ヨドメの滝壺へ。この時、下流から重そうなザックを背負った若者が上ってきた。我々を見るなり、河原にへたり込んでしまった。聞けば、二日もかけて歩き、大ヨドメの滝までくれば、源流を独り占めできると思ったらしい。その落胆ぶりは、気の毒に思うほどだった。当時、この若者を笑うどころか、我々も他のパーティに出会うことを極端に嫌っていたように思う。イワナは先行者がいれば釣れない・・・つまり、我々もイワナしか見えない釣りバカに過ぎなかった・・・
 泊り沢が合流する赤石川源流上二股のテン場。右奥のテントをご覧あれ・・・無知とは、時に無謀な行動に出る。山に入れば、雨が降る・・・という常識は眼中になし。晴れ、と勝手に決めつけ、とりあえず家にあったファミリーテントを持ち込む。フライシート、骨組みもなし。幸い、三日目の早朝だけ雨にたたられた程度で済む。それでもテントの内と外は、ビショビショに濡れたことは言うまでもない。今思うと、よくそんな稚拙な装備で源流に挑んだものだと我ながら驚く。

 ついでにエピソードをもう一つ。確か二日目の夜だった。いつもどおり、暗くなるまで釣りに呆け、懐中電灯を頼りにテン場に戻った。すると、火の勢いが天まで届くような焚き火を囲むように5、6人のパーティが陣取っていた。それに気圧された我々は、河原の隅っこで小さくなりながらイワナの腹を割いた。

 腹には、大粒の卵と白子が一杯詰まっていたが、それを食べる術を知らなかった。内蔵と一緒に卵を捨てようとすると、背後から「待でぇ、待でぇ」と制止された。その男は、卵と白子をきれいに洗い、容器に移した。ポケットに忍ばせていた酢と醤油を取り出し、卵と白子にかけた。「30分ほどねがせでがら食べてみろ。うめぇぞ」・・・

 盛大な焚き火に誘われるまま、他人のパーティに加えてもらう。イワナの塩焼きを振る舞い、一緒に酒を飲む。聞けば、赤石川から滝川を上り、山を越えて泊り沢を下ってきたという。イワナしか知らない我々は、ただただ「へぇ〜」と驚くしかなかった。その時、焚き火の傍らで寡黙にメモをとり続ける男がいた。仲間の一人が言った。「この人は、根深誠さんだよ・・・えっ、知らねぇの・・・北の釣りっていう雑誌、知ってるだろう・・・えっ、それも知らねぇの」。「しらかみ」の「し」の字も知らない無知に、完全に呆れられてしまった。

 この時、後年、白神の主と呼ばれる根深さんに共鳴し、山釣りに酩酊するとは、露ほどにも思っていなかった。ただ言えるのは、山で出会えば皆友だちなんだという優しい対応には学ぶものが多々あったように思う。盛大な焚き火の方法、イワナ料理は塩焼きだけではないこと。翌朝には、ミズの浅漬け、ナラタケの味噌汁までご馳走になった。この時、恥ずかしながら3バカトリオには、イワナは見えても、山菜やキノコは、全く目に入っていなかった。
 連続二回の白神源流釣行で、すっかり源流のイワナに酩酊。源流に行けば、釣りは下手でも入れ食いが堪能できると錯覚してしまった。すぐに5人で会を立ち上げ、積み立てを始めた。会の名前は、「渓流釣り」ではなく「源流釣り」という意味を込めて「源流釣友会」と命名した。今となっては、ダサイ名前に成り下がり、幾度か名称を変えるべき、との提案がなされたが・・・古い名前も捨てがたく、今日に至っている。上の写真は、昭和61年7月5日〜6日、追良瀬川事前調査。
 会は結成したものの、初めての沢に関する情報が全くなかった。ほら吹きの多い釣り雑誌なんて当てになるもんか・・・そこで、1泊2日で事前調査し、イワナの魚影が濃いことを自ら確認した後、5名全員で本格釣行に出掛ける・・・というパターンをしばらく繰り返す。上の写真・・・追良瀬川二の沢にキャンプし、ウズラ石沢までイワナの魚影を調査。そのイワナと缶ビールを手に記念撮影。結果は、上の写真の通り「◎」。まだまだ頭の中は、イワナと酒のみ。そして不思議なことに、事前調査は晴れ、5人そろえば、決まって大雨というパターンが続いた。
 昭和61年9月2日〜6日、4泊5日に及ぶ日程で追良瀬川源流行に挑む。スタイルは、相も変わらず横長のキスリングタイプで、まるでチンドン屋スタイル。追良瀬堰堤車止めから遡行し、二の沢にキャンプ。当時オモシロイのは、必ず留守番がいたこと。5人のパーティでは、一緒に釣り上がるには多すぎる。また、テン場に着いたら即釣りたい。これを可能にするには、テン場で薪を集め、焚き火を起こす留守番を一人置くというアイデアだった。
 一日目は二の沢にテンバル。焚き火はあるものの、イワナを焼く姿が見えない。イワナ釣りの経験が長いのは私だけ。残り4名は、イワナ釣りをはじめたばかりの初心者ぞろいだった。この日は、私が留守番。しばらく雨が降らず、流れは超渇水状態・・・初心者に簡単に釣れる状態ではなかった。勇んで出掛けたはずの4人は、貧果に・・・自分の稚拙な技術を棚に上げ、イワナの影すら見えなかったとのたまう。結局、この日食べたイワナは、私が二の沢で釣り上げたイワナだった。
 二日目、五郎三郎の滝が見える左岸にテンバル。しばらく雨が降っていなかったが久しぶりに雨・・・それも尋常な雨ではない。バケツをひっくり返したような大雨・・・と同時に、イワナは狂ったようにエサに食らいつく。釣り人も大雨を忘れて狂ってしまった。その後の顛末は、追良瀬川3に記したとおり。つまりイワナしか見えなかった釣り人に下された天罰は、大雨、濁流渦巻く地獄の世界だった。この時、釣りの欲を殺す術があったらとか、ビバーグする知恵と技術があったらと思うが、残念ながら釣り以外の知恵と技術、事前の準備も何一つなかった。今考えても、生きて帰れたのが不思議なくらいだ。

 人間の欲には際限がない。釣り人がイワナを釣りたい欲にも際限がない。しかし、その欲を制御する術を知らない人間が、いきなり谷の懐深く入り込むと、その欲で命を奪われる・・・「越後三面山人記」(田口洋美著)には「山は半分殺してちょうどいい」という言葉が出てくる・・・その代わり、自分の欲も半分殺す・・・その意味がやっと分かるようになったように思う。「誰でも最初はわからねぇんだ。山の怖さも、獣の凄さもわからねぇんだわっ。それ覚えるまでが難儀なんさな。・・・山は話だけではわからねぇ、実際にぶつかってみて、なるほどと思うもんなんだわっ」・・・愚かな源流一年生時代を振り返るたび、心にグサリと刺さるマタギの言葉だ。
 沢を上る時は渇水で楽勝だったが、連日の雨で、追良瀬川の水位はかなり上昇していた。左岸の壁はツルツルで、しかも、滑ってください、と言わんばかりに流れの方向に傾斜していた。上がった途端、ヤバイ・・・と思ったが、進むしかない。ほどなく、頭から勢いよく流れに落ちた。重荷ごと流れに没した時は、本能的に流れに逆らおうとした。しかし、何の意味もなかった。幸運にも、ザックの浮力で簡単に浮き上がった。逆らうのをやめ、流れに身を任せていると、浅瀬の淵尻に辿り着き助かった。

 沢は、上りより下りの方が、ルート選定、遡行術とも圧倒的に難しい。落下して分かったことは、ザックの浮力の凄さと流れに逆らわないことの大切さ。写真は、頭から流されているが、下流に岩でもあれば危険極まりない。できれば足を下流に向けるべきだった。とは言うものの、この時、そんな余裕も知恵も技術もなかった。
 最後の難関・・・白泡の流れは速く、深さはすぐに腰上まで達した。とても一人で渡れる状況ではなかった。こういう時こそ仲間の力が威力を発揮する。ロープを持ち、空身で対岸に渡り、両サイドに張る。上の写真は、最後にロープを回収して渡ろうとする中村会長。激流を渡渉する快感に満面の笑みを浮かべている。

 会として初めての追良瀬川源流行は、何とか全員無事に帰還したものの、失敗、反省の連続だった・・・イワナが群れ遊ぶ世界は、釣り人を魅惑的に引きつける。しかし釣りだけの遊びのつもりで踏み込めば、死と紙一重の危険がつきまとう。「自然は、中途半端な知恵、技術を許さない」・・・このことを嫌というほど思い知らされた。
 「源流釣り」から「山釣り」へと進化するキッカケとなった大作「源流行ハンドブック」(昭和62年3月、源流釣友会ハンドブック編集委員会編、非売品)

 中村二朗会長記「はじめに」・・・誘われるまま、ネクタイを着て最初に釣り上げたリリース級の゛歯のニョロッとした生きもの゛を見、驚愕しているド素人。登山は゛ベテラン゛と自負しているが、釣りの経験がまったくない者。海釣りには目はなく、海のもの・山のもの、包丁を手にすると何でも゛料理してしまう゛名コック。それに、変わった物は何でも゛口に入れたがる゛ゲテもの荒らしで、カメラなら右に出る者がいないカメプロ。失敗や、マグレの一つ一つを鮮明に記憶し、解析を怠らない本会ただ一人の゛源流名人゛

 よくもこんな雑多な人種が寄りに寄り集まって「源流釣友会」なるものをスムーズに発展させているものだなと不思議に思う。会員それぞれの特技が、大自然を相手であることに対し、何かが共通しているのではないでしょうか。源流行は、釣る楽しみはその一部に過ぎない。イワナを釣るというよりも、大自然をまるごと釣る行為であるからと思われる。・・・本ハンドブックは、会員が手分けし、「理論と実践を統一」したもので、会員相互の基礎知識を養うものであり、渓流釣りファン必読の秘伝書でも、その要望に応えることを期待して作成したものでもない。
 既にこの時点で「大自然をまるごと釣る」という一文が記されている。「大自然」を「山」に置き換えれば、「山釣り」となるだが・・・。このハンドブックは全12章からなっている。

 第1章 イワナ学入門/第2章 イワナ釣りの実践的技術/第3章 野営の技術/第4章 遡行技術/第5章 山岳渓流写真入門/第6章 源流料理学入門/第7章 山野の幸入門/第8章 山岳渓流に生息する生物学入門/第9章 森林生態学入門/第10章 高山植物入門/第11章 遡行概念図の作成方法/第12章 源流遡行概念図/第13章 釣行記録の方法/第14章 会活動の記録。

 内容はともかく、目次だけ見れば、山釣りに必要な全ての項目が網羅されている。源流一年生としては上出来・・・これも山から学んだ効果の凄さだと思う。今読み返しても、ハンドブックに欠けていたのは、自然と人間と文化の視点がなかったことぐらいで、よくこんな大作を作ったもんだと改めて思う。

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